4.綺麗事

 塾や水泳教室、ピアノ教室、通院などで忙しい日が続き、「ルービックキューブやろうね」と誘ってくる鮎美ちゃんに素直に「うん」と言えないまま、二学期の終業式の日が来てしまった。生徒たちは全員体育館に集合している。冷たい木の床に座らされたけれど、隣に鮎美ちゃんがいて小さな声でおしゃべりできるから気が紛れる。

「望美ちゃん、今日何か予定ある?」

「今日は六時に塾」

「そう、ならその前に遊ばない?」

 んふふ、と口に何か含んだような笑いをして、鮎美ちゃんは細めた目を私に見せる。

「うん」

「寒いけどさ、公園でおしゃべりしようよ。肉まん買おう」

「じゃあ厚着していくね」

「ふふ。くっついてれば、半分だけはあったかいかもね」

 上唇が引きつった、いい笑顔。いつか味わった彼女のやわらかな肉の感触を思い出し、愛おしいような反発したいような、複雑な気持ちがこみ上げる。

「……うん、そうだね」

 遠い県へ行ってしまったら、こんなに気軽に会えなくなる。どうして、どうして。早すぎる。私を通過点にしないで。他の子と同じことしないで。鮎美ちゃんはそこにいて。そんなわがままが頭を駆け巡り、私はそっぽを向いた。

 校長先生の話なんて、私の棘々しい気持ちには何の役にも立たない。

『若人よ明日を開け 青空へ羽ばたいていけ』

 校歌の歌詞なんて、私の心から飛び出したささくれを癒やしてくれるわけない。

 綺麗事ってこういうことを言うんだ。羽ばたいて、その先に何があるというの。

 伴奏のピアノの音、三つ間違えていた。

 鼻水が出てきたのを、私は寒さのせいにした。

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