後編

 翌朝──。


「……おはようございます」

「おはよ──って、イガワちゃんどうしたの!?」

「……え?」

「その顔……顔色悪いわよ? 具合でも悪い?」

「え……そんなに、顔色悪いですか?」

「具合が悪いなら、無理しないで休みなさい。もう、電話してくれれば良かったのに。うち、そんなブラックな職場じゃないんだから」

「あ……いえ……」

「……何かあったの?」


 先輩は、様子のおかしい私を心配して、休憩室に連れて行ってくれました。


「主任には言っておいたから。ちょっと、ね、ひとまずここで少し休みましょう」

「……すみません」

「謝ることないって。それで、どうしたの?」

「……あの、実は──」


 私は昨夜の出来事を先輩に話しました。


「……すみません、こんな話」

「ううん。話してくれて有難うね。だけど……ああ、やっぱり……ごめんなさい、新人さんに担当させるべきじゃなかったわね……」

「いえ、私が悪いんです。先輩が、せっかく注意して下さっていたのに……」

「あなたは悪くない。あなたは悪くないわ。とりあえず、今日は帰りなさい」

「え、でも……」

「良いから。そんな顔で働いていたら、入居者さん達もびっくりしちゃうわよ。とりあえず今日は帰って、美味しいものでも食べて、ぐっすり眠りなさい」

「……はい」

「あと……スキヨおばあちゃんには、もう優しくしたらダメよ?」


 私は先輩に見送られ、職場を出ました。


 真っ直ぐ帰る気にはなれなかったので、カフェに寄ったあと駅ビルの中をぐるっと回り、ちょっとだけ奮発したランチを食べました。そんな風に過ごしていると、少しだけ気持ちが晴れました。


 ですがその夜──。


 また、深夜2時に目が覚めたのです。


「好きよ」


 その声は、昨夜よりもハッキリと聞こえてきました。


「好きよ」

「好きよ」

「好きよ」

「好きよ」


 頭の上であの声が、何度も何度も囁いています。


「好きよ」


 ────。


「ちょっ……あなた、昨日よりひどい顔じゃないの」


 翌日。出勤した私の顔を見て、先輩が慌てて言いました。


「もしかして……昨日の夜も──?」

「はい……」

「ええっ、本当なの?」

「はい……」

「そんな……ええ、どうしよう……」

「あの、先輩」

「何?」

「キタガワさん……スキヨおばあちゃんと、ちょっとお話したいんですけど、良いですか?」

「お話しって……」

「お願いします」


 先輩が主任に掛け合って下さり、私はスキヨおばあちゃんと二人、談話室で話をすることが出来ました。スキヨおばあちゃんはなぜ私に呼ばられたのか知らないようで、いつものように穏やかに微笑んでいましたが、それが私には何だかひどく不気味に見えました。


「あの……ス……キタガワさん」

「はいはい。どうしたのかしら?」

「……私、一昨日、キタガワさんに『好き』って言われてから……夜になると、枕元にキタガワさんが立って、私に『好きよ』って言ってくるようになったんです!」


 私はおばあちゃんがどんな反応をするのか想像出来ず、目を閉じて叫ぶように言いました。数秒の沈黙の後、恐る恐る目を開けると、おばあちゃんは少し哀しそうな表情で私を見つめていました。


「そう……ごめんなさいね……私ったら……言わないように気をつけていたのに……本当にごめんなさい」


 そう言って、おばあちゃんは涙をこぼしました。


「ごめんなさいね……もうずっと言わないように気をつけて生きてきたのに……この頃すっかりボケちゃって……本当にごめんなさい」

「お願いします。キタガワさん。私、怖いんです。どうにかしてください」

「ごめんなさい……私にはどうにも出来ないの……」

「そんな……キタガワさん。あの、枕元に立っているのって……生霊っていうんですか? あれってキタガワさんなんですよね? ご自分の霊なんですから、頑張ればどうにかなるんじゃないですか!?」


 私の言葉に、おばあちゃんは黙ってしまいました。その顔は、どこか困っているような。何かを言いかけて躊躇っているような表情でした。


 しばらく、私達は口を噤んだまま見つめ合っていましたが、おばあちゃんは覚悟を決めたように口を開きました。


「あれはね、私じゃないのよ」


「……え? でも、だって……」


「あれはね、小さい頃に亡くなった私の妹なの」


 ──私はおばあちゃんの言っていることが理解出来ず、ポカンと口を開けて固まってしまいました。そんな私に、おばあちゃんは優しい口調で昔話をしてくれました。


「私の二つ下の妹──ハナはね、引っ込み思案の私と違って活発で……少し意地悪な女の子だったわ。小さい頃、私は気も身体も弱くて病気がちでね。ハナとは月と太陽みたいに違っていた。ハナは……両親が私のことばかり心配するのを妬んでいたの。他にも、私が体調の良い時に遊びに出ると、近所のお友達が物珍しさから声をかけてくれて……そんな時もハナは妬ましそうに私を見つめていたわ。別に、人気者ってわけじゃないのにね。『お姉ちゃんばっかり皆に優しくされてズルい』って。それで、二人っきりになると時々叩かれたりもして……。そんなハナがね……」


 だんだんと苦しそうに話すおばあちゃんの手を、私は無意識の内に握っていました。


「あの子が8歳の時、心臓の病気になったの。あんなに元気だったハナが、どんどんと弱っていくのを見るのはつらかった……。意地悪されても、やっぱり姉妹だもの。ハナは、始めのうちは両親に優しくしてもらえるのを喜んでさえいたわ。でもね、弱っていくにつれて、私に恨み言を言うようになった……。『悔しい。私が死んだあと、お姉ちゃんだけが愛されるのが妬ましい』って……」


「そんな……」


「それでも、私にとっては可愛い妹だったの」


「…………」


「ハナが亡くなったのは、あの子が9歳になる前のことよ。結局、病気がわかってから1年ももたなかった。死ぬ前にあの子は父と母にこう言ったの……『私が死んでお姉ちゃんが生きるなんて許せない』って……。ハナが亡くなってしばらくは何にもなかった。平和で、幸せだった……。でもある日を境に、父と母の二人が目に見えてやつれだしたの……。私が心配して声をかけても『大丈夫だよ』って笑って……。2年後、二人は私を置いて自殺したの。信じられなかった。私一人を置いて自殺するような人じゃなかった……。一人ぼっちになった私は、叔母夫婦のところに引き取られた。良い人達だったけれど……まあね、色々あったわね」


 そう言って、おばあちゃんは寂しそうに笑いました。


「……15歳のことよ。私、好きな人が出来たの。同い年の男の子でね。物静かで、優しい人。ある日、私は勇気を出して『好きです』って告白したの。ドキドキしたわ。その人は『少し考えさせて』って言った。即答してもらえなかったのは寂しかったけれど、断られなかっただけでも嬉しかった。……3日後、私はその人に呼び出されて……告白の返事をもらえると思ったの。でも違った……。その人は言ったわ『君に告白されてから、毎晩枕元に君が立つんだ』って」


 私は昨夜の光景を思い出して、背筋が寒くなりました。


「彼は『やめてくれ』って言ってきたけれど、私は心当たりなんて全くなかったから……。1週間後、彼は自ら命を絶ったの……。その夜よ。夜中に目が覚めると、死んだはずの妹が枕元に立っていた。死んだ8歳当時の姿ではなく、成長した姿でね。元々私によく似ていたけれど、成長したあの子は、他人から見たら間違えておかしくないほど私に似ていた……。驚く私にあの子は言ったの。『ざまあみろ。お父さんお母さんと同じように、お前が好きな奴は全員殺してやる』って……。気がつくと朝になっていた。夢だと思ったわ。悪い夢だと……。でもね、夢じゃなかった。その後も、私が好きになった人は、皆……」


「じゃあ……私も……」


「ごめんなさい。私だって何とかしてあげたい……。色々試してみたのよ。お祓いに行ったり、神様に祈ったり……。でも、何をやってもダメだった……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 それからおばあちゃんは、私が何を言っても「ごめんなさい」としか言わなくなってしまいました。


 翌日、私は事情を話した主任と一緒に近くの神社にお祓いに行きました。ですが神主さんは「その方の側にいる限りはどうにもならない」と仰り、私は仕方なく、系列の別施設へ移動させてもらうことになったのです。


 神主さんの言う通り、それ以降、私の枕元にハナさんの霊は現れなくなりました。


 先日、カタオカ先輩から久しぶりに連絡がありました。


 それは、スキヨおばあちゃんが亡くなったという連絡でした。


 私が異動になって以来、おばあちゃんは誰とも喋らなくなったそうです。病気で亡くなったそうなのですが、痛みや苦しさも誰にも伝えることなく、顔にも出さず、ずっと我慢していたせいで、病気がわかった時にはすでに手遅れだったと先輩は話していました。


 おばあちゃんは、大好きなご両親のもとへ逝けたのでしょうか。


 そこで心置きなく「大好き」と伝えられたのでしょうか。


 それとも────。


 私はそっと手を合わせ、おばあちゃんの幸せを祈りました。


「私、あなたのこと──」


「「好きよ」」

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スキヨおばあちゃん @tou_tower

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