第6話 まさかお前……その男に惚れた訳じゃないだろうな!!!



 七歳の頃の話だ。

 私は森で遭難した。


「ここどこー!」


 私、クララ・ブレンフィールドが潰れた孤児院を後にして、ブレンフィールド家に来てから二年が経つ。


 ブレンフィールド家での日常は、それはもう激動の連続だった。なにせ、飼育している動物たちの世話をしているだけで一日が終わることがままあるのだから。


 とにもかくにも動物が多い。どうやらお義父さんが、私を連れて来たみたいに、犬やら猫やら鳥やらなにやらをやたらめったらに連れてきているのが原因のようだ。


 そして案の定、私を連れてきたと単に、お義父さんは次の仕事があると言って家をでて行ってしまった。


 だから、この動物たちの仕事は、家に残った私の仕事となる。……私の仕事。


 正直に言って、私は兄が苦手だ。


 口調が荒く、やることなすことが粗暴で、攻撃的。宣言通り、彼は私を言うことの利く道具か何かのように扱って、動物の世話をさせるばかり。


 餌用のお肉を食べやすいように切ったり、餌の買い出しに行ったり、兄が狩って来た森の動物を捌いたり……私、こんなことをするためにこの家に来たわけじゃないんだけど。


 私は、孤児院が無くなったら住むところが無くなるから、仕方なく来ただけ。もちろん、お義父さんが、頼れる人とたくさんのペットがいるって言ったからってのもあったけど、さ。


 だけど、朝から晩まで動物の世話をさせられるだなんて、聞いてない。だから私は家を飛び出した。そして現在、森を彷徨っているわけだ。


 家を飛び出した私が、村の近くの森に入ったのは、兄に居場所を悟られないようにするため。その、つもりだったんだけど、結局自分の居場所がわからなくなってしまった。


「ど、どどどどうしよう……」


 いつも兄貴が、平気な顔をして出入りしてるもんだから、私もすんなりと通行できると思ってたけれど、酷い思い違いだったみたい。


 家出をしたのはその場の勢いだ。だから、食べ物なんて持ってない。森の中だ。人だっていない。


 私、一人だけ。


「ひっ」


 そう考えたら、何もかもが不安になってきた。

 近くで枝葉が揺れる音すら、今の私にとっては首筋を舐められたような恐怖を感じるエッセンスだ。


「い、家に……いや、家だけは……」


 家には、帰りたくなかった。

 家出をしたから、今更戻るのも嫌だった。だから、とにかく、どこかの街道に出ることを願って、私は森をひたすらに進んでいく。


 人が歩くために整備されていない、道ともいえぬ道に何度足を取られ転んだことか。それでも私は、当てもない旅路を進んでいく。転び、起き上がり、進んで、転んで、起きて、進む。そんなことを繰り返したから、いつの間にか太陽が沈みかけているのにも気づかなかった。


 夜が、来る。


(暗い……見えないせいで、余計に音が……怖い……)


 木が揺れる音。風が吹く音。水が流れる音。何もかもが、恐怖の対象だ。怖くて怖くて、動きたくもない。


「なんで、こんなことに……」


 慣れない道を歩いたせいで足が痛い。ずっと歩いてきたせいでもうくたくただ。だけど、寒い。寒くて、こんなところで立ち止まったら、凍えて死んでしまいそう――


「……え?」


 音が、した。


 私以外の音が。

 土を踏みしめ、落ちた枝をへし折り、進む音が。


 誰かの予感を、感じ取った。

 私の体は、自然と音のした方へと走っていた。

 人の気配を感じたから。助けてもらえると思ったから。


 だけど、そこに居たのは――熊だった。


 大きな熊。普通の獣じゃない。

 異常に大きな体は大人の何倍も大きくて、長い手は私の体よりも太い。そして、私の方を見た顔は、悪魔のように恐ろしかった。


 考えるよりも直感したのは、魔物という言葉。

 自然界に存在する怪物。人を容易く殺す化け物。


 私、殺され――


「おうおう、ここに居たかよクララ」


「……あ」


 死ぬ、と思ってた。けど、乱暴な手が私の頭を撫でまわしたから、そんな考えはすぐに吹き飛んでしまった。


「ったく、心配かけるんじゃねぇよ。んで、これはどういう状況だ?」


 兄がいた。

 太陽も沈んで真っ暗になった森の中に、さも当然のようにこの兄は、現れた。


「な、なんで……」


 人がいる。それだけで安心しきってしまった私だけれど、すぐに困惑の波が襲い掛かってきた。どうしてこんなところに、この兄は居るのか。そんな疑問が、口をついて出たけれど。


「決まってんだろ」


 それもやはり、この兄はさも当然のように答えるのだ。


「家族を守るのが兄貴の仕事だからな」


 家族。

 血も繋がってないのに。

 ただ、連れてこられただけの私を。


 『家族』と、この人は呼んだ。


「安心しろよ。何があっても、俺が守ってやるからよ」


 自分勝手に家を出た自分を探して、こんな森の奥底まで――こんな恐ろしい魔物の前にまで来てしまうなんて。


――ガァッ!!


 魔物が吠えた。

 攻撃性を隠そうともしない唸りだ。きっと、私たちに襲い掛かろうとしているんだ。だけど、兄は、ひるまない。


「家の大事な妹が泣いてるが……こりゃ、お前のせいかよクマ畜生」


 そんな風に戦いは始まって、そして驚くほどあっさりと戦いは終わった。

 どうやってあんな魔物に兄が勝ったのかなんて、私には全然わからなかった。


 わかることは、一つだけ。


「帰るぞ、クララ」


「うん。……ありがとう、兄貴」


「ふんっ。初めて呼ばれた気がするな」


 彼は私の、頼れるお兄ちゃんなんだ――







「やっぱり、兄貴は来てくれた」


 馬車の入り口から、クララは自分の兄の姿を見た。


 もちろんそれは、御者台に乗っていた爺やも同じだ。


 生き埋めにしたはずの男が、そこに居た。地面から這い出るようにして、現れたのだ。


「どうやら少し、貴方のことを侮っていたようですね……」


 魔法使いとして自分の腕に自信のある爺やは、まさか自分が得意とする必殺の土魔法『生前葬アンティークハウス』が破られるだなんて、夢にも思っていなかった。


 けれど彼も老練の戦士。その程度で動揺して取り乱すような人間ではない。


「私は坊ちゃんのお目付け役。あの方は自らの望みを今、叶えようとしているのです。その邪魔をするのならばこの老骨、墓から起き上がってでも戦いましょう」


 御者台からゆっくりと降り立った彼は、魔法を使うためのものと思しき杖を懐から引き抜いた。短い杖だ。長さにして30㎝もないだろう。


 けれどクレスは噂に聞いたことがある。杖の大小による違いは、魔法の発動速度にあると。


 そして短い杖は、魔法を貯める触媒ではなく、より早く魔法を放つための銃口であると――


「『生前葬アンティークハウス』!!」


 降りると同時に魔法を放つ爺や。詠唱を挟まぬその早業は、歴戦の腕前が為せる神速の魔法である。


 先ほどクレスがしてやられたのも、不意打ちである以上に、爺やの魔法の発動速度があまりにも卓越していたのが大きな要因だろう。意識外から放たれる矢ほど、防ぎ難いものなどないのだから。


「それはもう、種が割れてんだよ!」


 けれど、更なる速度でクレスは移動することで、足元に空いた墓穴を軽やかに回避した。


 同時に、彼の足が鋭い蹴り技となって爺やの腕へ襲い掛かる。その一撃が爺やの短杖を弾き飛ばす。


 そして、馬車のすぐそばでその戦闘を見ていたグラディウスは、立ち尽くすことしかできなかった。痛感する。自分が彼に、どれほど手加減をされていたのかを。さらに言えばこの男、まだ底が見えない――


「くっ……『クレイ』!!」


 杖を失ったとて魔法は発動できる。あくまで杖は、魔法の使用をサポートするものだから。けれど、爺やが発動した魔法に精細さはない。


 先ほど見せた、相手の足元ピンポイントに墓穴を出現させ、おまけに周辺の石を硬化、最後に土をかぶせて生き埋めにするだなんて複雑な魔法を放てない。


 それだけ魔法には、杖が重要なものなのだ。


 だから爺やが見せた魔法は、苦し紛れの悪あがき以上の何物でもない。宙に浮かせた土くれを礫とし、相手に浴びせかけるだけの魔法で、この状況をひっくり返すことなんでできない。


「覚悟はできてんだろうなァ!!」


 礫の嵐を真正面から掻い潜り、クレスは爺やの胸倉をつかんだ。


 そして彼は拳を握る。

 グラディウスを数メートルは吹き飛ばした拳を。

 爺やの『生前葬アンティークハウス』を打ち破った拳を。


 彼は、握りこんだ。


「ろ、老人虐待!!」


「お前は児童虐待してんだろうがぁああああ!!!!」


 爺や渾身の命乞いも、妹を攫われたシスコン相手には通じない。そうして握りこまれたげんこつは、渾身のパワーをもって爺やの胴体へとめり込み――


「ぐぁあああ!?」


 ――その体を、地面にめり込ませてしまうのだった。


「顔は勘弁してやる」


 果たして、顔を殴るか胴体を殴るのかに大きな違いがあったとは思えない結果であるけれど、顔を殴っていたら明らかに爺やは死んでいたであろう一撃である。(即ちまだ爺やには息があるということだ)


 彼にも良心があったのだ、と思いたい。ただし、良心があれば、そもそも老人を殴り飛ばしたりしないといえばそれまでである。


「クララァ! 無事かぁ?」


 そうしてこうして、邪魔な老人もいなくなったとクレスはクララの名を呼んだ。すれば、馬車の中からひょっこりと顔を出すクララが見える。


「なにもされてないよ兄貴」


「おー、それはよかったよかった」


 勇者を探しているだなんて、クレスにとって訳の分からない理由から始まったクララ誘拐騒動は、これにて決着――


「ま、待て!!」


 かに、思われた。


 けれど、クララの方へと歩み寄ろうとしたその時、爺やとクレスの戦いの成り行きを見ることしかできなかったグラディウスが立ちはだかった。


「わ、私が見つけた勇者だ! 絶対に渡すわけにはいかない!!」


「あぁん?」


 彼は、理解している。


「お前、今自分が何してんのかわかってんのか」


「わかっているさ! 私が、あんたに敵わないことぐらいな!」


 クレスの前に立つグラディウスは、けれどその体は小刻みに震えている。剣先は情けなく敵を見失ったかのように首を振り、怯えからか彼の呼吸は酷く荒い。


 それだけ彼は、目の前の男に恐怖しているのだ。


 さらには――


「あんたの家族を奪っていることだって、百も承知だ!!」


 自分が今、誰かの大切な人を攫おうとしていることだって、彼は本当は分かっていた。


「王の勅令だとか、世界の危機だとか……本当はどうでもいい! だが、私には彼女が必要なのだ! 勇者を、連れて帰らなければいけないのだ!! 私が当主に、ならなければならないんだッ!!!」


 それでも彼は、クレスの前に立つのだ。


 そこにどんな想いがあるのかなんて、クレスにはこれっぽっちも分からない。何せ彼にとって、目の前の男は妹を攫った誘拐犯。犯してはいけない禁忌に触れた、大罪人でしかないのだから。


 だから。


「あっそ、死ね」


 無慈悲にも、彼の拳は振りかぶられた。


 けれど。


「ストォオオオップ!!!」


 その瞬間、グラディウスをかばうようにクララが二人の間に割って入った。彼女の行動には、流石のクレスも目をひん剥いて驚いた。それから、ギリギリのところで拳が止まったことに、ほっと胸を撫でおろした。


 それから、クレスはクララを見る。

 クララの紅い瞳へと、彼は尋ねた。


「どうしたんだ、クララ?」


「ちょっと待ってよ兄貴。もしかしたらさ、この人にも事情があるかもしれないじゃん」


「事情があったら人を攫ってもいいのかよ」


「いや、それはダメだけど……」


「じゃあそこをどけ。俺がそいつを殴り飛ばす」


「だからそれもダメだって!」


 言い合う兄妹。庇われたグラディウスは、唖然とした様子でそれを見ていることしかできない。それもそうだ。震える体に鞭を打ち、決死の思いで恐怖の前に立ったというのに、自分は連れ去ろうとしていた女に守られている。


 これほど情けない話が、どこにあるだろう。


 情けなさ過ぎて、笑えて来る。


「ねぇ、グラディウスさん」


 思わず笑いだしそうになったその時、自分を守ってくれた少女が振り返って名を呼んだ。その顔は、彼にとって救いの女神のようにも見えただろう。そしてそれは正しく、救国の英雄の姿であるとも思えたはずだ。


 ともすれば、彼女こそが勇者であると確信できるほどに、クララの顔は神々しく見えた。


 そんな彼女は、グラディウスへと尋ねるのだ。


「ねぇ、私が必要だって言ってたけどさ。良ければ事情を話してくれないかな? 場合によって……私、グラディウスさんについて行ってもいいと思ってる」


「なぁ!?」


 その時、クララの言葉に声を上げたのは、グラディウスではなくクレスだった。


「ついて行っても、いい……?」


 いったい彼はクララの言葉から何を読み取ったのか、どさりと膝から崩れ落ちる。そして、世界の終りのような表情をしながら、今にも死にそうな声でクララへと尋ねるのだ。


「まさかお前……その男に惚れた訳じゃないだろうな!!!」


「えぇ!?」


 予想外の義兄の言葉に、流石のクララもびっくり仰天。目を丸くして、義兄の正気を疑うけれど、彼が正気じゃないのはいつものことだから、平常運転かと思い、彼女は落ち着きを取り戻す。


 けれど。


「わ、私には将来を誓った許嫁がいるから……だから、君の言葉には答えられない」


「ちょ、なんで私が告白したみたいになってるの!?」


 崩れ落ちた義兄の反応を見てか、グラディウスがそんなことを言い出した。別にクララは、グラディウスに告白したわけでも何でもないのに、とんだ勘違いである。


 ただ自分は、グラディウスの行動には何かわけがあるんじゃないかと、親切心を働いただけなのに。それなのにどうして、告白してもいない相手から振られ、そして義兄が灰のように崩れ去りかけているのか。


「ど、どうしてこうなったのー!?」


 クララ誘拐事件。

 これにて決着であった。

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