第3話
単眼鏡で街を港見ていた彼は、近づいて来た港にようやく視線を向け、その一角にやたら目立つ青い軍服姿を見つけると単眼鏡を下ろした。
「…………あかん。なんぞ頭痛がしてきたわ……」
「船酔いですか?」
甲板の縁に片足を掛けていた、真紅の軍服を着た将校は、がく、と芝居がかって片方の肩を落とす。
「俺は生まれた瞬間から一回も船酔いしたことあらへんわ!」
巨大な軍艦だが、港には滑らかに入って来て、手早く着岸した。
「駐屯地に荷物を運べ。朝までに全て完了させろ」
「ハッ!」
彼が言うと、三人の副官が素早く方々に散って行った。
「あの派っ手なフランス艦隊、お前が率いてきたとか言うオチちゃうやろな? ラファエル」
港で待っていたラファエル・イーシャは、ニコッと微笑むと、フランス艦隊総指揮官を示す、金の錫杖を手に持ち、軽く振ってみせた。
「嘘やろ~~~~~ッ⁉ いつからフランス王、お前なんぞに総指揮官任せるような頭パーン! なったんや。なーんでこんな緊張感ある場所でこの世で最も緊張感無いお前と会わなあかんねん! お出迎えとか余計なことせんでええ! 引っ込んどけ‼」
「あ~~~なによいきなりその態度? 久しぶりに会った親友に向かってさ~~~~~」
「お前なんぞと親友なんかなるか。なったら俺はご先祖様に申し訳がたたんわ」
「お前がスペイン艦隊率いてきたって聞いてわざわざこうやって会いに来てやったんだよ? 俺に凭れて眠る可愛いスペイン人のセニョリータ叩き起こして来たってのに感謝が無いなあ」
「お前みたいな貧弱なフランス野郎がなに俺の国の美女に手ェ出しとんねん腹立つわ。金払えや」
「しっかしお前が来るとはねえ。もーちょい下の階級の奴が来ると思ってたわ。お前は正真正銘の王族様だし」
「厭味か。アラゴン家俺の上に男八人女十三人の兄姉がいて俺はその末っ子や。三百年待っても俺に王位継ぐ機会なんぞ回ってけぇへんわ。俺はしがない軍人でええねん」
「ふーん?」
「んじゃさっさと失せろや。お前とこうやって話してると、俺思いっきりお前と友達みたいに思われるやろ。お前と友達や思われたら人格疑われるし見合い話も一撃で飛んでくわ。迷惑だから一生話しかけてくんな」
「あ~~~~そんなつれない態度取っていいと思ってんの?」
「思ってるけど、アカンかったか?」
「アカンこと無いけど、損するよォ~~~イアン君。ここでは俺と仲良くしといた方がいいよ? なんせ俺はすでに件の王妃様と対面してものすんごい爽やかな青年ね♡ ってお墨付きももらっちゃったんだから」
イアン・エルスバトは片足を掛けたまま、両腕を組んだ。鼻を鳴らす。
「ふーん。この国の王妃。お前の外面に騙される程度の女なんか。これは予想より遥かに事態は最悪やな」
彼は舌打ちをすると、身軽に甲板から港へと飛び降りて来る。両腕を広げて抱き留めようとする仕草を見せたラファエルを無視し、彼は背を向け歩き出す。
「無視すんなよー」
唇を尖らせてラファエルは抗議したが、イアンは立ち止まる。
「……お前、本当に暢気なやつやな」
背を向けたまま、低い声で彼は言った。
「ここがどういうとこか分かってへんのか?」
怒りが滲み出ていた。
「それとも分かってて、事態が理解出来ひんアホなんか?」
来たくてこんな地に来る奴なんかいない。
「お前がどんな経緯でフランス艦隊の指揮官に収まったかは知らん。興味もない! けどお前を送り出した人間がどんな気持ちだったかは分かるわ。いつもふざけたお前でも、愛してくれる人間が一人でもおるんならな。
俺は自分の意志でここに来た。
来たかったわけやない。けど、他の誰かがここに送り込まれるくらいなら、自分が来ようと思った。俺をここに送り出す時、母親が泣いとったわ。小さい頃から優秀な海軍軍人になれ言うて、五歳の子供を海に投げ込んどったおっそろしい母親が。そんな恐ろしい女もまとめて何人も愛妾にしとる豪気な父親も、俺を抱きしめて行って来い言うて震えとった。どんな戦場に送り出す時も「早よ行け」って人のケツ蹴り上げて送り出しとった奴が、んなことすんの初めてやぞ。ここはそういう場所なんや!」
イアンは怒りを露わにして振り返り、ラファエルの胸倉を掴む。
「お前は考えたことあるんか! 今この瞬間に自分の国! 愛する人間が訳分からん理由で、一瞬で、殺されよるかもしれん! その逆もあるやろな! そういう人間を残して自分だけがこの世界から無くなる……その可能性も高いこと、お前全然分かってへんやろ‼」
怒鳴ってラファエルを睨みつけたイアンは、一瞬息を飲んだ。
ラファエルが静かに微笑んでいる。
「――何で笑ってる……」
「いや。まったく、お前の言う通りだなーと思ってさ。ここは確かにそういう所だよ。でも俺の一番愛してる人間はヴェネトにいるから、俺がここにいるうちにそいつだけ吹っ飛ばされて死ぬってことはねーし。俺がここで死んでも好きなやつと一緒なら、まあそれでもいいかなーって。」
イアンは手を放した。
「……なに言ってんねんおまえ……」
気安く応酬をしていた時の表情と、明らかに変わった。
「まあ、そうあまり思いつめるなよ。お前はあれだな。見かけよりもずっと不真面目になれない奴だよな。根は真面目っつーか」
ラファエルは掴まれて乱れた襟元をゆっくりと整えた。
「俺と組んだ方が身のためだ。イアン。長いよしみってやつで、忠告してあげるよ。俺と組むならお前にも恩恵を与えてやるが、俺に牙を剥くなら容赦なく踏み潰すから、覚悟しとけ」
ラファエルはニコッと笑うと、軽くイアンの肩を叩いて歩き出した。
「あいつ何言うてんのやろ。昔から言動の妙な奴やったけどしばらく見ィひん間に以前にも増しておかしくなりよったんちゃうか」
溜息をつき、振り返る。
小高い場所に立つ、ヴェネト王宮を彼は厳しい表情でにらみつけた。
「……そら、こんなとこにおったらおかしくもなるわな」
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