【9】木の実はたしか、昨日仕入れたばかり(国宝様談)
ハーヴェイは不審な様子のウルリカを見ては、状況を察したか、露骨にめんどくさそうな顔をする。
「んう。おまえさん、まさか、エリオットとはまだ喧嘩中なのか?」
「……………………はい」
ウルリカは視線を明後日の方に向けながら、ゴニョゴニョと言い訳めいて口にする。
「いや、知ってると思うけど。喧嘩じゃないの。意見の相違で、空気が悪いだけ」
「それを世間一般的には、喧嘩、と言うのではないか?」
ハーヴェイは腕を組みながら、躰を左右にブラブラと揺らす。
馬車に乗ってまあまあ時間が経ったので、おとなしく座っているのにもいよいよ飽きてきたのだろう。
「わたしが現役だったころは、力の強さで勝敗を決したものだ。どうだろう?」
「どうだろうって。千年も前の昔の常識を、さも今も通用するでしょ、みたいな言い方をされてもね……」
ウルリカは呆れた視線を送る。
このご老体は若かりし頃の武勇伝を度々語りたがる。
いずれも平和的な方法とは程遠い。だいたい暴力で物事を解決しているのだ。獣らしいといえば、そうなのだが。
安泰の治世を志した女王アリアーヌの番であることを誇りに思うのであれば、もっと穏便な方法を提案してほしい。
「アリアーヌと口論した際は、よく殴り合いに発展していたな」
どうやらかの偉大な女王アリアーヌも、彼と同類だったようである。
「アリアーヌは強かった。石をこう、手の中に握ってな、グーで殴るのだ……」
ウルリカが生ぬるい視線を送っている間にも、ハーヴェイは当時を思い出してか、嬉々として話し出す。
「そして、足も出るのだ。かかとの尖った靴でな、抉るように蹴りつけてくるのだ。恐ろしい女よな……」
「わかった。わかった。続きは後で聞くから」
このままでは無限に話が終わらない。こぶしを振り上げて語るハーヴェイの袖を、ウルリカはちょんちょんと引いた。
「そんなことより。これから向かう先のこと、説明してくれない?」
ウルリカが説明の続きを求めると、表情を切り替えたハーヴェイが口を開く。
「んう。これから向かう先は、王都郊外のボートリエ伯爵領地だ」
ハーヴェイは窓ガラスをトントンと指で叩くと、顔を近づけた。
ウルリカも窓枠に手を置いて覗き込む。なだらかな丘陵が遠くまで伸びている。
「ここをしばらくまっすぐ行くとな、ひろーい森がある。高品質の材木が取れる森で、近くにはほどほどに大きな村があるのだ。エリオットも既に派遣されているかな」
エリオットの名前を耳にして、ウルリカはわずかに身を硬くする。
窓の外に視線を送っていたハーヴェイは、ちらりとウルリカに視線を向けては戻す。
「折よく、ポートリエ伯爵が視察に出ていてな。彼奴は今でこそ恰幅のいいジジイだが、叙爵前は宮廷魔導兵団防衛部に身を置いた元凄腕の召喚術師よ。異変に気付いた彼が数人の供を帯同して森を探索したところ、自然発生の〈召喚の門〉が発生していた」
「被害は出ている?」
「人的被害はまだ、と報告を受けている。昨日の昼過ぎに〈召喚の門〉の発生を確認、彼奴が王宮に早馬を飛ばして、召喚術師が派遣されたのは夜だ。村の人口は三百程度だが、夕方には村民全員の避難が終わっている」
「すごい手際の良さね」
ウルリカはへぇ、と感嘆の息をもらす。
近隣の村や街に避難するにしても、足が必要となる。馬車の手配は容易ではないだろう。
「ああ、ポートリエ伯爵は老いてもなお、現役にも劣らん」
それだけ優秀な男なのだ、とハーヴェイは褒めちぎる。
「今は〈聖獣〉捕獲の段階に移っているところだな。今回迷い込んだ中に力の強い〈聖獣〉はいないそうだ。今朝方の時点で、召喚術師たちも怪我をしていないと聞いている」
「そう」
ウルリカは安堵から吐息をこぼすと、薄く微笑んだ彼と視線がぶつかった。
きまりが悪くなったウルリカが視線をぷいと逸らすと、彼はクツクツと笑い声を漏らす。
「安心せい。宮廷魔導兵団がいる限り、民間人の命を失わせはしない。もちろん、守る立場である召喚術師たちもな」
(民間人の、命か)
ウルリカは黙り込んだ。
〈聖獣〉はときに人間の善き隣人となる。
しかし、そうはならない場合もあるのだと、ウルリカは知っている。
凶暴な〈聖獣〉を前に、非力な人間はいともたやすくその命を奪われるのだ。
(もし、ポートリエ伯爵のような優秀な領主さまがいたら。それか、宮廷魔導兵団の到着が早かったら…………みんなは、助かった?)
ウルリカは制服の胸元をぎゅっと抑えた。
胸がざわざわとして落ち着かない。これ以上考えたら、よけいな感情を掘り起こしてしまいそうだった。
「壊れた〈召喚の門〉の修復作業もだいぶ進んでいて、今日の昼を目安に終わるそうだぞ」
ウルリカの不審な様子に気づいていないのだろう、ハーヴェイは状況説明に戻っていた。
ひととおりの状況を述べた彼は、眉尻を下げた、申し訳なさそうな顔つきをする。
そのまなざしはウルリカの制服に向けられていた。
「しかし……今日も授業はあっただろう? 学生は勉強が本分なのに、呼び出してしまって悪いことをしたな」
「あ、うん」
ウルリカはモヤモヤとした気持ちを振り払うように、首を横に振り、明るい声音で応えた。
「勉強も大事。でも、人命に関わる捜索活動はなによりの優先事項、でしょ?」
「おちこぼれなら、勉強の方が大事ではないか?」
「連れ出した立場で、それ言う?」
ウルリカは呆れた視線を送りながら、ぼんやりと今日の講義の予定を思い出す。
「それに、自然召喚災害が起きたなら……一限目の授業からなくなっている可能性もあるし」
召喚術師はそれほど数が多くない。
宮廷魔導兵団では足らず、学院教師であるエリオットも駆り出されたのだ、昨夜から魔導学院の教師陣は同じく声がかけられたはずだ。
となれば、いくつかの授業は休講となっているだろう。
「……あっ、そうだ。ハーヴィおじいちゃん。木の実、もう少し余ってる?」
「あるぞ」
ハーヴェイは服のポケットをゴソゴソ漁ると、木の実をいくつか取り出した。
ウルリカはそっと胃を押さえて慄いた。
いつ調達して、なぜ入っているかは考えないでおく。
「しかし、木の実だけでは、腹は満たされないだろう。肉だ肉! ステーキだ!」
魔力以外にも、〈聖獣〉は人と同じように肉や果物を食べるが、本来十分な魔力を摂取していれば取る必要はないのだ。彼は宮廷召喚術師より多くの
「あのさ、おじいちゃんなのに食生活問題ない?」
「んう。長生きのコツは、好きなものを好きなだけ食べることだぞ?」
「千年生きているだけあって、説得力はあるわね……」
この老いた獣は朝からステーキ肉をペロリと平らげられるとしても、人間の身であるウルリカの胃はそれほど強くない。
「木の実は〈聖獣〉寄せに使えるかと思って……」
ウルリカは受け取った木の実を制服のポケットにしまおうとして、指先が何か固いものを掠めた。
(あれ?)
冷たい手触りだ。
何だろう、と首を傾げて――それが先日ハーヴェイから巻き上げた、もとい報酬として渡された〈魔道具〉であることを思い出す。
(あちゃあ……質に入れようとしてすっかり忘れてた。どうやってエリオットを言いくるめるか、考えることに夢中になっていたものね……)
「む、先客か?」
いぶかしげにハーヴェイが訊ねた。それから幼いこどもを叱るように言った。
「服のポケットに食べ物を入れたままにしてはいけないぞ。王宮の使用人たちが怒るのだ」
「ごもっともだけど、今さっき木の実を服から出した人だけには言われたくないですぅ~」
ウルリカは反対側のポケットに木の実を入れつつ、反論を口にする。さすがに木の実と高価な〈魔道具〉を一緒に入れておくのは躊躇われたのだ。
それからハーヴェイとたわいのない話をしている間に、ウルリカとハーヴェイを乗せた馬車は事故現場付近の村へと到着したのだった。
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