第2話 海老と皮蛋と栗のお粥

 金蘭軒という藍染あいぞめの暖簾のれんのかかったその店は繁華街の少し外れにあった。

町中華だと普通は赤い暖簾のれんだろうが、厚手のあい染めの暖簾のれんがかかっていた。

渋いな、と湊人みなとはしっかりとした布地に触れた。

建物自体は古いようだが、内装は明るく新しいようだった。


床は色とりどりのタイルが敷き詰められていて、食堂なのに銭湯みたいというので、お客から面白がられている。

熱帯の植物が描かれた壁紙に、ターコイズ色のカーテン。

なかなか小洒落たデザインだと、湊人みなとは興味を惹かれた。


虹子にじこは、そっと仔猫達を持ち上げて、鉄鍋から毛布を敷き詰めた段ボールに移した。

本当は猫ミルクが良いのだが、すぐに手に入らない場合は、お湯で薄めた牛乳に卵黄と砂糖を加えた物を与えると良いらしい。

LINEで友人に聞いたらそう返事が返ってきた。

つまり薄いカスタードソースみたいな物を作ればいいらしい。

小鍋で作り、手早く用意して小さなボウルに移した。

湊人みなとが見かねて声をかけた。


「・・・あの、それだと・・・溺れちゃいませんか・・・」


どう見ても仔猫より大きい、小ぶりのご飯茶碗飯程もある。


「・・・ああ、そっか・・・」


大体、まだ自力で飲むのは難しいだろう。

虹子にじこは、コンビニでスポイトって売ってたっけ?と首を傾げた。


「ストローって、ありますか?」


湊人みなとに言われて、虹子にじこは棚から出したストローを手渡した。

湊人みなとはストローの端を碗に入れて、反対側を指で押さえながら吸い取ると、手の中に収めた仔猫の口元にそっと与えた。

仔猫はハッとしたように一瞬止まって口を開けて、必死に飲み込んでいた。

思わず良かった、と二人は微笑んだ。

結局、授乳は三十分以上かかった。

満足したようで、仔猫達は毛布の上で寝入ってしまった。

さて、と虹子にじこは本日最初のお客に向き直った。


「お待たせしちゃって」


温かいお茶を出してから、キッチンに向かう。

下ごしらえはしてあるので、そう時間も掛からずに出来上がった。


「はい、お待たせしました。海老えび皮蛋ピータンのお粥と、舞茸と牡蠣かきのグラタン、栗のスープ、デザートはとろろのお餅入りの胡麻のお汁粉になります」


食欲を誘う香りと、それから優しい色合い。

湊人みなとは久しぶりにきちんと調理された食べ物に相対したと少し感動していた。

つるりとした塗りのスプーンを手に持つと、お粥をすくい上げた。

中華粥という物だろう。

自分が知っている粒々のお粥よりはだいぶ液状だ。

だが、それがいい。

まるでスープのようにスルスルと喉も体も潤して行くようだ。

海老はぷりんと丸い餃子のような雲呑わんたんにしてあり、口の中でほぐれて行くのがたまらない。実は皮蛋ピータンは苦手だったが、米に溶け込んでコクを出していた。

勇気づけられたような気持ちになり、牡蠣かきのグラタンにも箸をつけた。

海の味が口いっぱいに広がった。舞茸は一度炙ってあるらしく、驚く程香ばしい。

くりのスープは、ナッツのような滑らかさと甘みに、口の中がぎゅっと一瞬痺れるように感じて、夢中で飲み干した。


虹子にじこはカウンターの席に座って、その様子をほっとした気持ちで眺めながら、自分も同じ物を口に運んでいた。

すぐ隣の箱の中の毛布の隙間では、仔猫がすっかり寝入っている。

デザートの、ふわふわとろとろした山芋の餅と、こってりと滑らかな胡麻汁粉ごましるこもすっかり平らげた頃、虹子にじこが金魚が描かれたティーカップを運んできた。

丸ごとの小さなミカンのようなものが入っていた。


金柑きんかんのお茶です。そろそろ乾燥するし、冷えてくるからね」

自分もそう言って、マグカップに口をつけていた。


「・・・いや。あの、すごく美味しかったです」

「あら、良かった」


お世辞では無く、本当だった。

腹が温まり、額にうっすらと汗をかいていた。

それで、ここのところどこかが温かいと感じた事はなかったという事に気付いた。


「・・・でも何だか。全体的にとろみがあるというか、病人食のようなだなあと・・・」


こんなに何でもかんでもやわらかい物ばかりの定食なんてどこでも食ったことはない。

そう、そこね、と虹子にじこが頷いた。


「まさにそこ。病人とまでは言わないけれど。今のお客様に必要なものです」


ああ、なるほど。


つまり自分はここまで弱弱よわよわであったと・・・。


「胃腸が弱っているって言う事ね。冷たい物とか油っこい物ばっかり食べてない?」

「・・・・ああ、確かに・・・」


毎日、パンとコンビニチキンとチューハイ、カップ麺や牛丼だものなあ。

日々の生活を反省しきりだ。

体調管理も仕事のうちなんて言うけれど。

しかし、自炊する余裕も自信もない。

それも何だか情けない。


「なら、自炊なんてしなきゃいいのよ。自分ちで毎回ご飯作ってるなんて人、世界でも実は珍しいんだから。どっかで食べるとか。日本はコンビニとかスーパーのお惣菜がすごいもの。選んで食べれば良いんだもの」


虹子にじこはそう言った。

この店のオーナーの配偶者は香港人なのだが、香港では生活費が高額なので何十年も前から夫婦共働きが当たり前で、自炊なんてほぼしない。

手ごろな外食で十分賄える。

北方系と言うか、寒い国の人々は朝から自宅でしっかり朝食を食べて仕事に向かうようだが、南方系となると、朝食から家族で、またはそれぞれ外食なんていうのも普通。


「日本も暑くなって来てるっていうなら、ライフスタイルも変わって行くのかもねぇ」


呑気にそう言われて、湊人みなとは、それもそうかもしれないと何だか気が楽になった。

虹子にじこは、サービスと言って手土産に瓶入りの杏仁豆腐を手渡した。


「杏仁って、アンズの種の中身の事なんだけど。喉とか肺にいいのよ。良かったらどうぞ」


湊人みなとは、杏仁豆腐とは、つまり牛乳プリンの事だと思っていたが、本当に何やらそういうものが入っていたのかとちょっと驚いた。


「ご馳走様でした。また来ます。・・・猫、どうぞよろしくお願いします」


気持ちよさそうに眠っている仔猫をそっと眺めてから、湊人みなとは店を後にした。


何だかいい店見つけちゃったなあ。

体に足りなかった何かがチャージされたような、熱中症だと気づかなくて、水分を飲んだらしゃきっとしたような、そんな気分。

これから通勤や通学の人々が慌ただしく道を通り過ぎて行く。

夜勤明けの自分は反対で、これから自宅に寝に帰るわけだが。

今日はよく眠れる気がする。


あの仔猫達に会いにまた、あの店に行ってみよう。

杏仁豆腐の入った紙袋を手にそう考えた。

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