第8話

 踊りが上手く踊れない。

 頑張ったけど、何回も相手のご令嬢の足を踏んでしまい、最後まで笑顔では踊ってくれたけど、踊り終わるととても怖い顔で睨まれたんだ、と泣いている。しかも名門のご令嬢はしっかり友人たちに「あいつはダンス下手くそよ」と言いつけたらしく、夜会では誰もラファエルを誘ってくれなくなってしまったし、踊っていると、くすくすと嘲笑う声がする。

「……きみって色んな悩みを抱えてるんだねえ……。」

 ジィナイースは久しぶりに会った夜会でラファエルがまた一人で泣いていたので、話を聞くと、大きなヘリオドールの瞳を瞬かせて、そんな風に言った。

「分かってるよ! 呆れてるんだろジィナイース。ぼくだって、もっと、いろんなことちゃんとやりたいけど、出来ないんだもの……!」

 泣き出したラファエルの頬にハンカチで触れて、ジィナイースは涙を拭いてやる。それからよしよし、というように輝く金髪を優しく撫でて、抱きしめてくれた。

 ジィナイース・テラは、時折夜会に来なくなることがあった。なんでも貿易商の祖父が彼をとても可愛がっていて、旅に出る時は必ず連れて行くらしい。ラファエルは夜会にジィナイースがいないと寂しくてたまらなかった。途端に心細くなるのだ。

「呆れたりしないよー。ラファエル。ぼく、踊りはおじいちゃんに教えてもらって、いっぱい踊れるから、君に教えてあげるよ」

 踊ろ、とジィナイースはラファエルの手を取って庭の広い所に連れて行った。

「でももう……きっと誰も僕とは踊ってくれないよ……嫌われちゃったもん……」

 そんなことないよ。ジィナイースは笑っている。

「上手くなったら、きっとラファエルと踊りたいってみんな思ってくれるよ。君はこんなに素敵なんだもの」

 ジィナイースはラファエルの両手を優しく掴むと、最初の踊り出しの体勢を教えてくれた。

「女の子をちゃんとリード出来るように、君が男性用パートをやってね。僕が女性用パートをしてあげるから」

「う、うん」

「緊張しちゃダメだよラファエル。踊りはこうやって手を相手と合わせるから、君が緊張すると、相手にもそれが伝わっちゃう。不安になると、ダンスは楽しめないからね」

 ジィナイースはラファエルの瞳を覗き込んで微笑んだ。

「優しく手を持って、優しく目を見つめてあげることが一番大切だよ」

「う、うん。わかった。がんばる」

「僕の足だから、何度踏んでも大丈夫だからね。ゆっくり踊って行くから、ついてきてね」

「うん」

 ジィナイースは本当に、ラファエルが無理なく踊れるくらいのゆっくりとしたテンポで踊ってくれた。

「君は踊るのが好き?」

「好きだよ。踊ると、相手のことが分かるんだ。どんな人か。優しい人は、踊り方も優しいんだよ。こっちに合わせようとしてくれたり、周囲とぶつからないようにとか、色々考えて踊ってくれるのが伝わって来るし、踊りが好きな人は、こっちまで楽しい気持ちにさせてくれるんだ。

 最初は、あんまり上手く合わせられなくても、相手と気持ち良く踊りたいなって思って、こっちが一生懸命、合わせようとすると、曲が終わる頃にはいつの間にか、相手もちょっと心を開いてくれたりすることもある。すごく嬉しくなる」

 踊りながら、ジィナイースが本当に嬉しそうにそう言ったから、ラファエルも笑顔になった。

 いいなあ。ぼくもそんな風に踊れるようになりたい。

「ぼくも君みたいに上手く踊れるようになるかなあ……。一緒に踊ってるひとを、こうやって明るい気持ちにさせてあげられるように」

 ジィナイースは微笑った。

「なれるよ」

「ほんとに?」

「もう明るい気持ちにさせてあげれてるもの」

 ラファエルは青い瞳を驚いたように丸くしたが、頬を染め、ありがとうと小さく呟いて、それから顔を上げた。

 ジィナイースは、いつもラファエルの心が温かくなるような言葉をくれる。

「僕が上手くなったらジィナイースも僕と踊ってくれる?」

「もちろんだよ」

 ヘリオドールの瞳が水辺の光に輝いている。



 ……ふっ。



 ラファエル・イーシャは夢から醒めると同時に笑っていた。

 見慣れない豪奢な天蓋付きベッドの天井を見上げる。

 美しい宗教画。

 信仰。

 慈愛。

 優美。

 ラファエルは宗教画に描かれた天使を見ると、全部同じに見える。

 光り輝く、優しきもの。

 そのすべての叡智と愛情深さが宿る瞳の色は、ただひとつ。

 黄柱石ヘリオドールであるべきだと、彼は信じている。

 それが彼の、唯一抱えた絶対的な信仰だ。


 シビュラの塔が三つの国に対して行った殺戮のことは、聞いた。

 確か夜会の最中だったと思う。報せが来たのだ。

 ヴェネト王国が、シビュラの塔を起動させ、世界に災いをもたらそうとしている。何としても真相を探り、出来ればこの塔を封じ込め、或いは破壊しなければならない。危険な任務になるが、誰ぞあの地に赴く者はおらぬか、と父であるオルレアン公が言った時、ラファエルは迷いもなく手を上げていた。

 幸せだった短い少年時代が終わると、彼とは引き離された。

 違う国に生きる者だったから。

 彼がヴェネト王国の王統で、ただ幼少期、イタリアに居住している祖父のもとに預けられて育っただけだったことを知った時、ラファエルは涙が出た。ずっと、彼は自分の側にいてくれて、生涯仲良くしていけると信じ込んでいたからだ。

 海が遠く隔つ、海洋国ヴェネトにジィナイースが去ってしまうと、孤独に苛んだ。

 心の支えは、彼にもらったたくさんの美しい絵と、輝くような言葉と、踊ることの楽しさ。

 その人がそこにいるだけで、幸せな気持ちにさせてくれるような、自分もそんな人間になりたいと思って、周囲の人に優しくするようになった。すると、人が自分のことも、愛してくれるようになった。

 本当の孤独は癒されなくても、彼女達といると、寂しさが紛れたから。だからラファエルは、【彼女達】を大切にするのだ。心から、自分を支えてくれる存在だと感じるから。


 ――信じられなかった。


 この地に来ても彼は一切、信じていなかった。

 きっとその、実権を握っている王妃か、病床の王とやらが、全てを主導して世界に対して殺戮を行ったと思ったのだ。

(平和や美しいことを愛するジィナイースの魂は、必ず傷ついてる)

 だから自分が、側に行ってやらねばと思った。

 紛れもなく使命感で、ラファエルはこの地にやって来たのだ。


『初めまして』


 会った瞬間に全てが分かった。

『……踊りは少し苦手で』

 頭上に描かれた神託をもたらす天使の絵。

 ラファエル・イーシャはゆっくりと身を起こすと、目元に掛かって来た輝く金髪を掻き上げた。

 ザザ……と鬱陶しいほどの水の音が聞こえて来る外の景色へと、青い瞳を向ける。


「……本当に面白いことになりそうだよねぇ。」


 城で会った、似ても似つかない紅玉髄カーネリアンを思い出す。

 見てないと思っていたって。

 神様ってのはどこかで見ているものなんだよ。

 ジィナイース・テラ君。

 悪いことってのは出来ないもんだねえ。

 貴公子は唇に蕩けるような微笑を浮かべた。

 瞳の奥に、普段は飼い慣らし眠らせている、獰猛な光を揺らめかせて。






【終】

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