3.一九八〇

「……ああ、まだそういうのあるんだ」

「そういうの、って?」

 家に帰って鮎美ちゃんの話をしたら、お母さんの顔が急に曇った。

「あの、いわゆる奉公ってやつよ。たぶんだけど」

「奉公、江戸時代? 時代劇の?」

「そう」と言うとお母さんはくるりと背中を向け、食器棚を開けた。

 今日の晩ごはんは焼き魚らしい。私は好きだけどお父さんはあまり喜ばないだろうな、と思いながら、時代劇で見た風景を思い浮かべてみる。

「引っ越したら働くってこと?」

「うーん、どうだろうね……働くなら女の子だと子守とか、あとは……」

「あとは?」

「お母さん、今の事情はわからないよ。ええと、今日は水泳……じゃないか、水曜日だから塾の日だね。準備してきな」

 娘から質問攻めに遭ったお母さんは、米びつに向かってそう言った。この時間帯は忙しそうだから、何か聞きたくてもなかなか思い通りにいかない。

「ああ、そうそう、明日は耳鼻科に行く日だよね? 保険証忘れないように持っていくんだよ」

「はぁい」

 結局、奉公というものがどんなものを指すのか、具体的にどういうことをするのかはわからないまま、私は塾へ行く支度を始めた。


 教室は、昼休みになると窓から日が差して暖かくなってくる。

「鮎美ちゃん、いつ転校するの?」

「三学期から新しい学校なの」

「そんなにすぐなんだ……」

 透明度の高い空気を通過する眩しい光の中、私の問いに、鮎美ちゃんからカラッとした答えが返ってきた。あと一週間で冬休みに入るというのに鮎美ちゃんは寂しくないのだろうか。そう思うとイライラともモヤモヤとも違う、刺がたくさん付いているような感情が頭をもたげてくる。

「望美ちゃん、ごめんね」

「……別に」

「手紙書くね。あと、今度ルービックキューブやろう。いま流行ってるんだよ」

「ルービックキューブ……それも別に……」

「一九八〇円もするんだよ、あれ」

「西暦で今年じゃん」

 そう言うと鮎美ちゃんは「あーほんとだぁ、一九八〇年だもんね」なんてけらけら笑い出した。

「望美ちゃんおもしろい」

「別におもしろくなんか」

「仲良くなりたかったの。望美ちゃんかっこいいから、お話ししたかったの。ありがとう」

「……別に、お礼なんて」

 昼休み終了のチャイムが鳴る寸前、一瞬だけ、本当に一瞬だけ、目の奥と鼻の奥が熱くなった。

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