【8】七日目の朝

 エリオットに選択を迫られて、一週間が経った。

 結論を出すように、と一方的に決められた約束の日の朝。

 ふたりで暮らすには大きすぎる家の食卓には、ウルリカひとりが座っている。

 肝心のエリオットの姿はない。

 彼は前日の夜、やけに慌ただしい様子で家を飛び出した。それっきり音沙汰がないのだ。

 宮廷魔導兵団の職を辞してなお、王室から火急の勅令が言い渡される彼は、朝帰りや泊りがけの出張もさして珍しいことではなかった。

 しかし彼はその都度、外出先とその目的、帰宅時間までをきっちりと告げたうえで家を出ていた。呆れるほど几帳面な男なのである。

 この一週間、険悪――とまではいかないが、その空気はどこかよそよそしい。

 会話を交わす機会もなく、彼は目的地を知らせず、家を後にしてしまったのだ。


(違う……。エリオットは伝えようとしたのに、あたしが話を聞くのを拒んだから)


 ウルリカは上の空で、殆ど手の付けられていないスープ皿を手慰めに掻き回す。

 ホカホカの湯気を立てていた食事は、今ではすっかりと冷めきってしまっていた。鍋に残っているもう一人分のスープも、このぶんでは冷めてしまっているだろう。

 どうにも食欲が湧かない。

 ウルリカは溜息交じりにスプーンから手を放し、スープ皿を奥へと押しやった。

 それから、鳥獣配達員が届けたばかりの新聞を何とはなしに手に取ってみる。

 エリオットは複数の新聞を購読していた。ウルリカが手に取ったのはオファロン魔導新聞――一般的に三流新聞と呼ばれるそれである。

 一面には先月末の自然召喚災害の全貌と、その見解が載せられていた。

 召喚事故の発生直後は大抵、不確かな情報で国民の不安を煽らぬよう、王室によって情報統制が敷かれている。ようやく報道の許可が出たのだろう。

 国境沿いで発生した召喚事故は近年稀に見る大規模なもので、幸いにして死者こそ出なかったが、負傷者は多く出たらしい。

 一面には大きく、「若きエリート召喚術師、爆発魔法で邪竜を討伐」――といった読者の目を引くような見出しが躍る。

 記事にはかの目覚ましい活躍を見せた召喚術師と、その〈守護聖獣〉の挿絵が描かれていた。

 ウルリカは頬杖をついて、紙面をパラパラと捲る。

 二面は一面の詳細記事。二面、三面と社会面が続く。

 王立図書館で保存していた魔導書の紛失。現在捜査中だが、盗難の疑惑が限りなく高い、とのこと。

 〈聖獣〉の違法取引や労働力搾取について。年に数百もの〈聖獣〉が過酷な労働下に置かれているらしい。国内各地で、〈聖獣〉愛護団体のデモ活動が勃発しているのだとか。

 それから、フラホルク統一王国とその近隣国の高等魔導学院教職員人事異動に関する名簿。

 こちらには聖マルグリット高等魔導学院に異動する教員が記載されている。後でゆっくりと目を通した方がよいかもしれない。

 本年度もっとも高い評価を集めた論文の概略、読者投稿、召喚術師が主人公の連載小説は読み始めると長くなりそうなので、ろくに中身も見ずに飛ばした。

 あとは流行りの〈魔道具〉の広告――といった記事が続く。

 魔導協会ではなく、一般の新聞社が発行しているが、魔導新聞の分類ということもあり、なるほど召喚術や魔術に特化した紙面となっていた。

 ウルリカがあらかた目を通し終えて新聞を畳んでいると、家の前がなんだか騒がしい。

 エリオットが帰ってきたのだろうか。

 仕事を終えてきたのだ、「おかえり」と愛想よく出迎えて、心象を少しでも良くしておくべきか。

 あるいは、開口一番「魔導学院はやめない」と宣言して、とりあえず勢いで乗り切るか。

 新聞を手に持ったまま、ウルリカは恐る恐る、玄関のドアを開けた。


「わぁ!」


「……」


「ウルリカ! ウルリカ! わたしだぞ、驚いたか!」


 そしてキラキラの笑顔を向けながらウルリカの名を呼ぶ人物を視界に入れ――強張っていた肩の力が抜ける。


「……なぁんだ、ハーヴィおじいちゃんか」


「むっ。なんだとはなんだ、そのあからさまにがっかりした顔は!」


 ウルリカの反応に不満そうな鳴き声を上げるのは、フラホルクの国宝様こそ、ハーヴェイだった。

 艶々の長い金髪はいくつかの細い三つ編みにして、巻いてピンで留め上げている。

 いつも着ているダボダボのローブではなく、動きやすそうな格好に身を包んだ彼は、ウルリカを見下ろすと、何やらブツブツとぼやきはじめた。


「ビックリさせようと家に行くとな、わたしの訪問を、みな喜ぶのだぞ?」


 おめでたい国宝様の来訪だ。ありがたがる人間もいるだろう。

 そして迷惑に感じても、まがりなりにも国宝なので、無難な対応をされると見た。


「一般的に約束なしに押し掛けるのは非常識だから、やめた方がいいと思うわ。少なくともあたしは、迷惑だし」


 おめでたい国宝様だからといって常識も教えず甘やかすと頭もおめでたくなるのだな、と胸を張るハーヴェイを眺めながらウルリカは思う。

 ウルリカの忠告に、ハーヴェイは「そうだなぁ」と悲しげな表情を浮かべると、指折り数え始めた。


「喜ばないのはおまえさんと、シュゼットと、フラヴィ王女と、それからそれから……」


「喜ばない人間も結構いそうね、それ」


 適当にあしらいながらハーヴェイの周囲に視線を巡らせる。

 彼の背後には国宝様専属の護衛騎士の姿があるだけで、エリオットの姿は見当たらない。


「なあ、なあ。聞いているか、ウルリカ?」


「あー、はいはい。ごめんね、あたし、これから授業があるの。今日はゆっくりおしゃべりする暇はないわよ。お茶くらいなら出すけどさ」


 またサボったサボったと揶揄われても困る。

 新聞をブラブラと振り、追い払う仕草を見せるウルリカに対し、ハーヴェイはキリリと真面目な表情に切り替える。


「待て。わたしも茶を目的に来たわけではないぞ。ウルリカ。おまえさんの力をぜひとも借りるべく、朝っぱらから押し掛けたのだ」


「……あたしの力?」


 食い下がるようであれば適当に付き合ってお帰り願おうと考えていたウルリカだったが、ハーヴェイの言葉に思いなおす。

 ハーヴェイはわずかに緊迫感の含む声音で言った。


「ああ。ウルリカ。おまえさんに〈聖獣〉の『撒き餌』になってほしいのだ」


 『撒き餌』とはまたずいぶんな言い草である。

 初めて言われたときウルリカは思わず絶句したし、「これ以上に適した名はないぞ!」と朗らかに笑う〈聖獣〉を見て、我らが偉大なるフラホルク王室はなぜこの〈聖獣〉を野放しにしているのだろう……と、 

この国の常識をいよいよ疑ってしまったほどである。

 とはいえ、受け入れがたくも表現としてはあながち間違いではない。

 『撒き餌』を初めて引き受けてから、もう二年は経つ。

 呼称だけは何とかならないかなぁと心の片隅で不満に思いながら、ウルリカは話の続きを促した。


「また、〈聖獣〉を捕獲したいの?」


「ああ。王都近辺で、大規模な自然召喚災害が発生してな」


 召喚術師が詠唱で異層の扉〈召喚の門〉を生成する以外にも、何らかの原因により、表層(こちらがわ)と異層(あちらがわ)を繋ぐ扉が自然に作られることがある。

 ただ異層の扉が現れるだけならば問題はない。扉が開かれる前に消してしまえばいい。

 その扉より異層に住む〈聖獣〉たちが、表層に迷い込むことが大きな問題となるのだ。

 〈聖獣〉たちは自力で元の異層に戻ることはできない。

 戻れなくなった〈聖獣〉たちは、腹が満たされている間は無害な存在だ。

 しかし、飢えればたちまち、危険な存在〈魔獣〉へとなり得る。

 〈魔獣〉に至れば最後、手あたり次第に人間を襲い始めるのだ。

 魔術や〈守護聖獣〉で応戦できる召喚術師や、対〈魔獣〉向けに特別な訓練を受けた騎士ならまだしも、 

民間人は抵抗するすべを持たない。

 そのため、召喚術師が元いた異層に返すなり、契約を結び飼いならすなりして、民間人に被害が及ぶ前に、事態を収める必要が出てくるのである。

 自然召喚災害の対応は時間との勝負だ。

 至急出かける準備を整えたウルリカは、フラホルク王室が有する馬車に押し込まれ、馬車は目的地へと向かって走り始めた。

 登校日である。当然、ウルリカは制服に身を包んでいて、着替える時間がなかったのでそのままの出で立ちで家を出た。学院指定の白いブラウスに紺色のスカート。肩には魔導学院指定のローブをひっかけている。

 ハーヴェイはグレーのシャツに、黒いベスト。黒色のズボン。華やかさはないが、上質な仕立てではある。

 色合いが地味なのも、〈聖獣〉を驚かせないためだろう。機能的な装いをしているのはこれが理由だったのだ。

 目の前に座る彼を改めて眺め、ウルリカは腑に落ちた。


「そこで、おまえさんの出番というわけだ」


「はぁ……」


 ウルリカは木の実をモソモソと齧りながら、そっけなく合槌をうった。

 まだ食欲はなかったが、これから待ち受けるハードな重労働を考えると、少しでも腹を満たしておいたほうがいいとハーヴェイに無理やり押し付けられたのだ。

 

「おまえさんの魔力は量こそしょぼいが、美味いし、食欲をそそる匂いがするから〈聖獣〉を集めるには、これ以上なく適材でなぁ」


 美味いならまだいいが、匂うのか。

 ウルリカは右手首を口元に持ってきて、スンスンと嗅いだ。

 昨日の夜湯あみをしたので、わずかに石鹸の香りがするくらいだ。

 実際は人間に感じ取れない、特別な匂いを発しているのだろう。

 獣の肉や脂の匂いだったら嫌だなぁ……と顔をしかめるウルリカとは対照的に、ハーヴェイはやけに楽しげだ。


「空腹状態の獣の輪に放り込めば、ワラワラワラワラ集まって一網打尽だ! 去年の年の瀬にもお世話になったなぁ」


「本当に餌みたいな言い方やめてくれる? ううっ……あれ、すごく怖かったんだから」


 ウルリカは前回『撒き餌』となったときのことを思い出して、躰をブルブルと震え上がらせた。

 ブヒィブヒィと鳴く豚の群れに追われた経験は、ウルリカに深いトラウマを残した。

 涎を垂らした獣の集団に襲い掛かられる恐怖が忘れられず、ウルリカはあれからしばらく、豚肉が一切受け付けなくなったのだ。

 人間に不慣れな〈聖獣〉たちは非常に警戒心が強い。

 姿を恐れて隠れてしまうので、無害のうちに確保するのが難しいのだ。

 自然召喚災害で逃げた〈聖獣〉を確保するとき、上質な魔力を持つ召喚術師をおとりにする手法が最も有効と言われている。魔力の匂いに釣られ、ふらふらと身を現すからだ。

 ただし、あまり魔力が多すぎると警戒心を煽り逆効果となりかねる。

 そこのところの兼ね合いが難しいのだが、魔力がしょぼいくせに美味く食欲をそそる匂いを発するウルリ 

カは、いわく『撒き餌』にうってつけらしい。

 ちなみに目の前で楽しげに過去を振り返るこの〈聖獣〉。

 普段から一等級の召喚術師たちからムシャムシャと魔力を食べ、ブクブクと肥え太った良質な餌そのものである。

 年の瀬の彼は飢餓状態にある子犬たちに追い回され、最終的にはガブガブと全身を齧られてはワンワンと泣きじゃくっていた。

 エリオットにも泣きついてたっけ……と思いだしながら、気づく。


(そういえば……エリオットに許可、貰い忘れちゃった)


 ある程度の危険の伴う作業ではあるので、ウルリカは事前にエリオットの許可をもらってから、捜索活動にあたるようにしている。

 今回エリオットは外出中だったので、話を通すこともできなかったのだが。

(どうしよう、護衛の召喚術師にお願いして、〈伝書鳩〉飛ばしてもらおうかな。後ろの馬車に乗っているから、現場についてからになっちゃうけど……)


 ウルリカはちらちらと、後続の馬車に視線を向けた。

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