第5話(著:猫菜こん)
「どういう、こと……?」
【新作:メレンゲクッキー販売中】
そんな文字が視界に入ってきて、何度も何度も目を擦った。
でも文字が変わる事なんてなくて、ほとんど無意識に言葉が零れる。
「違う、お姉ちゃんはこんなの……つくら、ない。」
お姉ちゃんはメレンゲクッキーを売り出すなんて、言ってなかった。
お姉ちゃんが今度売ろうとしてたのはおしゃれなステンドグラスクッキーで、企画書だってお姉ちゃんの部屋にあった。
それなのに……っ。
困惑と疑問とどうしようもない切なさが一気に込み上げてきて、急いで踵を返す。
買い物なんてどうでもいい、お姉ちゃんと話さなきゃっ……!
そう思うや否やお店の裏口からこっそり入って、焦りながらもお姉ちゃんを探す。
お姉ちゃん……お姉ちゃん、どこっ……!?
クッキーを作ってるなら厨房のほうにいるはずなのに、お姉ちゃんの姿が見えない。
一体どこにいるの……っ。
嫌な音を立てる心臓を宥めつつ、忙しなく視線を動かす。
その時、私と同じく裏口から入ってきたらしいお母さんの姿を見つけた。
お母さんなら、お姉ちゃんがどこにいるか知ってるかも……!
「お母さん!」
「あら朱里、今日はお買い物に行くって言ってなかった?」
「今はお姉ちゃんを探してるの! お姉ちゃんがどこにいるか知らない!?」
「うーん……厨房にはいないんだったら、多分部屋に戻ってるんじゃないかな? 忘れ物とかしたのかもよ?」
首を傾げて不思議そうにするお母さんの言葉に、もっと嫌な音が聞こえた気がした。
「っ、ありがとうお母さん!」
去り際に早口でお礼を言って、はやる気持ちに追いつくように家まで戻る。
そしてこけないように気を付けながら靴を脱ぎ、お姉ちゃんの部屋の扉を勢いよく開けた。
「お姉ちゃん!!」
「っ!? あ、朱里……!? 何でここに――」
「ねぇっ、これどういう事なの!?」
そう言いながらさっき撮っておいた看板を突き出して、お姉ちゃんに問い詰める。
それを見たお姉ちゃんは一瞬呆気にとられた表情を浮かべた後、無理やり口角を上げて謝ってきた。
「あ……ごめんね朱里。朱里のクッキー、じゃなくって……でも、まだいろいろしなきゃならないからもうちょっと待って――」
「そうじゃなくて! お姉ちゃんこんな新作出したいわけじゃないのに……私、この前ステンドグラスクッキーの企画書見たんだから!」
「……っ。」
しまった、と言うようなお姉ちゃんの表情に息ができなくなる。
お姉ちゃん……何、考えてるの……? 私分かんないよ……っ。
「お姉ちゃん……」
「仕方が、ないの。私の企画、通らなかったから……。」
催促するようにそう呼ぶと、そんな微かな返事が聞こえてきた。
いつも元気で覇気のあるお姉ちゃんの声とは違い、震えていて弱々しく泣きそうな声。
こんな弱気なお姉ちゃんを見るのなんて初めてで、何て言えばいいか分からずきゅっと唇を引き結ぶ。
だけど……。
「だからって、お姉ちゃんが望まないものを売る必要なんてないよ!」
お姉ちゃんはステンドグラスクッキーを考えてたはずなのに、それを押し殺してまで別のものを売るなんて事、私が許したくない。
だってお姉ちゃんは……望んでないんだもん。望まない事をするなんて、してほしくない。
「反対されたとしても、いつもみたいに強引に押し切ってやればいいじゃん! それか無視して売り出しちゃってもいいんだし、お姉ちゃんがやりたいようにやれば――」
「……それができたら、こんなに悔しくない!!」
「っ……!?」
いつも優しいお姉ちゃんが、初めて声を荒げた。
それに驚いて目を瞠っていると、続けて捲し立てるように言葉を吐いていく。
「私だって売れるもんなら売りたいよ! でもできないの! 朱里は知らないかもしれないけど、この前のラングドシャセットもレモンクッキーも、全部店長に無理言って売らせてもらってたの……っ!! けど流石にもう許してくれなくて、却下されて押し切ろうとしたけどそうすると見限られるの! だから、だからっ……」
息を荒げ、歯を食いしばり、涙声になりながらそう訴えてくるお姉ちゃん。
そんなお姉ちゃんを私は、ただただ呆然として見る事しかできない。
……お姉ちゃんの言う事だから、本当に“そう”なんだと思う。
でも……っ。
「ごめん朱里、もう……出てって。」
「っ!」
「私……このままだと朱里に八つ当たりしそうだから、お願い。」
もう一度説得しようと思って口にしようと思った言葉は、お姉ちゃんの言葉によって遮られた。
苦しそうで泣きそうなお姉ちゃんを見ていると、私も涙を誘われてしまう。
「あかり……おねがい、だから……っ。」
……――だけど、嫌だ。
「お姉ちゃんがステンドグラスクッキーを作るって言わない限り、私ここでずーっと説得するからっ!!」
「ぇ、っ……?」
「確かに売れ行きとかトレンドも大事かもしれない。でもそれだけでお姉ちゃんの気持ちを押し殺す事なんてないんだよ!? だから店長さんがどうとか関係ない! ステンドグラスクッキー、売ろうっ!?」
お姉ちゃんに手を差し伸べて、手が重なるのを待つ。
でもまだお姉ちゃんは悩んでるみたいで、静かに肩を震わせて下を向いていた。
けどもう催促はしない。お姉ちゃんが作ろうって思ってくれるまで、私は待ってる。お姉ちゃんが決断できるその時まで。
「っ、いいのかなぁ……自分が作りたいのを、作っても……っ。」
「お姉ちゃんが作りたいものを作っても誰も怒らないよ。もし怒る人がいたら私が説教してくるしっ!」
「あかり……、うん、そう、だよねっ……いいよね、作っても……!」
「もちろんだよ!!」
たくさんの涙を零しながら、ゆっくり顔を上げるお姉ちゃん。
その表情はぐしゃぐしゃだったけど、直後に涙に負けないくらいの眩しい笑顔を見せてくれた。
「ありがとう、朱里っ……!」
そしてやっと、お姉ちゃんと私の手が重なった。
……ありがとう、お姉ちゃん。
「お姉ちゃん、ステンドグラスクッキーじゃなくて……作るの、私のクッキーでよかったの?」
「当たり前だよ。朱里のおかげで立ち直れたし、元々売ろうって話してたしね。私、朱里の作ったクッキーが売り出せるの楽しみだよ。」
「……っ、私も! 私も楽しみ!」
あれから数日後、完全復活したお姉ちゃんと一緒に私はお店の厨房にいた。
近くには私とお姉ちゃんがまとめたクッキーのレシピを立てかけて、他愛ない話をしながらクッキーをせっせと焼いていく。
実は……明日から、私が作ったクッキーをお店に並べてもらえる事になったんだ。
お姉ちゃんが店長さんに直談判して、二時間の交渉の末了承を出してもらえたそうで。
その事を聞いた時はやっぱりびっくりしたけど、それ以上にお姉ちゃんのかっこよさを痛感した。
……――そして、ついにやってきた翌日。
開店十分前、私は厨房からお店の様子を見ていて終始そわそわしていた。
うぅっ、改めてお店に並べると緊張するなぁ……。
こういう経験なんて滅多にできないからわくわくするけど、やっぱり売れるかなって心配かも……。
「朱里、緊張してるね。大丈夫だよ、朱里のは絶対売れる。私が保証するから。」
「お姉ちゃん……。うん、そうだよね!」
お姉ちゃんにそう励まされ、喝を入れられる。弱気になってちゃダメだよね!
大丈夫……クッキー、精一杯作ったんだもん。
そうぎゅっと拳を握った時、カランカランッとベルが鳴ったのが分かった。
「いらっしゃいませ!」
お姉ちゃんが溌溂とした声でお客様に挨拶をする。
ショーケースの隙間から数人のお客様が来店されたのを確認して、心臓がきゅっと縮まった。
そんな緊張しまくっている私に聞こえたのは、お客様のこんな声。
「わっ、新作出てる! 可愛い~! え、ロゴのもある……! このクッキーとセットってできますか?」
「もちろんです!」
「やったっ。じゃあロゴのクッキーと、抹茶のクリーム乗ってるクッキー二つずつテイクアウトします! ドリンクはコーヒーで!」
「かしこまりました、少々お待ちください!」
……嘘、買ってくれた?
喫茶ルミエールのロゴは言わずもがな私とお姉ちゃんが作ったもので、抹茶クリームのは私が提案して試作的に作ってみたもの。
だからまさかこんな早く売れるなんて思ってなくて、思わず拍子抜けしてしまう。
それから私が作ったクッキーが売れるのは、本当に早かった。
誰かが口コミで書いてくれたようで学校帰りの学生、作業しに来た人や職場や家族への贈り物として買っていってくれる人が格段に増えたのだ。
だからたくさん作ってもまた作る、みたいに厨房はいつにも増して忙しくて私もできる限り手伝うようにしている。
店長さんもここまで売れるとは、ルミエールが人気になるとは思っていなかったらしくお姉ちゃんに謝っていたのを見かけた。
……ふふっ、本当によかった。
そして、あれよあれよと一躍人気になった喫茶ルミエールは。
「朱里、お店の看板openに変えといてくれる?」
「うん!」
外に出ると、暖かい春風が私の頬を掠めていく。
そんな風に煽られながら木目調の看板をひっくり返していると、ふと声をかけられた。
「アノ……“ルミエール”ッテキッサテン?ハ、ココ、デスカ?」
「はいっ! こちら喫茶ルミエールです!」
【FIN】
クッキーリレー 玄瀬れい @kaerunouta0312
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