【6】強欲の獣の願いごと

 彼はおもむろにローブの飾りを引きちぎると、ウルリカの手に握らせる。

 〈魔道具〉ではないが、見事な金細工だ。売ればまとまった金になるだろう。


「……これで足りるか?」


 ウルリカは金細工の相場を思い出しながら答えた。


「高く売れそうだけど。全然、足りないわね」


「……わたしの知り合いに、〈毒喰〉の名を関する獣がいる」


「へぇ」


 何かと昔を語りたがる彼だが、女王アリアーヌ以外の交友関係を口にするのは初めてかもしれない。

 急にどうしたのだろう。ウルリカは首を傾げた。


「その由来はな、やつは毒に免疫があるのだ。獣が恐れる、毒性のある植物を山ほど平らげてもピンピンとしている。むしろ自分からムシャムシャと食べに行く。頭のオカシイやつだ」


「ねえ。それって今、重要な話?」


「際限なく金を求めるおまえさんは、さしずめ〈金喰の獣〉か」


「…………」


「〈強欲の獣〉でもいい」


 悲愴な顔でハーヴェイは口にしながら、次の装身具に手をかける。

 変に誤解を招いているようなので、ウルリカは早口で、まだ解決していない懸念事項を説明することにした。


「足りないのは学費よ。魔導学院にかかる学費はエリオットがすべて払っているの。だから自分で払おうとすると、結構かつかつの生活になるのよ」


 ハーヴェイはホッとした顔で装身具から手を放した。


「んう。学費か。それなら今まで通りエリオットに払ってもらえばいい。あれは養父だし、養育の義務がある」


「それは通用しないわ。魔導学院に通う以外の代替案を出してもらっているわけだし……」


 ひとつ解決しても、次に悩みの芽が出てくる。ウルリカは溜息をこぼした。

 聖マルグリット高等魔導学院では、非常に優秀な成績を修めている生徒であれば、特別待遇生徒として学費の一部、あるいは全額が免除されると聞いている。

 当然ながら、おちこぼれ生徒のウルリカには縁遠い制度だ。

 座学で一位、二位を争う成績であれば、また話は違ったかもしれない。

 残念ながらウルリカは座学については「そこそこ優秀」といった程度なのだ。放課後は大衆食堂で働き、帰宅後は家事に従事し、ときおり課外活動に精を出すウルリカは、生徒の平均的な自主学習時間を捻出できてはいない。


(成績を上げるのは現実的じゃない……主席やそれに準ずる生徒は、小さいころから厳しい教育を受けて、家庭教師に著名な召喚術師を雇っている名家ばかり。努力だけじゃあ追いつけない。……新しい働き口、探そうかなぁ)


 ウルリカが頭の中で数字を並べていると、ハーヴェイは深刻な表情で口を開いた。


「……やっぱり魔導学院、退学の選択も一つの手ではないか?」


「うそでしょ? いまさら手のひら返すの? あたしのこと肯定も否定もしない感じで相談に乗ってたのに?」


 ウルリカは目を剥いて、ハーヴェイに縋りついた。


「んう。しかしなぁ」


 ハーヴェイは申し訳なさそうに言葉を続ける。


「話を聞くに、何も身一つで放り出されるわけでもないのだろう? 決裂したら、まず家を出ることになる。おまえさん、ひとりで暮らす算段はあるのか?」


 痛いところを突く。ウルリカはモゴモゴと口を動かしながら答えた。


「一応、お金はあるの。あたしがここ四年間でこつこつ地道に貯めたお金。あと、これからもっと仕事の量を増やしたら、何とか卒業までの学費と生活費は賄えると思う……」


 ウルリカの自信のない説明を受けて、ハーヴェイはぽん、と手を叩いた。


「ああ、わたしから巻き上げた金! 学業後の労働だの、課外活動だので、入学してからセコセコ貯め込んでいたものなぁ」


「巻き上げてない! これは立派な労働の対価よ!」


 ウルリカは大声で否定した。ハーヴェイは自らの躰を抱きしめながら、信じがたいものを見るような視線をウルリカに向けた。


「……まさかとは思うが、おまえさん、金欲しさに召喚術師になりたいのか?」


 〈強欲の獣〉、とハーヴェイは呟いた。その不名誉な徒名は頼むからやめてほしい。

 そもそもウルリカが本当の強欲であれば、上等な身なりをしてふらふら徘徊している老人から出会い頭に服やら装身具やら剥ぎ取っている。

 ウルリカはブンブン、と首を横に振る。


「違う! ………………………………それも目的の一部ではあるけど」


「今しれっと、最後に何か言ってなかったか?」


「確かに、お金は欲しいわよ」


 喉から手が出るほど欲しい。

 あればあるほどいい。

 そんな風に求めるから、〈金喰の獣〉だの〈強欲の獣〉だのと揶揄されるのだろうか。


「……でも、召喚術師になりたい一番の理由は、本当に、それじゃないから」


 強く否定するウルリカにハーヴェイは疑うような顔つきをしながらも、「そういえば」と首を捻った。


「おまえさん、どうして召喚術師になりたいか、聞いたことがなかったな」


 話術巧みなこの男に尋問されれば、きっとどんなに口の堅い諜報員もペラペラと活舌が良くなってしまう。

 どうせ最後にはあれよあれよと言わされる羽目になるのだ。

 ウルリカはぎゅっと眉根を寄せて、ハーヴェイに問いかける。


「……絶対に、エリオットには言わない?」


 ハーヴェイはきょとんとした顔をしたのち、柔和な笑みを浮かべた。


「言わない。女王アリアーヌに誓って、約束しよう」


 その誓いがどの程度の効力を有するかは知らないが、彼が女王アリアーヌを裏切ることはまずないだろう。

 ウルリカは覚悟を決めて、口を開いた。


「あたし……〈雪の獣〉に、会いたいの」


 〈雪の獣〉。


 その名を耳にして、ハーヴェイの顔色は明らかに変わる。

 ウルリカはちらり、と空を見上げた。

 ポカポカの陽気が魔導学院に降りそそいでいる。

 もうすっかり春だ。数か月前の寒波が嘘のように。


「……解呪か?」


「うん」


「話の通じない悪しき獣が、おまえさんの願いを聞き届けるとでも?」


 ハーヴェイは冷ややかな声色で言った。

 いつになく真面目な顔をした彼に、ウルリカは首を振って答える。


「うん。だから、初めから討伐するつもりでいるわ。もちろんあたしが〈雪の獣〉を相手に手も足も出ないことはわかっているから。力のある召喚術師に同行してもらう。……依頼を受けてくれるかは微妙なところだけど、お金さえあれば、仕事を選ばない人間はいるもの」


 〈雪の獣〉はその強大な力が故に、〈特殊指定魔獣〉に認定されている。

 〈特殊指定魔獣〉はその名の通り、扱いが特殊な〈魔獣〉だ。只の一般人が手を出すことは禁じられている。もちろん、討伐依頼を出すこともだ。

 そもそも召喚術師は国家に従属する存在だ。その扱いと責任はフラホルク統一王国によって管理されている。フラホルク王室の命令により初めて、召喚術師は自由に動けるのだ。

 あるいは民間人の声を受け、国が判断した結果、召喚術師が派遣される。

 〈雪の獣〉の追跡調査はあの事件のあと、すぐに打ち切られたらしい。

 それからウルリカはエリオットには内密に、何度か国に嘆願書を送っているが、その声が聞き届けられることはなかった。

 召喚術師となり、自ら討伐を名乗り出れば、直接王室との交渉が行える。

 お金はたくさんかかるだろうけれど、他の召喚術師を雇うこともできる。

 だから、名目だけのおちこぼれでも、召喚術師になる必要があるのだ。


「エリオットには頼んだか」


「うん」


 ウルリカは頷いた。

 それも当然、考えたのだ。

 引き取られてすぐのこと。ウルリカは彼に頼み込んだ。


「エリオットには一蹴されたわ。〈雪の獣〉に関わることもやめろって、言ってた」


 あの日氷に閉ざされた山間の村へ救助に向かったエリオットが、〈雪の獣〉に接敵したかは不明だ。

 しかし、彼の言葉の端からは、〈雪の獣〉をひどく恐れているように思えてならない。


「結果は目に見えているだろう。名うての召喚術師であるエリオットでさえ、忌避する獣を相手にできるのか」


 ウルリカだってできるとは思っていない。さすがにそこまで、愚かではない。

 ウルリカはそっと、ハーヴェイから視線を外した。


「エリオットは、あたしと違って冷静に局面が見られるの。だから、これまでに前例のない解呪という方法を選んだ。宮廷召喚術師を辞めて魔導学院に来たのも、解呪の研究のため」


「……ああ」


 ウルリカが説明せずとも、ハーヴェイもそのあたりの事情には通じているはずだ。

 なにせ彼もまた、エリオットが宮廷魔導兵団を離職するとき、引き止めたひとりである。

 エリオットはその理由を公にはしなかったが、ごく一部の親しい存在には知らせたに違いない。


「研究、ずっと続けてる。その結果は全然、芳しくないのよ」


 エリオットは召喚術師の技能はもちろん、知識にも秀でている。

 重ねた経験も多い。頭の回転力もよく、理解も早い。

 そして、努力の人だ。だから宮廷魔導兵団は重用されていた。

 だが、そんな彼でさえ長年の研究の芽は出ていない。

 教師業の傍ら、深夜遅くまで研究に没頭する彼の姿を、ウルリカは誰よりも近くで見てきたから、知っている。


「エリオットはいい養父、なの。ひとりぼっちのあたしに、居場所を作ってくれた人。今ではあたしにとって大切な家族なの。とても大事でかけがえのない存在。でもね……」


 ウルリカはそっと瞼を閉じる。瞼の裏に思い浮かぶのは、時間が止まった灰色の病室で眠り続ける実の両親の姿だった。


「お父さんとお母さんも、あたしにとって、大切な家族なのよ」


「ウルリカ……」


「あたし、今でも大好きなの。目を覚ましてほしい。もう一度、元気になってほしい。どうでもいい話がしたい。笑ってほしい。抱きしめてほしい」


 今は深い眠りについている。本来であれば既に生命活動を終えているはずの躰も、生命維持の魔術のおかげで何とか命を繋いでいる状態だ。

 それでも予断は許さない。ギリギリの不安定な状態で、明日も生きられるか、保証のない人たちだ。

 ウルリカは目を覚まさない両親を見舞うたび、ひどい不安に襲われる。

 エリオットの解呪が成功するのはいつになるだろうか。間に合うだろうか。

 そもそも解呪ができるのだろうか。

 それならばまだ。言葉の通じない〈雪の獣〉を必死に探し求め、場合によっては命のやりとりをすることになったとしても。

 そちらの方が希望はあるのではないかと思い始めてしまう。


「あたし、エリオットのことを、信じたい。信じ切れないのは、あたしが弱いだけ。エリオットを裏切ることになっても、あたしは〈雪の獣〉に、会いたい……」


 鐘楼から、ごおん、ごおん、と音が聞こえる。

 一時限目の講義の終わりを知らせる鐘が鳴ったのだ。

 ハーヴェイ黙り込んだまま、ふいに視線を遠くへと向ける。

 彼の視線の先を追うと、ようやく徘徊老人を見つけたのだろう。護衛騎士の駆け寄る姿が目に映る。


「……お迎えが来たみたいだね。それじゃあ、あたし、もう行くわ」


「ウルリカ」


「お話、聞いてくれてありがとう。次の授業は、ちゃんと出席する。あたし、絶対に、召喚術師にならないといけないから」


 ウルリカを呼び止めた、なおも何か言いたげな彼の視線を振り切って、ウルリカはベンチから立ち上がる。

 それから今度こそ教室へと向かった。それでもやはり、その足は重かった。

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