第5話

「よくお越しになられました。オルレアン家のラファエル・イーシャ殿。貴方の噂は我が宮廷まで届いておりますよ」

「ありがとうございます。港に降り立った時にも温かく迎えていただき、驚きました。ヴェネトの皆様のお心遣いに感謝いたします。陛下のお具合はいかがでしょうか」

「冬の寒さが陛下のお体には随分堪えるようで……でも暖かくなったら大分お元気になりました。夏はまた暑さが苦しいものですけれど……今年の夏はフランス社交界の華である貴方が逗留して下さるのですから。本当に噂通りの美しい貴公子ですこと。貴方の瞳はサファイアのようと令嬢達が話していましたわ」

「こちらはフランス王の親書にございます。陛下。それにしても本当に美しい水上都市ですねヴェネトは……」

「気に入っていただけたかしら」

「勿論。最近この美しい海の宝石を狙い、蛮族共が近海をうろついているようですが……。

フランス王より派遣された我がオルレアン艦隊が、陛下、妃殿下を煩わせる輩には、この美しい都には指一本触れさせません。どうぞご信頼下さい」

「まあ。なんと頼もしい言葉かしら。陛下も回復なされたら、一番に貴方と対面を望まれるでしょう」

 美しき王妃は華やかに微笑んだ。


(なんだ)


 ラファエルも貴公子の微笑を振りまきながら。

(確かに美人は美人だけど。思ってたより全然なんかフツーだな)

 ラファエルはまだ若いが、ことに女性に関してはこの歳にして百戦錬磨である。彼は剣士レベルは4くらいだが、女性博士としてのレベルは40000000くらいある。女性ならありとあらゆる年代の、様々な身分の女性たちを「僕の可愛い恋人」と呼んで口説いて来たのである。例え言葉の通じない国の女性だって、ラファエルの敵ではなかった。想いを込めて見つめれば、絶対に好きになってもらえるのである。

 だからそんな彼は今や、単なる美人などでは歯ごたえがない。勿論美しい女性は大好きだが、ラファエルは今回、期待してこのヴェネト王宮にやって来たのだ。

 欧州各国ではヴェネト王妃は悪名名高い。夫の国王が病床なのをいいことに実権を握っていて、【シビュラの塔】を発動させたのもこの女ではないかなどとさえ言われていた。

 ラファエルは思うのだ。

 女の分際で三つの国を消滅させ、世界を敵に回して、大国相手に顔を見せに来いなどと、大した度胸だと思う。しかも美しいなどと言われればぜひ見てみたくなるではないか。

美しい器に、子供のように無邪気な残酷と悪心が宿る。しかも生半可な邪悪ではない。人を殺す類いのものだ。

 古代の神話には、残酷性を否定しない美しい女神も存在する。

 美しき悪の女神。

 さすがにまだそれは相まみえたことはなかった。

 是非ともお目にかかってみたい。そう思って今宵やって来たのだ。

(ぜんぜんフツーだな)

 期待し過ぎてたか。

 話す言葉も、一挙一動も、もっと特別な女性かと思ってた。

 もっと気高く、覇気を纏い、声も、瞳も、笑い方も魅力的なのかと思っていた。

 それこそ、ああそんなこの人が、邪悪な心にひとかけらの慈悲でも持っていてくれたらばと祈らずにはいられないくらい、こっちを夢中にさせてくれる特別な人なのかと思っていたのに。この程度なら単なる悪い女じゃないか。

(がっかりしちゃったよ)

 ラファエルの耳にはもうあまり上機嫌で話す王妃の言葉は聞こえていなかった。

 だが。

「そうだわ。私ばかりが楽しく話してしまって。

 貴方にぜひ紹介しておきたいのです。

 我が国の王太子。ジィナイース・テラです」

 美貌の王妃がどこかを手招いた。

 着飾った一人の青年が歩いて来る。

 濃い茶色の髪に――紅玉髄カーネリアンの瞳。

 振り返ったラファエルは微かに息を飲んだ。


「初めまして」


 王子が手を差し出して来る。数秒、その手を見つめてラファエルは「ああ」と微笑み、優しく彼の手を取ると、手の甲に唇を寄せる仕草を見せた。

「お会い出来て光栄です。殿下」

「ようこそ我が国へいらっしゃいました」

「殿下は来月、十六歳になられます。我が国では十六になれば、王位継承の儀を受けられるようになります。陛下は自らのお具合が悪いので、王位は早々に殿下に譲り、私と共に摂政として、殿下に助言し国を治めていきたいと考えておられます。此度は貴方がたにこの国の護りをお願いしたけれど、我がヴェネトの民は戦う力をあまり持ちません。ですから、皆様にしばらく逗留していただく中で、この方はと思う人に、そのまま国にお留まり頂き、我が王子の名のもとに創立させる聖騎士団の、団長位を預けようと思っていますの。

まだスペインの方はいらっしゃっていないので、無論これから皆さまの働きぶりを踏まえて、と思ってはおりますが……けれど私としては、貴方のように明るく溌溂とした騎士様に殿下の側にいていただきたく思いますわ。殿下は文武両道であらせますけれど、お父上似で気性はお優しい方。夜会などでも数多のご令嬢が殿下と踊りたいという顔で待っていらっしゃるのに、控え目でいらっしゃるので困るのです」

 ラファエルは笑った。

「それはいけない。踊りは楽しいですよ、殿下。一曲踊ればそれだけで相手の令嬢がどんな方なのかが大体わかります。自分を好きでいてくれるのか、踊る時に周囲をよく見る方なのか、踊る時だけは天真爛漫な表情を見せて下さる方や、最初は心を開いていなくても、こちらが優しくリードすれば、終わる頃には打ち解けて信頼して下さる方もいらっしゃる。

いずれ殿下は王となられるならば、当然、花嫁探しは陛下も真剣にお悩みでしょう」

「……わたしは、踊りは少し苦手で」

「そうなのですか?」

「踊れないことはないのですが、上手くないと思います」

「なんだそんなこと。よろしければ、上手くなれるよう踊りくらいいくらでも私が教えて差し上げます。遠慮なくお申し付けください」

「そうなのです。ラファエル様。仰る通りなのですよ。我が王宮で連日このような夜会を開いているのは、これぞという方を我が国にお呼びして、殿下に会っていただく為なのですが。貴方はフランス社交界随一の大輪と聞いておりますわ。護衛として来られたのは重々承知ですけれど、社交界のことなど、少し殿下にお教え願えたらと……」

 ラファエルは華やかに微笑む。

「とんでもない。こちらこそ、そのようなことでお力になれるならば喜んで。私はどうせ勇猛果敢な神聖ローマ帝国の方やスペインの方には、戦功において遠く及ばないでしょう。

せめてそんなことくらいでは頼りにしていただきたい」

 王妃は笑った。やはり、笑っても美しい人だが、それだけだな、と思わせる笑顔だった。

「そんなことはありませんわ。分かっておりますのよ。王弟オルレアン公の最も愛する末の息子にして、フランス王のお気に入り。ラファエル・イーシャ様。貴方の戦功が劣るのは、高貴な方々が貴方を気に入って戦場に出したがらないような方だからにございましょう? 貴方のように生まれながらに高貴な方々に愛されて育ってきた方は、何もかも優秀になさること、私は知っておりますのよ」

「そう期待していただければ、光栄です。妃殿下」

「殿下。少し王宮など、ラファエル様に案内して差し上げたらいかが? 貴方たちは歳も近しいのですから、きっとすぐに打ち解けますわ」

「お願いしてもよろしいでしょうか?」

 ラファエルは優雅に、芝居がかった仕草で王太子に一礼する。

「もちろん。ではこちらに。行ってまいります、母上」

「王宮随一の貴公子二人が席を外すとは。今宵の令嬢たちは可哀想ですこと。待ちぼうけね」

 王妃は二人の様子を微笑ましそうに見送り、そんな風に笑った。


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