第3話
ふわぁ。
「……まだ扉は開いてませんからね、ギリギリセーフですよラファエル。でも外で欠伸したら本当にまた鳩尾を攻撃しますからね私は……。いいですか、この夜会の間は、一瞬たりとも気を抜かないでください。ここはフランス本国ではないのです。いつどこでなにものが見たり聞いたりしているか分かりません。ヴェネト側も、フランス・スペイン・神聖ローマ帝国の三国を招いたということは、恐らく、この三国の中から自分たちの軍事的なパートナーを選ぶつもりなのですから。いつどこで何者が貴方を見ていても、感じのいい青年だわ~と思われるようにしてください!」
ふわぁ。二連発だ。
「ん~~~でも俺が別に感じのいい青年だわ~~~って思われなくても、父上ご自慢のフランス海軍の駆逐艦八隻がビシッ! としてくれてれば、素敵な海軍だわ~~~って思ってくれるんじゃないかなあ」
「ダメです! 確かに我が海軍は本来イングランド戦線に投入したかった最新鋭の駆逐艦八隻をこんなところ……あっ! ヴェネト王国に派遣したわけですが、オルレアンローズはどこに出しても恥ずかしくない自慢の部隊とはいえ、総指揮官たる貴方が王妃の前で欠伸三昧では心象は地獄に転げ落ちるように瞬く間に落ちていきますよ! 普段はどうであれ、今は貴方は海軍の顔なのです! 例え海の上苦手で最新鋭の駆逐艦で船酔いするような総指揮官ですが顔です! 我がフランス艦隊の顔に泥を塗らぬよう、夜会には一球入魂の気持ちで臨んで下さい‼」
「うるさいな~ 海の上嫌いなんだよ……波の音四六時中五月蝿いし、地面は四六時中揺れてるし、四六時中しょっぱいし……おまえ今さりげなく『こんなところ』とか言っただろ」
副官のアルシャンドレ・ルゴーは半眼になる。
「ならなんでお父上が誰ぞヴェネトへ行く者はおらぬか! と仰ったときにあんな元気よく『はーい』って手を上げるんですか」
「いや……てっきりいつもみたいに兄上たちも我よ我よと手を上げるかと思って……。いっつもそうじゃん。だから俺もつい付き合いで上げておかなきゃダメかなーと思っちゃって。協調性を乱す奴とか思われたら嫌じゃん? でも上げた時ほんとに俺だけだったな。面白かったわアハハ」
「暢気はやめてください、ラファエル様。遊びではありませんよ。【エルスタル】【アルメリア】【ファレーズ】の三つの国は、冗談ではなく一瞬でこの地上から消滅してしまったのです」
「でもさぁー根本的なこと指摘するけど、三つの国が消滅したのが現実なのは分かったけど、ホントに【シビュラの塔】が消滅させたの?」
「……どういうことです?」
「だからー 戦場だと、バーン! あっ! 隊長あいつが撃ちました! って言えるけど、シビュラの塔が実際ドーン! って火を噴いて消滅させるとこ誰か見たわけ?」
「隣国の者が、真っ赤に燃える空や、星のような影が落ちていくのを見たそうですよ」
「んでも火を噴いた瞬間を見たやつはいないわけでしょ?」
「いませんが、三つの国を一晩で消滅させられる化け物など、あの古代兵器の他にないでしょう。シビュラの塔が滅ぼしたんです。いいですかラファエル様。そうだと思ってヴェネト王国の者と対談しなければ、足元を掬われますよ!」
「わかったわかった」
「ほんとに分かってるのかなこの人は……。ホントなんだってよりによってこんな重要な案件にやる気になっちゃったんだろ……」
「それは悪魔のような非情の心を持ちながら美女と名高い海洋国ヴェネトの王妃様を一目見てみたいと思ったから……あ。」
口笛を吹いてそんな風に言ったラファエルは、すぐに目の前の副官が食らいついて来る三秒前の犬みたいな険しい顔で、ぶるぶる震えていることに気付いた。
「あんたまさか本当にそんな下らない理由でこれに志願したわけじゃ……」
常日頃からこのオルレアン公ご自慢の若き公爵殿は『世界中の美女を全制覇したい』などと本気で言っているから油断出来ないのである。男のアホみたいなことを言っているラファエル・イーシャだが、女に相手にされてなければ何の問題もない。
問題は、この見かけだけは比類なき貴公子に本気で「今宵の恋人は貴方にする」などと見つめられ言い寄られると、令嬢たちは嘘みたいに蕩けた顔になり絆されてしまうことだった。本国では彼と寝た女を全員招集して艦隊に乗せたら大型艦が重量オーバーで沈没するとまで言われているのである。
昔からその手の噂はあった殿下なのだが、公爵位を得て独立すると、あっという間に古今東西のフランス令嬢、貴婦人、未亡人とお近づきになってしまった。
一応一年の派遣と定められた今回の出兵に、まさかラファエルが総指揮官になるとは思ってなかった貴婦人たちは、一年も彼に会えないと泣き暮らすことになるだろう。
(でも確かに、この人が本国を離れたがるとは思わなかったな)
彼はオルレアン公の寵愛する末息子だが、実は現フランス王もラファエルを気に入っており、自分の息子が王位についた時に補佐として王宮に迎えたいと公言しているほどだった。
ラファエルは戦の才能は全く無いが、芸術の才に優れていた。彼自身が表現者というより、芸術を見る目があるのである。多彩な方面に知識があり、話術も巧みなので、同じように芸術を愛する現フランス王は、まるで自分の息子のようにラファエルを可愛がっている。
王からの寵愛。
父親からの期待。
数多の美しい女性たちとの情事。
彼の現在も未来も、光り輝いている。
確かに、手のかかる殿下だが、こんなところにいるべき人ではないのは、ルゴーも納得する。ここはある意味、得体の知れない敵地だ。命を失う可能性もある危険な場所である。
「ラファエル様」
「ん?」
「貴方に妙な疑惑を持ちたくないので、お聞きしますが、本当に、ご自分の意志でネヴェト行きを志願されたのですか?」
「?」
「なにか……王から密命など……」
ラファエルが吹き出す。
「期待させて悪いけど、本当に陛下から要請などはなかったよ。それは、お世話になってる陛下のお役には立ちたいと思うけれど、興味が無いならさすがにこんなところ来ないさ」
公言していないだけで、ヴェネト王国が世界に対して、【シビュラ】の砲口を向けているのは確かなのだ。今の時期、この地に来ることは、外交的な意味合いは勿論あったが、ある意味でいつ命を失ってもおかしくない状況である。
不気味な拮抗の中にヴェネト王国、この王都ヴェネツィアはあり、
例えば、件の王妃の要請でこの地に集ったフランス・スペイン・神聖ローマ帝国の三国は、母国を事実の人質に取られた状態とも言える。
だから、そこまで醜悪な性格ではないだろうとは思ってはいるが、件の王妃は、極論で言えば自らは玉座に座ったまま、三国の使者に対して「殺し合え」と命令することも可能なのである。
お前たちの母国は射程内に入っているのだから、それは分かっているだろうな、という意味合いがこの地にはある。だから各国も、使者を誰にするかは頭を悩ませたはずだ。
そんな戦場の最前線のようなこの地に、例えば王太子のような存在を使者として派遣するわけにもいかず、だからといって外交的に凡庸な人間や、価値のない人間を派遣しても、ヴェネト王国を尊重していない、と王妃は見るだろう。外交的、戦術的、そして身分的にもヴェネト王宮に対して格で劣らない人材を、絶妙な塩梅で選ばなければならない。
例えばラファエルのことにしても、実は使節団の総指揮官については、王から、実弟である王弟オルレアン公に、絶妙な人材を選定してほしいと依頼があったのだが、ラファエル・イーシャが選ばれると、王は反対した。彼にもしものことがあってはならぬ、とわざわざオルレアン城にまでやって来て説得しようとしていたほどだ。
結局、本人が陛下の為、国のために今こそ役に立ちたいと言っておりますからと、オルレアン公が兄を説得し、ラファエルが選定された。
フランス王の愛妾の中でも、最も美しく、性格も柔和で、その美しさを惜しみフランス王が彼女の為だけに与えたアンボワーズの城から滅多に出したがらない為、【ロワールの奇蹟】と謳われるアンボワーズ伯爵夫人クレメンティーヌ・ラティマを連れてまで、説得にやって来たのだから、王がいかにヴェネト王国訪問を危険視しているかは伝わって来る。
実際、その時も今も、ヴェネト王国に喜んでやって来ようとする者など、いない風潮なのだ。ラファエルが手を上げなかったら、使節団総指揮官の選定はもっと難航していただろう。
「……そうですよね……。……はっ! そうですよね、じゃないですね⁉」
ラファエルは白い手袋を嵌めながら笑った。
「俺も気を付けるが、お前も頑張って失言はするなよルゴー。ここはフランスじゃないんだからな。さすがの俺も『あら、あの青年感じいいけど、副官はなんだか感じ悪いわね。ヴェネトを舐めてるわ』などと思われたら庇ってやれないからな」
「わ、分かっています。それは……なるべく外では寡黙にしようと心掛けるつもりです」
「まあ、あまり気を張るな。それじゃ一年持たない。そんなことより他に注意事項はないのか? 王宮に入ったら俺はヴェネト王宮にいる美女の顔を覚えることだけに集中するからな。お前の小言は聞いてやれん」
ラファエル・イーシャは「あいつが女に掛ける集中力と勤勉さを全て剣術に捧げて修練すれば、天才的な剣術士になるだろう」と言われている人物だった。
「ヴェネト国王 エスカリーゴ・ザイツ。
王妃セルピナ・ビューレイ。
王太子ジィナイース・テラ。
この三人だけきちんと頭に入れていただければ結構です。美女の顔を覚えるのは構いませんから、くれぐれも初日から声掛け百人切りとかしないでくださいね。王宮では常に王妃の目が光っていると思って下さい。素行の悪さは厳禁です」
「お前は俺のお母様かなんかか?」
「あっと……そうだ……。一応、これだけはお話しておきます。他の二国の使節団ですが、神聖ローマ帝国から派遣されたのはフェルディナント・アーク将軍です」
「なんか俺でも聞いたことある」
戦場の話はからっきしダメなラファエルが、馬車の中の鏡で襟元を整えながら、言った。
「当たり前ですよ……神聖ローマ帝国北方方面軍を率いていたフェルディナント将軍です。ブザンソン城壁を陥落させ、ランス、ディジョンを侵攻し、ヴェルサイユ宮攻防戦にまで持ち込み、イル・ド・フランスを三年に渡って震撼させた人物です。貴方のご友人も何人も一時虜囚の身になっていたでしょう。彼の率いる竜騎兵団は神聖ローマ帝国軍、皇帝直属の五軍団において最強と名高い。ブザンソン城壁が陥落したのは我が国の歴史始まって以来のことです。要するに、貴方と違い、生粋の戦場の指揮官を神聖ローマ帝国は使節団の総指揮官として送り込んで来たということになりますね」
「ふーん。んでもちょっとヴェネト王宮で外交するには、実戦の指揮官過ぎない?」
「そう! そうなんです! ラファエル様、剣技では貴方は天地が引っ繰り返ってもフェルディナント将軍には勝てませんが! ヴェネト王宮では外交を行うのが目的です! 確かにフェルディナント将軍は戦場での戦功は随一ですが、王宮となると彼のその輝かしい戦功が、逆に王妃側を警戒させるかもしれません。その点貴方は最初は『わたしラファエル・イーシャなんて興味ないわよ。ぷん!』みたいなご令嬢とも夜会が終わる頃にはイチャイチャしてるほどの信じられない外交力を持つ方ですから、ぜひその類い稀な不思議な能力を発揮してください。それさえ成功すれば、神聖ローマ帝国など我がフランスの敵ではありません!」
「んー。一応確認するけど、今俺誉められてるんだよね?」
「何言ってるんですか。誉めたでしょうちゃんと。スペイン海軍の使節団の詳細はまだ明らかになってません。……が、一つ懸念されることが」
「ヴェネトの食事美味しくないの?」
「美味しいです。そういう懸念じゃありません。フェルディナント将軍は元々、母方の所縁あるスペイン陸軍で士官候補生をしておられたそうです。ですから、スペイン方面に顔が利く方なのです。もしかしたら今回の抜擢の真の狙いはそこにあるかもしれません。スペインと神聖ローマ帝国が結託したら……」
「俺ひとりぼっちじゃん」
「そういうことになりますね」
「なによ~。一緒に苦労する三匹じゃなかったわけ?」
「二国が結託し、我がフランスを窮地に追いやる作戦が行われるかもしれませんので、スペイン使節団が到着後は一層警戒を怠らぬようご注意ください」
「悪いけど、俺そういうのほんと駄目なんだよね? レディの熱い視線は絶対気づく自信があるけど、野郎の悪巧みとかされてても絶対気付けない。もし『我がフランスを窮地に追いやる作戦』が発動してたらお前が気付いて、俺に合図送ってくれる? ものすごく分かりやすくしてね。絶対気付けるように」
「……分かりました……その時は大きなバッテンでも頭の上に出して教えて差し上げます……」
ルゴーは脱力して、頭を押さえた。
それを確認してから、ラファエルは光り輝くように微笑んだ。
華やかな帽子を被る。
「――さぁ、行こうか」
馬車の扉が開き、ラファエルが王宮のガーデンに降り立つと、華やかな容姿をした貴公子の登場に、拍手が降り注いだ。
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