第2話



 螺旋状に階段を上がって行くと、二階の更に上に、続いている。扉を開いて上って行くと、確かに六角形の屋根裏に辿り着いた。脚立があったから上を見ると、屋根を支える柱に立って、ネーリが円形の屋根にはめ込まれたステンドグラスを磨いている。足場はしっかりしていそうだがかなり高い。どうやってあそこまで上がったんだと思うくらい見上げる。

「ネーリ」

「フレディ」

「随分高いな。大丈夫か?」

「平気だよー このステンドグラス磨くの、いつも僕の仕事なんだ」

 それは、さすがに老年の神父にあそこまで上らせるわけには行かないのは分かるが。見てて落ちないか、ハラハラする。

「見て。ピカピカしてる。ここは海を表わしてる部分なんだよ。天地創造のステンドグラスなの。この青。綺麗で大好きなんだー」

 彼は壁に寄り掛かって、ステンドグラスを見ている。

 フェルディナントは見上げていたが、よし、と心を決めて、羽織って来た上着を脱いでそこのテーブルに置き、帯剣した剣も置き、シャツの袖を肘まで捲ると、脚立に手を掛けた。脚立を上って来るフェルディナントに気付いて、ネーリが笑っている。

「大丈夫?」

 平気だこのくらい。俺は竜騎兵だぞ、と思い、脚立を制覇して梁に上ったが、ネーリはまだ三段くらい上の梁だ。どうやって上がるんだ。

「そこの側面に出っ張りが取り付けてあるんだ」

 円形の天井に向かって、確かに金属製の出っ張りが取り付けてある。

「ブーツ脱いだ方がいいかも」

 確かに脚立は登れても出っ張りにはブーツが逆に引っ掛かりそうだ。仕方なく、梁に腰掛けてブーツを脱いだ。下に、控え目に落したのだが、それでもガン! と重い音がした。

ネーリが目を丸くする。

「今そのブーツすごい重そうな音がした」

 竜騎兵のブーツには踵とつま先に鉄板が仕込んである。竜騎兵は竜から降りる時、騎乗したまま竜に着地させる方法と、竜を着地させず、出来るだけ地面に近づかせて、自分が飛び降りて、そのまま竜を空に放つ方法がある。

 戦場など、緊急性のある場合や、竜が下りるほどの場所がない所に降下する時、もしくは、竜の巨体を支えられない建物の上などに降下する時にはこの方法が取られる。その為ブーツに鉄板を仕込み、重くすることで、着地の正確性を高めているのだ。

 あとは竜騎兵同士の戦いでは、高度があるので手綱を馬のように手放すことが出来ない。盾も持てないので、敵の槍や剣を、ブーツの踵やつま先で受ける戦法が取られるから、ブーツは非常に頑丈に出来ている。そのことを全く知らないらしいヴェネツィアーノは驚いたようだ。

「神父様がフレディは神聖ローマ帝国の人だって言ってた。神聖ローマ帝国の軍人さんのブーツってみんなそんな重そうなの?」

「竜騎兵はな」

 裸足になったフェルディナントは、慎重に出っ張りを確かめてから、上って来る。

「りゅうきへい……」

 ネーリは上って来たフェルディナントに手を差し出す。

 その手を借りて、最後の梁に辿り着いた。

 慣れもあるだろうが、身体能力の高いフェルディナントでさえ上って来るのには苦労した。画家だというのにここまで命綱もなく上って来たネーリの運動神経はなかなかだ、と彼は思った。

「このステンドグラスだよ」

 ネーリは更に一番上の足場に上って、水でステンドグラスを拭き、その後に空拭きをして綺麗に磨いている。

 神の天地創造の様子が、六枚のステンドグラスで描かれている。

 確かに美しい。

「海の青、綺麗でしょ」

「うん。よく見ると色が違う」

「そうなんだよー。ちゃんと深い所は濃いの」

「こんなところに、こんな場所があったとは」

 面白いよね。

 掃除をしながら、彼は笑った。

「こんなとこ誰も見ないのに。……でも教会ってそういうことあるんだよ。それは、ここが神さまに捧げられた場所だから。神殿なんだよ。これを作った人は誰に見られなくてもいい、神さまが見て下さればいいって思って、見ていて下さると思ってきっとこんな綺麗なものを一生懸命作ったんだと思うんだ」

 フェルディナントはもう一度、ステンドグラスを見上げる。

「僕も絵を描くから、なんとなく分かるよ。創作をしてると、時々何の前触れもなく、独りぼっちだ、って思う瞬間があるんだ。それでも、その孤独を乗り越えて、一生懸命描かないと、作品は作り出せない。でも結局、好きだから乗り越えられる。一人でもいいやって、開き直るんだ。

 僕はそういう時、作る人は……みんな神さまに見守られてるんだと思うよ。

 孤独が、どうでも良くなる……。……一人でも幸せだって思えることが創作してると必ずあるから。孤独が嫌な時も、孤独でもいい時も、両方ある。結局、その両方があるからこそ、独りじゃないんだって僕は思うんだ」


【エルスタル】が消滅してから、フェルディナントは毎日、孤独に苛む。

 戦っても戦っても、もう取り戻せない。

 自分にもこの先独りじゃないと思える日が、いつか来るのだろうか?

「手伝う」

「えっ。いいよ。フレディ偉い軍人さんなんでしょ? 神父様が言ってた。手伝わせたら悪いよ」

「折角上がって来たから。いいんだ。俺だって自分の部屋の掃除くらい自分でしてる」

 フェルディナントはネーリを見上げた。

「何をすればいい?」

「……ええと……じゃあ、そこに予備の梯子があるから、壁の器具にとりつけて……布巾があるから、ここのステンドグラス拭ける? 僕外側拭くから」

「分かった」

 フェルディナントは言われた通りにして、布巾を手に、磨き始めた。ステンドグラスの枠の所から、細かく丁寧に磨いている。彼の性格を表わしているように、しっかりと綺麗にして行っている。これなら自分が注意することはなにもなさそうだ、とネーリは安心した。

「フレディって軍人さんだけど優しいんだね」

 フェルディナントがそっちをもう一度見ると、ネーリは首を振る。

「あ……軍人さんが冷たいって意味じゃなくて。優しい退役軍人のおじさんとかたくさん教会にも手伝いに来てくれるし。ええっと…………でも軍人さんは使命が第一でしょ? フレディ、制服着てない時もいつも街とか見回ってくれてるし……」

 それはお前に会いに来てるからだ、と言えず、掃除をしてるふりをして誤魔化した。

「……それは、俺はこの街に着任したばかりだし、街のこと、知らなきゃダメだと思って……、ほら、ヴェネツィアは入り組んでるだろ……何かあった時に俺が部隊を率いて出て来なきゃならないのに、俺が道に迷ってたら部下に対してとても情けない」

「んー。勿論それはあると思うけど。でもやっぱりフレディは優しいと思うよー。さっき教会の入り口で子供たちがはしゃいで出てきた時」

「ああ」

「フレディ道を開けるだけじゃなくて、こうやって自分の剣後ろにやってた。あれって子供が引っ掛かって転ばないようにそうしてあげたんでしょ?」

 フェルディナントは驚いた。確かにそうだが、無意識だったので、ネーリがそんな所を見ていると思わなかったのだ。

「咄嗟にああいう仕草が出るって、普段周囲の人のことどうでも良かったり、威張ってるだけの軍人さんなら出来ない仕草だと思うんだ」

「……君はいつもそんな人の細かい仕草を気にして見てるのか?」

「え?」

 窓を開き、外側のステンドグラスを磨いていたネーリ・バルネチアがこちらを見下ろす。

 朝の光に照らされて、黄柱石が美しく輝いていた。

 ああ、と彼は微笑む。

「ぼく好きなんだー。その人の癖とか、些細な仕草とかを見るのが。その人しかしない仕草、とかもあるでしょ。それを見つけると楽しいから」

「画家ってみんなそうなのか?」

「どうだろう? 分かんないけど。外側拭くと更に綺麗に見えるでしょ。ほら、透き通ってる」

 ネーリが外側から青いステンドグラスに手の平で触れる。

 フェルディナントはガラス越しに、そっと同じところに手の平を置いた。

 まるで手が重なっているみたいだ。そんなことだけで、ドキドキして来る。

「うん……そうだな。……きれいだ」

「そういえば、さっき竜騎兵の話してた」

「あ、ああ。」

 手を戻す。

「フレディも竜騎兵……なんだよね?」

「うん」

「じゃあ竜に乗るの?」

「三十騎の竜騎兵が駐屯地に着任してる。普通竜は戦時にしか他国に連れて行けないんだが。今回は皇帝陛下から特別な勅命が降りたため、連れて来れた。でも……あまりヴェネトの人は竜が好きじゃないみたいだな。本当は小隊に日常的にヴェネツィアの空を飛んで、陸の犯罪の抑止力にもしたかったんだが……まあしょうがない」

「禁じられてるの?」

「王妃に、あまり飛ばないでくれと言われたからな。しかし元々竜は神聖ローマ帝国にしか存在しないものだから、他国の人が恐れるのは理解できるよ。巨大だし、姿もフワフワの野ウサギとは違うから」

 ネーリはそう言ったフェルディナントに、くすと笑う。

「そうなんだ。でも僕は竜好きだなぁ。ぼく竜見たことあるよ。触ったことある。小さい頃に」

「え?」

 でも、竜は神聖ローマ帝国にしかいない。竜を見たということは、神聖ローマ帝国に、ネーリが行ったことがあるということだ。

「ネーリは、神聖ローマ帝国に行ったことあるのか……?」

 彼はヴェネトを出たことが無いと言っていた。

「すごく小さい頃にね。おじいちゃんがよく旅行で他の国に連れて行ってくれたんだ。

 でもおじいちゃんが亡くなってからは、ヴェネトを離れたことは一度も無いよ。

 僕が見た竜、まだこのくらいの大きさだった。抱っこ出来たよ。可愛かったー。ずっと、寝てるの」

「幼獣の竜かな……珍しいよ。竜って一年で成獣近い身体に成長する。それにとても長寿だから、小さい姿でいるのはすごく短時間なんだ。それくらいだと生まれてまもなくじゃないかな……。

 竜の卵は、発見されると王家の森で特別に育てられるんだよ。だから幼獣は王家の森でほとんど育つ。例外はないと思うんだが……」

「確かに森の湖畔の館に泊まった時に訪ねて来た人が見せてくれた」

「王家の森には確かに、王家の人間やその友人や親戚を泊める別荘が幾つかあるが……そんな所に招かれるなんて、ネーリの祖父はどういうひとなんだ?」

「僕のおじいちゃん商人だったの。貿易に関わってたから、神聖ローマ帝国の貴族の人とも親交があったのかなあ。でも、僕が六歳くらいの時だったと思う。一度だけそこに行ったことがあって、竜を見たことあるよ」

「そうなのか。でも、王家の森に招かれるなんて相当な身分の貴族だぞ」

「小さい竜って可愛いよねえ。翼も小さいし爪もまだ全然鋭くなくて丸いんだよ」

 ネーリが神聖ローマ帝国に行ったことがあることには驚いたが、そんな風に話している姿にフェルディナントは笑顔を見せた。

「ごはんいっぱい食べるけど、食べた後お腹が重くなって歩けなくなってるのが可愛かった。だから僕が抱っこしてあげたんだ~。でもあの子も一年でそんな大きくなるんだ。長寿ってどのくらい?」

「人の寿命を越えるって言われてるけど、はっきりはよく分からないんだ。すごく開きがあって、個体差もあるみたいだな。長生きのは何百年も生きるのもいる」

「すごい。そうなんだ」

「一度軍役について、人に慣れたものは、王家の森で引退後も飼われてるんだよ。野生のは、……人を襲うかもしれないから処分しないと駄目なんだ。あまり成獣だと、その後人に慣れないのもいるし」

「そうなんだ。知らなかったよ。でもそんな長寿なら、神聖ローマ帝国ってものすごい数の竜がいるんじゃない?」

「いや。あいつら長寿だけど、卵を産むのはとても稀だから、そんなに個体数は増えないんだ。長寿だから減らないけど、数年に一度何個か卵を産むって言われてる。しかも卵の中で二年くらい過ごすから、上手く孵化しないのも多いんだ。親が卵を育てないことも多くて」

「そうなんだ。なんで数年に一度しか卵産まないんだろ?」

「竜は交尾が上手くないんだ。雄も雌も交尾の時は気性が荒くなるから、余程上手く行かないと喧嘩になって、雄が興奮しすぎて雌に重傷負わせることもあるし、雌が交尾の最中気に入らなくてそのまま雄に重傷を負わせることも多い。だから王家の森では交尾の時……」

 話して、ネーリが掃除の手を止め、そうなんだーと初めて聞く話に澄んだ瞳で聞き入ってくれてたが、はた、とフェルディナントは気付いた。

 何を俺はこんな綺麗な朝日の中で竜の交尾の話をしているんだ。しかもここは教会である。これだから俺は、女に「貴方は感動のない人だ」などとよく言われるんだ。

「いや……いいんだ。朝から話すことじゃなかった」

 思わず赤面して謝罪したフェルディナントにネーリは目を丸くしてから、明るく笑いだす。

「別に気にしてないよー。初めて聞くから面白かった。なんか大変そうだけど、でも卵生まれることもあるんだよね?」

「……竜騎兵の竜は、相性のいい雌と本国では側で普段から暮らすようにさせるんだ。それで、交尾のきっかけに関しては本人たちに任せる。品種改良の為に人為的に交尾させようとしたりする時に、よくそういう大変な騒ぎになったりするんだ。自然とそうなった時は、殺し合ったり傷つけあったりする確率も低いんだよ。竜には他の動物みたいに明確な発情期がないんだ」

「発情期が無いってことは、人間みたいに、ある時心が惹かれ合って交尾してるってこと?」

 惹かれ合って……、ネーリが言った時、運悪く丁度目が合ってしまった。

 フェルディナントは赤面する。首を反らした。自分で話し始めておいてなんだが、朝の聖なる教会で竜の交尾の話はこのくらいにしておきたい。

「そ、そうかもしれないな。何にせよ、あいつらの生態はまだ全てが明らかになってるわけじゃないんだ。不思議な能力を持つ個体もいるし……」

「不思議な能力?」

「色んなものがあるけれど、不思議な帰巣本能とかがよく言われる。戦場ではぐれたものが、遠い主の所まで戻ってきたり、傷ついた主を背に乗せたまま、本来辿り着けないほど遠くに短時間で現われたりする話は聞いたことがある」

「へぇ~」

 ネーリは竜に興味津々のようだ。子供みたいに目を輝かせて聞いてくれる。

「フレディも自分の竜を持ってるってことだよね?」

「ああ」

「名前、なんていうの?」

「フェリックスだ」

「フェリックスかあ。いいなぁ見てみたい。フェリックスもフレディと一緒にお仕事でヴェネト王国に来たってことだよね?」

「うん」

「それじゃその子も本国には好きな子がいるの?」

「……フェリックスはまだかなり若い竜なんだ。若い竜は気性も荒くて扱いにくいから、規律を重んじる竜騎兵団の騎竜には向いてないんだけど、フェリックスは俺が子供の頃から育てたから、特別懐いている。だから竜騎兵の騎竜にもなれた。……好きな相手を探すのは、……これからかもな」

「そうなんだ。なんか不思議な生き物だね。会いたい」

「普通竜なんか、人は怖がると思うぞ」

「そうかなあ。神聖ローマ帝国にしかいない貴重な動物だもん。見てみたいよ」

「城に初めて連れて行った時は、王妃が苦虫を噛み潰したような顔をしてたよ。まあでも確かに怖いと思う人もいるだろうな」

「幼獣可愛かったから見たいなぁ」

 ネーリが笑っている。

 掃除が終わったようだ。綺麗にステンドグラスが透き通ってる。

 ネーリがそんなに見たいというのなら、見せるくらい、してやりたいなとフェルディナントは思ってしまった。だがさすがに駐屯地に一般人を招き入れるわけにもいかない。かといって怪物が徘徊する! などと噂が立っているヴェネツィアの街に竜を連れて来たら大変な騒ぎになるだろう。守護職としてフェルディナントは無駄に民の不安を煽るようなことは決して出来なかった。

 しかしネーリはあの美しい絵の数々を見せてくれた。フェルディナントはこの街に来て初めて心が救われたのだ。自分に素晴らしい絵は描けないけれど、竜を見せるくらいのことは出来る。

 ふと、絵のことを思い出した。

「ネーリ。君の住まいはあの干潟にあるって言ってたな?」

 ネーリがきょとんとする。

「うん」

「駐屯地に一般人は入れられないし、ヴェネツィアの街は通報されると厄介だから竜を連れて来れないんだ。だが、周辺域の見回りなら単騎で俺もしているから、あの干潟でなら見せてやれると思うが……」

「ほんとに?」

 ネーリの表情が輝く。

「でも本当に……怖いかもしれないぞ」

 念のために聞いたが、ネーリは首を振った。

「怖くてもいい。珍しい動物だもの。見たら僕にも竜の絵が描けるかなあ」

 人によっては恐怖を覚えるほどの高場に座り、彼は楽しそうに足を揺らしている。

「干潟に戻ることがあったら教えてくれ。フェリックスを連れて行くよ」

「わぁ~ 約束だよ!」


◇   ◇   ◇


 屋根裏から降りて来ると、二階の通路に並んでいるネーリの絵に、フェルディナントが足を止める。

「欲しいものがあったらまた持って帰る?」

「え?」

「フレディならいいよ。好きなの持って帰って」

 今日のお礼だよ。

 思わずネーリの手を取っていた。


「ネーリ」


「ん?」

 屈託なく笑って一階へ降りていこうとした彼は振り返る。

「どうして君の絵を売らないんだ?」

「え?」

 フェルディナントはその時は、真剣な表情でネーリを見下ろして来た。

「君の絵は素晴らしいよ。俺が……、あまり芸術の分からない私でも、君の絵を見てとても感動した。確かに、君が好きで描いてるのだから、売ることが全てじゃないかもしれないが……、その、私も王宮に関わってはいるから、宮廷画家は見たことがある。彼らがどういう暮らしをしているのか。

 君は王宮に招かれて過ごしてもいい人だ。

 君の絵も。王宮に飾られてもいい絵だ。

 どうして売らないんだ? あんな素晴らしい絵……」

 こんな鍵もかからない聖堂の奥の部屋で、朽ちた床に毛布一枚で寝転がって、眠っていい人じゃない。

「描いた君が手放したくなくて所有してるならいい。でも何故こんな簡単に人にあげようとしてしまうんだ? だったら、ちゃんと売って……金にした方がいい。そうしたらそのお金でまた絵が描ける。もっといい場所で、自由に」

「フレディ」

 ネーリは優しい声で呼んだ。

 本当に彼が自分を心配して、善意でそう言ってくれてることは分かったからだ。

「僕にとって、ここはいい所だよ。いつ来ても扉が開いていて、僕を温かく神父様は迎えてくれるし、朝まで寝るのを忘れて描いても、怒られない。信者や子供たちが特別な日に贈ってあげると、とても喜んでくれる。ありがとうネーリ、特別な贈り物だよって。僕は何も持ってないけど、絵を描けばここでは喜んでもらえる。僕にとっては、すごい幸せなことなんだ」

「……君は今の暮らしが嬉しいのか?」

 もっといい所に行けるのに。


「幸せに思ってる」


 嘘だ、とフェルディナントは思った。

 彼ほどの人ならもっと幸せになれるのに。



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