【7】エリオット・ネヴィルの悩み事

 宮廷魔導兵団を辞する前のエリオット・ネヴィルは、挫折とはおおよそ縁遠い人生を歩んできた。

 ネヴィル家――フラホルク統一王国の建国より続く、由緒正しい召喚術師の家系の末子として、エリオットは生を受けた。

 エリオットは生まれつき高い魔力を有している。

 それは現存するネヴィル一門の中でも最も優れており、また、頭の回転や記憶力、天性のセンスなど、召喚術師には欠かせない能力にも恵まれていた。

 ところで、召喚術師の跡継ぎ問題というものは、度々大きな火種となりがちだ。

 何故なら召喚術師の界隈は、一般的な貴族とはかなり常識が異なるからである。

 例えば、貴族の家督は長兄が継ぐもの。

 しかし召喚術師の家系には、そういった明確な決まりはない。

 大抵の場合は実力主義――召喚術師として最も優れた者を嗣子とすることが多かった。

 そのため、過去には継承問題によりきょうだいで争いあい、互いに自滅してしまった名家もあったのだとか。

 幸いなことに、ネヴィル家の家督を継ぐのは長兄あるいは長姉と、ネヴィルの家名が王室より与えられたそのときより、長いこと決まりが守られ続けていた。

 また、長兄はエリオットとだいぶ年が離れていて、召喚術師として申し分のない才能を持っていた。

 非常に愛情深いひとで、交友関係も広い。エリオットも彼が嗣子となることにもちろん異存はなかった。

 家名を背負う重責はない。

 召喚術に関わる存在であること、と制限はあるが、職業にも縛られない。

 エリオットは自由気ままにのびのびと教育を受け、才能を伸ばしていった。

 宮廷召喚術師になったのも、魔導学院の推薦を受け、家族からの賛同もあったからだ。

 宮廷魔導兵団に入職して、エリオットはすぐに武勲をあげた。

 トントン拍子に、面白いくらいに職位も上がっていく。

 エリオットが二十四歳を迎えるころには、宮廷魔導兵団防衛部の隊長を務めることに決まった。

 エリオットが宮廷魔導兵団防衛部隊長となって、数か月。

 今まで「敗北」を知らなかった、負け知らずのエリオット・ネヴィル。

 初めて、挫折を味わうことになる。


 ***


 とある冬のこと。

 フラホルク統一王国の最北部、旧サッリ国に位置するサッリ山脈裾の名もなき村にて、召喚事故が発生し――〈魔獣〉に襲われた。

 王室の出動命令に従い、エリオットは村に駆けつけたときには、すべてが手遅れだった。

 結果、村の人間は氷漬けにされて、今も目覚めない。

 救えたのは、ただひとり。

 それが、ウルリカという少女だった。

 養女にとったウルリカは、ひょんなことから召喚術に興味を持った。

 ウルリカが召喚術師に向いていない、と告げた言葉は、実際のところ、誤りだ。

 確かに素質はない。

 だが、向いていないと否定するほどでもない。

 ウルリカは〈守護聖獣〉を持たないため、どうしても実技試験の評価は伸び悩んでしまう。

 彼女の武器は、自頭の良さだ。

 召喚術式の関数をオリジナルで作ることで、記述を無駄なく簡潔化している。そのため、召喚の陣を描くのは、誰よりも早い。

 即興で練り上げた戦術を組み立て、いざ実行に移せる決断力、瞬発力も悪くない。

 あのフラホルクの千年守護者によって度胸を鍛えられたのだ。基礎体力が高く、持久力があるのも、戦う召喚術師にとっては必要不可欠な能力だ。

 何より、自分のできる範囲で懸命に努力している姿こそ、エリオットにはひどく好ましく思えるのだ。

 エドモン・ソニエールが実際に、ウルリカのレポートを随分と好意的に評価していたのも事実である。

 彼女の書いたレポートはきちんと順序立てられていて、基礎的な根拠に基づき、突飛な発想でもなく、非常にわかりやすく、簡潔にまとめられていた。

 グラニエ魔導新聞に投稿しては、というのも本気の推薦なのだろう。

 ウルリカには伝えていないが、彼から「おたくの娘さん、ウチの研究室に入るのはどう?」と打診もあった。

 研究室に入れば、指導員独自のカリキュラムが組まれるので、実技教科で単位を落とす不安要素は取り除かれる。ウルリカに適した分野を伸ばしていけば、彼女のより優れた成長が見込めるだろう。

 卒業後は、エドモンの口添えで、良い就職先があてがわれる。確かエドモンには年頃の孫がいたはず。あわよくば……とも考えているのかもしれなかった。

 だから、一概には『おちこぼれ』とは言い切れない。

 聖マルグリット高等魔導学院で『おちこぼれ』と呼ばれるウルリカ。実際のところ、それを下回る成績の生徒も多いのだ。

 それでも、単位さえ足りていれば卒業できる。

 教師になったエリオットのもとに、「お金を渡すからどうか単位を与えてくれないか」と頭を下げる者は立たなかった。

 召喚術師の名門校だからこそ、名のある召喚術師一族の子息子女が入学する。しかし、必ずしも優秀とは限らない。

 だが、教師も人間だ。賄賂を渡されて、成績に色を付ける者がいる。

 特に、名家と懇意にしている年配の召喚術師に多く見られる不祥事だ。

 そういった汚職に手を染める人間は今年度、大量に解雇が決まった。

 来年度からは他の魔導学院から現職の教員を呼び寄せたり、新規で雇い入れる予定なのだと聞く。エリオットよりも年若い教員が増えるのもそのためだろう。

 エリオットは養父なりに、ウルリカを大切にしているつもりだったし、そこには信頼関係があると思い込んでいた。

 だが、ウルリカはそうではなかったらしい。

 ウルリカに決断を強いて、六日目の夜。

 エリオットは聖マルグリット高等魔導学院の研究棟、専用の研究室の椅子に座り、赤点だらけの試験成績表を眺めていた。

 彼女の成績が芳しくないことは、それとなく察していた。

 それでも概ね問題ない、と口にする養女を盲目的に信じ切っていたエリオットにも、非があるのかもしれない。

 隠されていたことに、エリオットはひどく落胆したのだ。

 だからあのようにキツイ口ぶりで、怒りのあまりに、選択を突きつけてしまったが。

 そう。何も、魔導学院をやめろというのは、本気ではなかったのだ。

 ウルリカは真面目で、努力家だ。

 エドモンの研究室に入らずとも、自身の力で、卒業までこぎつけるだろう。

 そうとなれば、エリオットが隠している事実にも気づいてしまうかもれない。

 エリオットは寄せ集めた資料の山に視線を移し、溜息をこぼした。

 眠り続けている彼女の両親は、二度と目覚めない。

 そして、村の人間も助からない。

 解呪は、できない。

 ウルリカが召喚術師になりたい理由は知っている。

 以前、彼女がこっそりと国に嘆願書を出しているのを知った。

 ウルリカは無謀にも〈雪の獣〉を倒すつもりでいる。

 倒したところで、彼女の目的は叶わないというのに。

 いつか、話さないといけないと思っていた。

 刻一刻と近づく彼女の卒業の時。

 彼女の『両親』を助けることを、諦めているわけではない。

 どうにか助けられないかと、裏で研究は続けている。

 だが、召喚術師として有能だと称されるエリオットとて、死んだ人間を生き返らせることなんて『魔法』、使えるはずがない。

 エリオットが再び深い溜息を吐くと、窓ガラスが振動で震える。

 鳥獣の〈聖獣〉は王室の連絡役だ。

 窓を開けて、鳥獣の〈聖獣〉から手紙を受け取ったエリオットは視線を滑らせる。

 緊迫した状況を把握したエリオットは、長年の相棒の杖を手に取り、研究棟を飛び出した。

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