通過点

祐里

1.なりかけ

 雪が降り始めると思い出すことがある。もう四十四年も経つというのに。

望美のぞみちゃん」と明るい表情を見せてくれた友人は、いまも笑顔でいるだろうか。あのとき私たちができなかった約束を、もしまた会えたら結ぶことはできるだろうか。

 もし、また、会えたら。


 一九八〇年、中学二年生の私たちは、大人になりかけだった。親がどこからか持ってくる週刊誌でアダルトな色恋を学び、少女漫画雑誌の人気ギャグ漫画や切ないラブストーリーを好んでいた。太ってきたからとダイエットを始める子もいれば、受験のことしか考えない子、ソフトボール部の練習で日焼けした子もいた。

 同じクラスの酒井鮎美さかいあゆみは、小柄で痩せた子だった。勉強や運動はそれほど悪い成績でもないが特に良いということもなく、嫌われてはいないが人気者というわけでもない、少々おとなしめの、ごく普通の子だった。ただ、彼女にはクラス内の他の子にはない特徴が、一つだけあった。鼻の下にくっきり残っている口唇裂こうしんれつの跡だ。

「あれ? 酒井さん、もしかしてちょっと太った?」

 寒いグラウンドでのマラソンが終わり、声が聞こえてきたほうに目をやると、彼女が照れくさそうに「うん」と答えているのが見えた。そういえば確かに、身を屈ませて水道の蛇口から水を飲む彼女の体型が少し変わっているように見える。胸とお尻に肉が付いてきたのだろう。私と同じだ。皆そうなるのだと、保健体育で教わった。ティーン向けの雑誌にも書いてあった。程度や時期の差こそあれ、女子は同じように変わっていくと。


宮岡みやおかさんも太っちゃった?」

 教室の席で後ろからかけられた声は、すぐに彼女のものだとわかった。上唇うわくちびるの伸縮性があまりなく、イ段やウ段をうまく発音できないから。話しかけられたのは突然だったけれど、私は驚かなかった。自分の学校での立ち位置はただの通過点みたいなものなのだ。

「太った……のかな。体重は増えてるけど」

「そういう年頃なんだよね。体型が変わるの」

 彼女の返答を聞いて、私はむっとした。そういう年頃だなんて、それならわざわざ「太っちゃった?」なんて聞かないでほしいという思いが顔に出ていたと思う。

「ごめん、あたしもそうだから同じだなって思って。……ね、望美ちゃんって呼んでいい?」

「別にいいよ」

「あたしのことも、鮎美ちゃんって呼んでくれる?」

「うん、わかった」

 いつものことだ。女子は、所属するグループで何となく仲間外れにされたり、グループ内の誰かと気が合わないと気付いたりすると、私に言い寄ってくる。私はどこのグループにも属していないから話しかけやすいのだろう。たいていみんな、最初に「下の名前で呼び合おう」と提案し、グループ外の子と仲良くなれたという事実を作りたがる。

 私に一緒に帰る約束を取り付けると、鮎美ちゃんは自分の席に移動していった。

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