【5】追い剥ぎは計画的に
「ん?」
ハーヴェイはきょとんと目を丸くしたのち、これ以上なく嬉しそうに笑う。
「まさか、おかわり、いいのか? 今日は気前がいいなぁ」
このボケ老人、どこまで若者から搾取するつもりか。
ウルリカが呆れている間にも、ハーヴェイはいそいそとの手のひらを重ねようとする。
ウルリカはその手をパシッと払いのけると、瞳を吊り上げて一喝した。
「違う! 先に約束したでしょ? お金。払って。この前みたいに支払い、渋らないでね?」
冗談みたいな話だが、貨幣ではなく、木の実が渡された前科もある。
獣といえど、千年は人間とともに暮らしているのだから、いいかげん、人間社会の経済について学んでほしいところだ。
お金と聞いて、すん……と真顔になったハーヴェイは、何を思ったか。
両腕をあげると、ローブをピラピラと動かしはじめる。
その不可解な動作にウルリカは、ウルリカは思わず首を捻った。
「えっと……何よ?」
「この服、造形は文句のつけどころがないが、難点は機能性の悪さだ」
赤く派手な布地は薄手で、春向けに軽やかな厚さだ。
ローブに縫い付けられた飾りが、ジャラジャラと音を立てて揺れる。
「それで?」
「財布をしまう場所がなくてな?」
「うん。素敵なお召し物だから、高く売れそうね。いくらで売れるかしら?」
ニッコリと笑顔を浮かべて追いはぎのような台詞を口にすれば、顔を引きつらせたハーヴェイは無言で装飾品の一部を無造作に引きちぎり、ウルリカの手の上に乗せた。
ウルリカとしては軽い冗談のつもりだったのだが、そうは聞こえなかったのかもしれない。
「およよ……。老いた獣から衣服をひっぺがすとは、この国も末だ……。無力ですまない、アリアーヌ……」
と、再び国の未来を嘆き始めたハーヴェイから視線を逸らし、ウルリカは受け取った装飾品をそっと摘まみあげた。
流行に敏感な国宝様らしい。なかなか洒落ている。鳥を模した金の台座に、小さな緑色の宝石が嵌めこまれていた。
傾けると遊色するそれを、ウルリカはうっとりと眺める。
ウルリカには国宝様のように、むやみやたらと飾り立てる趣味はない。
しかし、モノがモノである。
手渡されたそれは、ただの装飾品ではなかったのだ。
金の台座に彫り込まれた文字に、ウルリカの視線は釘付けだ。
(やっぱり……これ、〈魔導具〉だ! 風の魔術式……簡単な術式だから、あたしにも扱えそう!)
〈魔導具〉を使えば、複雑な呪文を唱えずとも、少量の魔力で魔術を使うことができる。
価値にすると、王都に豪邸を構えることのできる〈魔道具〉から、一月食い繋ぐことのできる〈魔道具〉までと、ピンからキリまで幅広い。
ウルリカの手の中にあるそれは、見たところ一時的に身体能力を強化するもの。
性能はそれほど高くないが、王室御用達というだけあり、装飾品としては申し分ない。
魔術式を起動してしまっても、確実に高く売れるだろう。
ウルリカは上機嫌に訊ねた。
「ねぇ、いいの? こんな高価なもの、貰ってもいいの?」
「ああ。服を剥ぎ取られるよりは、よほどいい。裸で学校の裏庭を徘徊していたら、いよいよボケが始まったと心配されて、城に監禁されかねん……」
ウルリカとしては、未だ姿を見せない護衛の心労を考えれば、いっそ監禁されたほうがいいんじゃないかと思わなくもない。
とはいえ、不祥事を教唆した人間と思われても厄介。
余計なことは口にしないに限る。
「わかった! ありがとう、ハーヴィおじいちゃん、好き好き大好きっ! さすが国宝様ね! 後で返してって言っても、ナシだからね!」
ウルリカに負けず劣らずハーヴェイは度がつくケチだ。そんな彼があっさりと渡す報酬にしては多すぎる。
だが、金に目がくらんだウルリカは違和感に気づかず、笑顔で媚を売り、ホクホク顔で制服のポケットにしまい込む。
お気に入りの一品だったのだろう。ハーヴェイは名残惜し気にウルリカのポケットを見つめている。
「ううう……フラホルクもついに暗黒時代の到来か……。召喚術師の卵が、身売りして金に換えて……」
「ちょっとぉ、その表現は不適切よ。誤解を招くからやめてくれる?」
「エリオットにとっては教え子で可愛い養女が、ひもじい魔力を切り売りして……。こんなことが知れたら、わたしが怒られてしまうんだろうなぁ、よよよ……」
メソメソとわざとらしく泣く演技を見せつける彼に、ウルリカは冷ややかな視線を向けてぼやいた。
「そんなの……あたしの勝手だし」
「んう?」
ハーヴェイはピタリと泣き真似をやめた。
「なあなあ、ウルリカ。エリオットと、何かあったのか?」
長く生きている老人は、獣の身ながら、人間の機微に敏い。
一瞬の動揺を見過ごさなかった彼は、ウルリカの右手首をちゃっかり掴んでいる。
いつのまに。ウルリカは絶句した。普段であれば彼の拘束を振り切って逃げきれた。
しかし今は、あまりにも魔力を失いすぎたためか、手に力が入らない。
(やられたっ……)
ウルリカが舌打ちすると、ハーヴェイは悠然と微笑んだ。
薄い唇の隙間から、白い八重歯を覗かせている。まるで獲物を目にした前の、獣のようだ。
ハーヴェイは先ほどまでしょぼくれていたのが嘘のように、楽しげな声音で言う。
「エリオットにおまえさんの所業、話してもいいのかぁ?」
「うぐっ」
ウルリカは呻いた。
魔力の売買は法律的に問題ないが、倫理的には昨今大きな問題として議論が重ねられているらしい。
エリオットは反対派。
当然、この秘密の取引は秘匿している。彼に知られたら、余計に魔導学院にいることを許しはしないだろう。
つまり、利益さえ受け取らなければいいのだ。
ウルリカはポケットから〈魔道具〉を取り出すと、ハーヴェイの目の前に突きつけた。
「報酬! 返す! 返すから! エリオットには――」
黙っていて。そう言いかけたウルリカのくちびるに、ハーヴェイは指先を押し付けた。
「んんっ!」
「『後で返してって言っても、ナシだ』と言ったのは、そも、おまえさんだろう? 一度売買が成立したのに、返品に応じるわけにはいかないなぁ。……ところで、」
ハーヴェイは美しい顔をグッと近づけた。
その瞳は爛々と輝いている。
「この〈魔道具〉は金メッキではない。王室御用達の職人が手掛けている流行りの装飾品なのだ。物の価値も知らないおまえさんに、このハーヴィおじいちゃんが教えてあげよう。王都に、タウンハウス程度なら建てられるだろうな?」
「……」
「引き換えにするには高いおやつだと、思わんか?」
「…………」
「おまえさんが少しでも申し訳ないと思うなら」
絶望的な顔をするウルリカに対し、彼は裏庭のお気に入りのベンチを指さしてニタニタと笑う。
「差額でおまえさんの時間を買おう。なに、次の授業まで時間はたっぷりとある。この暇を持て余した老いた獣とのおしゃべりに、付き合っておくれ?」
***
「なるほど。エリオットから魔導学院を辞めろと言われたが……ウルリカ、おまえさんは辞める気なんて、これっぽっちもないのだな?」
なんだかんだ理由をつけて言い渋るウルリカの口から、ハーヴェイは今朝がたのエリオットとのやりとりを難なく引き出してしまった。
伊達に千年以上、フラホルク王室の相談役を務めてはいないのだ。
苦い表情を浮かべるウルリカの隣で、ハーヴェイは神妙な顔つきで頷いて見せた。
「エリオットの判断でおまえさんが魔導学院を辞めさせられるのは、わたしも納得がいかないな」
「あたしの魔力が食べられなくなるから、ハーヴィおじいちゃんも困る?」
彼がウルリカからの魔力摂取を許されているのは、ウルリカがおちこぼれ生徒の身分とはいえ、名目上は召喚術師の卵だからだ。
いかに国賓である〈聖獣〉であっても、彼が民間人の魔力をみだりに食べることは禁制されている。
「それも、理由のひとつではあるが」
ハーヴェイは困ったように微笑んだ。
「現役の召喚術師であるエリオットが下した評価だ、間違いはないだろう。おまえさんの将来を鑑みて諫めるのも、教師であり養父である彼の務めなのだ。だが……それでも魔導学院に通いたいと望むおまえさんへ強引に決断を迫るようなやり方が、正しいと思いたくはないな」
普段は飄々としているくせに、こんな時に限って、茶化すことなくまじめに相談に乗られるとなんというか、非常にやりづらい。
もぞもぞと居住まいを直すウルリカに、ハーヴェイは問いかける。
「なあ、ウルリカ。おまえさんは、どうしたい?」
「え?」
「もしわたしの言葉ひとつでおまえさんの決意が揺らぐようであれば、おまえさんが召喚術に懸ける情熱はその程度だったということになる。わたしの意見を求める前に、今一度、自分の頭で考えるのだ」
ハーヴェイは静かに、ウルリカの答えを待っている。
ウルリカはしばし考えて、口を開く。
「……あたしは、魔術学院を辞めたくない」
「それでいい」
ハーヴェイはにっこりと笑う。
「…………だから、お金が欲しい」
続けてウルリカの口から漏れたのは、切実な心からの願望だった。
ウルリカの呟きを耳にしたハーヴェイは、笑顔を引っ込めると途端に憐れむ視線を向けた。
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