深井戸
小狸
短編
「いい加減にしなさい!」
母が切れたのは、年末も近い、高校の終業式の次の日の話であった。
パソコンに向かって小説を打鍵していた私は、びっくり仰天してそのまま後ろにひっくり返った。
私が何か返答する前に、母はずんずんと私の部屋の中に入って来た。
「いい加減にしなさいって言っているの。そんな不快な小説を書くくらいだったら、パソコンなんて与えるんじゃなかった」
流石に最初の怒号ほどの勢いはないけれど、母はそんなことを言って、ひっくり返った私の前に仁王立ちになった。
「不快な小説って――別にお母さんには読ませてないし、見せてないじゃん」
「読んだし、見たのよ」
「勝手に読んで、勝手に見たの?」
最低――と、私は言ったが、母は引かなかった。
「そうよ。何か悪い? 私があなたが書いている小説を見たことが、そんなに見られたくないものを書いているんだったら、初めからファイルを隠しておくだとかしておきなさい」
「何その理論。意味わかんないんだけど」
パソコンは、家族共用でリビングに一台と、父の書斎に一台あり、私は主にリビングで執筆している。自分用の「ゲスト」のアカウントを使って書いていた。
「別に誰にも迷惑かけてないじゃん。お母さんが勝手に小説読んで、勝手に不快になったってだけでしょ?」
「はぁ? 何言っているの? 私が不快になるってことは、他の人も不快になることだって、あるかもしれないじゃない! だから私が今、注意しているのよ!」
「ごめん、意味わかんない。何にキレてんの? それは、自分の子どものプライバシーを侵害して良い理由になるわけ?」
「プライバシーの侵害? ここで食べさせてあげているのはどこの誰? いつも綺麗な家に住ませてあげているのは、どこの誰だと思っているの? あなたは恵まれているのよ。その癖に、そんな小説を書くなんて、ありえない!」
「そんな小説って――いいじゃん別に何書いたって。私は私が書きたいように書くだけだよ。別に全部が全部をネット上にアップしてるわけじゃないし、掌編だって、たった二百とちょっとだよ」
二百!
と、わざとらしく絶望したように、母は言った。
ここまで来ると最早面白くなってくる。
「何? 『駄目な奴は駄目なままだ』『現実は厳しい』『死にたい』とか連呼したり思ったり、自殺未遂したりする小説ばかり書いて。そんなに私たちといる生活が不満なの? どうして幸せな物語が書けないの!」
「それは、お母さんが幸せそうじゃないからでしょ」
私は言った。
「お母さんは、いつも文句と愚痴ばっかりでカリカリしていて、お父さんにもストレスぶつけまくっていて、私も気持ちは分かるよ、分かるけど、流石に可哀想だよ、お父さん。毎日無視して、ご飯も別々で、部屋の前に餌みたいにおいてさ。ねえ? 何で結婚したの? 何でまだ家族なの? そんな夫婦ごっこを毎日見せつけられてたんだよ、私。分かる? そんなんで、幸せな物語なんて、書けるわけないじゃん」
「私とあの人との関係は、今関係ないでしょ!」
「大ありだよ。私にはね、家族の幸せが分からないの。子ども作って生んだって、苦労ばっかりなんでしょ、お母さん散々言ってたじゃん。子どもなんて作るんじゃなかった、って。問題があるのは、私の小説じゃなくて、お母さんの親としての在り方なんじゃないの? ねえ? そうやって取り敢えず人に当たって、何かを誤魔化そうとしているんじゃないの?」
母は溜息を吐いた。
ああ、これ以上言ったら、まずい。
そんな所まで来たんだなと、実感する。
「――言いたいことは、それだけ?」
「まだ言っていいならいくらでもあるけど」
「いいわ、別に。でも、小説を書くことは辞めなさい。そんな同情的な小説を書くなんて、みっともない」
「みっともない? そうやって私のこと縛って、どうしたいわけ? 別に私の将来も保証してくれないんでしょ? 今から私は小説家になるために頑張っているの」
「小説家! なれるわけないでしょ、だってあなたは――」
その先の言葉は、聞きたくはなかった。
きっと、意図的に私の心を傷付ける言葉を言うつもりだろう。
だから。
私が。
先に言った。
「あんたの子だもんね」
張り詰めていた空気が、爆発四散した。
「■■■■■■■ッ!」
母は、私に襲い掛かって来た。
取り敢えずパソコンを避難させて――とか考えている内に、母は信じられないような力で、私を押し倒した。そしてそのまま母の手は、私の首を絞めた。
「あ、ぐッ――」
「お前さえっ! お前さえ産まれなければっ!!!!」
その言葉を、悲鳴のように叫ぶ母は、泣いていた。
その涙には、何の意味があるのだろう。
瞬間、時間が止まったように感じた。
ああ――そうか、私はここで、こうやって死ぬのか。
これが走馬灯、というものだろうか。
一番に浮かんだのは。
まだ私の家が崩壊する前。
父と母と。
公園で一緒に撮った。
皆、笑顔の写真だった。
「
と。
帰宅した父が、リビングまで駆け付けてくれなければ。
私は本当にその場で死んでいて、今こんな風に小説として昇華させることはできていなかっただろう。
それからすぐ、父と母とは離婚が成立して、私は父の側についた。
母には、私の殺人未遂ということで、何とかという罪に問われることになったのだそうだ。
その後は、何も知らない。
どうして年末に、こんな話をつらつらと並べているのかというと、やっと自分の中で、消化できたことだからである。別に消化と昇華を掛けているとかそういうわけではなく……何だかんだと母と言い争いをしつつ、私もちゃんと、傷付いていたということらしい。
母の言葉の針の、一つ一つに。
あの人は性格が悪いので、わざと私が傷付くような言葉を選んで使ったのだろう。
刑罰が決まって、離婚が決まって――私はずっと母のことが嫌いだったけれど、それを表明できなかった。
最後まで。
だから、ここで物語として、発散しようと思った。
もうすぐ私も、三十路になる。
小説家の卵として、原稿に追われる毎日である。
そんな中、こんなどうしようもない話を投稿することを。
どうか許してほしい。
私が高校生の時の、他愛のない話である。
(「
深井戸 小狸 @segen_gen
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