第8話 勝者ァ――クレス・ブレンフィールドォォ!
「……ここ、は?」
爺や――もとい、グラディウス・シグレッドに使える執事ブアコールは、クイホーテンのとある宿場にて目が覚めた。
彼が目覚めて真っ先に目に入ったのは、木張りの天井。それから次に顔を横に向けて見えたのは、宿の窓と、それと自分が眠っていたベッドのすぐ隣で、座りながら眠ってしまっていた彼の主、グラディウスであった。
「ぼ、ぼっちゃま……!」
彼の最後の記憶は、名も知らぬ青年に殴り飛ばされるまで。まさかあれほどの強さがるとは、歴戦の魔法使いであるブアコールにも予想外の出来事だった。だからこそブアコールは、起きてすぐに、自分たちに並々ならぬ殺意を抱いていた青年に、我が主が何かされていないかを心配する。
飛び起きて両肩をつかみ、ゆさゆさとグラディウスを起こそうとする。どうやら彼は眠っていたらしく、起こされたことでぼんやりとした目がブアコールを見た。
それから、彼は言う。
「おお、爺や。無事でよかった……」
「ぼ、坊ちゃまこそ……お怪我はありませんか?」
ブアコールにとって、自分の無事など二の次だ。最も大事なのは、彼、グラディウスの無事に他ならない。そして次に大事なのは――
「そ、そうでした坊ちゃま! 勇者は! あの青年はどうなったのですか!?」
彼にとって二番目に大事なことは、グラディウスの願い。彼が当主になること。
そして勇者は、彼が当主になるには必要不可欠の存在だ。まさかペレクトールだなんて片田舎で見つかるとは思ってもみなかったが、それでも彼女が勇者ならば、それを連れ帰ることでグラディウスの望みはより一層、成就に近づく。
だが、あの状況。勇者の兄と思しき人物による、自身の敗北。それはすなわち、勇者を連れて帰るという作戦の失敗を意味する。だから聞いたところで、望ましい答えが返ってくるはずがなかった。
「今、この街で待ち合わせをしているんだ。私たちは、爺やの治療のために一足先に街に来た。あとは予定が合い次第、すぐにシグレッド領に向かうよ」
「なん、ですと?」
そこで更なる予想外をブアコールを襲った。
あんな状況から、どうして勇者を連れ帰ることができたのか。ブアコールの頭は混乱の絶頂にある。
「剣を取る姿は神々しく、その慈愛は枯れた大地に実りをもたらす……まったく、予言の通りに優しさに溢れた少女だった。テレアの話をしたら、私の恋を応援してくれるというのだよ。……あんな強硬に走る前に、事情を話せばよかったのかもしれないな」
そんな風に話すグラディウスの顔には、やりきれないような後悔がにじんでいた。彼の後悔を理解できるからこそ、ブアコールの顔も思わず暗くなってしまう。
けれど、主の前でそんな顔はできないとブアコールは自分を鼓舞し、空元気にもはきはきとした調子で暗い空気を吹き飛ばすように喋った。
「そう、でございますね。少々我々は、必死になりすぎていたようです。ともあれ、勇者殿の寛大なお心には感謝するばかりですね。これにて、次期当主は坊ちゃまに決まったも同然です」
実力主義の色が強いグラディウスの家では、順当にいけば遠くないうちに彼の兄が党首の座につく。だから彼らは必死になっていた。それが、悪い方向に転んだのが、クララ誘拐事件の顛末と言ったところか。
だからこそブアコールは、心の中で深く深く、自分たちを許してくれた勇者に感謝をし、次に会ったときはその名をよく心に刻んでおこうと誓った。
「ただ、坊ちゃま。勇者殿が協力的になってくれたとはいえ、気を付けなければならないことがあります」
「わかってるさ、爺や。むしろ、彼女たちが協力的になってくれたからこそ、私たちは細心の注意を払わないといけない」
白髪紅眼の勇者候補を連れ帰る。
そしてそれを功績とするためには、いくつかの関門がある。
特に、自分たちが連れ帰った白髪紅眼の少女こそが真の勇者であると国に証明することは、最難関の関門だ。
と、思っていたけれど。ブアコールは、自分の魔法を容易く打ち破った少女のことを思い出して、彼女ならば問題ないだろうと結論付けた。
だとしても、だ。
「横取りには気を付けなければいけないな」
「で、ございますね」
白髪紅眼の少女など、そうそういるものじゃない。だから最も気を付けるべきは、報酬目当てで白髪紅眼の少女を探す人攫いたちだろう。
自分たちが言えたモノではないが、国に身柄を届けさえすれば報酬をもらえると思っている人間は、手段を問わずに見つけ次第襲い掛かってくる可能性が高い。たとえクララがブアコールほどの魔法使いの拘束を破れるのだとしても、人攫いたちには他にも誘拐の手段が山ほどある。
だからこそ、まだまだ未熟な勇者が攫われないように、気を付ける必要があった。
「ならばこそ、早々に合流すべきですな」
「ああ、そうだ。彼らが乗った馬車も、そろそろ街に到着する時間のはずだ。爺やも目覚めたことだし、私は待ち合わせ場所に向かおうと思う」
「そうでございますか。もちろん、私も同行してよろしいのですよね?」
「……無理はするなよ」
「はい。もちろんでございます」
横取りをされないためにも、目立たず素早くシグレッド領へと移動する。それが彼らの目標であった。
「わたくしたちと出会う前に、攫われていないといいのですが……」
「心配するんじゃない爺や。確かに、彼女の兄は、人格に多少の難があるが、何も街に来て間もないうちに、人目を集めるような騒動を起こす人間じゃあるまいよ」
「それもそうですね」
そんな風に話しながら、ブアコールは自分の傷の具合を確かめつつ、身なりを整え、グラディウスの言う待ち合わせ場所に向かう準備をした。
その最中にも、ある青年のことを脳裏に思い浮かべる。
規格外の青年だった。勇者ならばまだしも、彼は一介の田舎者に過ぎないはずなのに、大騎士の息子の執事として雇われた歴戦の魔法使いである自分の魔法を打ち破り、鎧袖一触で打倒してしまうほどの実力者。
自分が老いた、とは思いたくないけれど、それを差し引いてもおかしいことだらけで、あの日のことが夢だったのではないかと思えてしまう。
けれども、彼はそれがすぐに現実に起きたことだと知ることになる。
なにせ――
――ガシャァアアアン!!
「な、何事!?」
まるで悲鳴のような窓ガラスが割れる音が部屋中に響き、二メートルはあろうかという巨漢が、ブアコールたちの部屋へと勢いよく侵入してきたのだ。
すぐさま杖を構えるブアコール。けれど、巨漢はどうやら自ら押し入って来たのではなく、どこかから吹き飛ばされたような姿で部屋の床に転がっていた。
吹き飛ばされた? ここは、宿屋の二階の部屋だぞ?
ブアコールの疑問はもっともなものだ。けれど、彼はすぐに思い出すこととなる。グラディウスの体を容易く吹き飛ばした青年の顔を。
グラディウスも同じことを考えていたらしく、二人が顔を見合わせてから、割れてぐちゃぐちゃになった窓の外の方を見てみれば、声が聞こえてきた。
割れんばかりの歓声と、もう一つ。
「勝者ァ――クレス・ブレンフィールドォォ!!!」
野次馬たちの中心にて、牛角人と思しき青年の実況によって注目を集める、見覚えのある青年の姿を、彼らは見た。
「な、なにやってんの、あの人たち……」
同時に、目立たずにシグレッド領へと移動するという自分たちの計画が崩れていく音を、彼らは耳元で聞くことになるのだった。
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