2.内緒だよ
「冬休み、どこか行く?」
「うちは毎年お母さんの田舎に行くの。いつも三日くらいで帰ってくるんだけど」
私の返答に鮎美ちゃんは「ふぅん」と小さく言い、冷えたアスファルトの小石を蹴った。
「あの猫、いつも窓のところにいるよね」
「あそこの? いつもなんだ?」
「うん。いつも寝てるんだよ」
あはは、と鮎美ちゃんが笑う。二学期の終わり、私たちは毎日一緒に帰っていた。彼女はおとなしい性格だったのに、最近ではクラスの中でも明るく振る舞うようになっていた。
「……あのさ、望美ちゃん、ブラとか買ってもらえてる?」
「ブラ? うん、スポーツブラだけど」
突然声を潜めて尋ねる鮎美ちゃんに、私は驚きながらも素直に答えた。
「そういうのさ、やめたほうがいいよ。ちゃんとサイズ測ってもらえるところで買うほうがいいんだよ」
サイズ測って、というところで驚いてしまい、私は前に進めていた足を止めた。鮎美ちゃんが心配そうな顔つきで一緒に立ち止まってくれる。
「さ、サイズ測って……服の上からでも恥ずかしいよ……」
「お母さんと一緒なら恥ずかしくないから。ね?」
「う、うん……」
「あのね、大人になったら必要なんだよ。お母さんが言ってた。弟はそういうのいらないからうらやましい」
ぺろっと舌を出していたずらっぽく笑う。
鮎美ちゃんの弟は双子だけれど、全然似ていない。二卵性双生児というらしい。違うクラスだからよく知らないけれど、運動が得意で活発な子だと聞いたことがある。
「まあ、弟とはもうすぐ離れて暮らすことになるんだけど」
「え? なんで? 転校するの?」
「ん、学校の子には内緒だよ」
再びびっくり顔をしてしまった私に、鮎美ちゃんは顔を近付けてこそこそと話す。小さな子供に戻ったみたいで何だかくすぐったい。
「あたしね、もらわれるんだ」
「もらわれる?」
「養子に出るの」
転校するのは弟ではなく姉のほうだった。せっかく仲良くなれたのに、などと考える自分にまた驚く。私は通過点だから、ひととき仲良くなれてもみんな離れていくってわかっているのに。
「じゃ、じゃあ、転校……?」
「うん。手紙書くね」
優しく笑う鮎美ちゃんの唇が少し引きつっている。その唇が、遠い県名を告げた。彼女の口唇裂の跡をぼんやりと見ていると、柔らかな腕が私の腕に回ってぎゅっと心地よい締めつけ感をもたらす。
「望美ちゃん、あったかい」
「……うん。鮎美ちゃんも、あったかい」
「あのね、大人になってきたから
「お金持ちのおうちなのよ」と、彼女がうれしそうに言う。……ううん、本当はうれしそうには見えなかった。私はその頃には、鮎美ちゃんの唇がどういうときにどう動くか、もうわかっていたのだから。それなのに私は、きっと彼女にとってはうれしいことなのだろうと思い込もうとしていた。
「何でも買ってもらえそうだね」
「うん、でもルービックキューブはもうお母さんに買ってもらったんだ。今度一緒にやろうね」
きっと鮎美ちゃんは幸せになりに遠い地へ行くのだと、思い込もうとしていた。
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