第3話 地獄のような悪魔的異世界



「やれやれ……」


 城から追い出された直後は腹が立って仕方なかった俺だが、街を歩いているうちに頭が冷えた。

 なにせ目に入るのは初めてのものばかりで驚きの連続だからな。


 そうやって知った情報を頭の中で整理していると、ふと気づくことがある。

 この事態は俺にとって、むしろ歓迎するべきものなんじゃないかってことだ。


 確かに俺は巻き込まれただけの一般人で戦力外だったようだが、四つ子はみんな勇者だった。これから彼女たちは王国の支援を受けて魔王を討伐するのだろう。

 魔王がどれだけ強いのかは知らないが、そのために召喚した勇者が四人もいるのだ。倒せるに違いない。


 だったら待てばいいじゃないか。


 別に俺が参加しなくても魔王が倒されれば、奪われた『天の宝珠』とかいうマジックアイテムが戻ってくる。その力で元の世界に戻れるんだろ?

 四つ子もさすがに俺を置いて帰ったりはしないはずだ。

 だったら果報は寝て待てばいい。


 彼女たちが魔王を倒すのを待つ間、俺は観光でもして気楽に待とう。

 飽きたら宿屋でごろごろして過ごそう。

 他力本願――俺は結構好きな言葉だ。元は仏教に由来するからな。


 ただ少しだけ心配なのは資金の問題だろうか。

 城から追い出される前にセラがくれた支度金は少額で――きっと俺が勇者じゃない一般人だったからだろう。わずか一ヶ月ほどの生活費にすぎなかった。

 一ヶ月で彼女たちは魔王を倒せるだろうか?


 これはちょっと想像もつかない。

 俺なら大抵のゲームは数日もあればクリアできるが、あいつらはどうなんだ?

 いずれは生活費を稼ぐために働く必要があるかもしれないな。


「でも、なんとかなるだろ。とりあえず拠点だ。今日の宿を探すか」


 俺は頭を切りかえて石畳の大通りを歩いていく。

 通行人はかなり多く――いや、人間以外にもいろんな連中がいる。

 まぁ異世界だからな。


 お約束のエルフにドワーフ。子供みたいな背丈のホビット。それから犬や猫の耳を生やした獣人族なんかも見かけた。

 多種多様な種族のサラダボウルという感じだ。

 道に面した屋台は大勢の客で賑わい、なにやら派手な姿のやつが大道芸に興じ、獣人の子供が矢のような速さで駆け回って遊んでいたりして活気がすごい。


 もちろんそれはここが世界最大級の都会だからでもあるのだろう。

 ここはバーガンディ王国の首都だそうだからな。

 城下町ともいう。

 城を含む街全体が厚い壁に囲まれているのだが、とにかく広いんだ。

 探せば他にも知らない種族がどこかにいるのかもしれないな。


「それにしても――」


 先ほどから俺は妙なことが気になっている。

 見た感じ、街の住人の三割くらいが人間なのだが、俺を見ると誰もがはっとするのだ。

 特に女性はやけに強い視線を俺に注いでくる。

 そういえば最初、宮廷魔法師のセラにも妙にじろじろ見られたな。


 やがて、ある考えが頭に浮かんでくる。


「もしかして――もしかすると……」


 仮説の検証のために俺があちこち眺めながら歩いていると、やがて宿屋に行き当たった。


「お……意外と悪くないな」


 年期は入っているものの、清潔そうな雰囲気で安そうだ。

 初日から贅沢するのは避けたいし、今日はここに泊まるか……なんて考えていると唐突に後ろから声をかけられる。


「ちょっと、そこのあなた」


 振り返ると人間の太めの中年女性が立っていた。

 服装からすると一般市民だが、なぜか俺の顔を食い入るように見ている。


「俺になんか用ですか?」

「やだもう! 近くで見ると、ますますいい男!」

「……今なんて?」


 この世界特有のジョークかと思ったが、彼女は本気だった。いきなり俺の手を握ると、自分の頬に無理やり押し当てながらうっとりと言う。


「情緒が死んだ目に不健康そうな顔色……。がりがりの体と気怠げな猫背。あごに薄く浮いた無精髭もたまんないわ。どこからどう見ても理想の男性!」

「なに言ってんだあんた!?」


 俺は慌てて手を振りほどく。

 ああ、びっくりした。

 あと、えらい失礼なことを言われた気がするんだが。


「ねえ、あなた奥さんはいらっしゃるの?」

「や、いませんけど……」

「そう! あたしには旦那がいるけど全然気にしない。だって、あなたみたいにセクシーな男を見たのは初めてなんだもの」

「……は?」

「もう我慢できないわ。とりあえずこの宿に入りましょう。こってりと親睦を深めましょう!」

「ちょいちょい待て待て待ってくれ!」


 さすがに俺も度肝を抜かれた。


「どういうことだよ? 俺そんなセクシーじゃねぇし、むしろ色気ねぇ方だし!」

「ううん、最高の男よ。きっと周りの女たちに見る目が皆無だったのね」

「や、俺は30歳になったばかりの普通のおじさんだよ」

「そこがいいのよ。おじさんは男の最上位! 無茶苦茶好みだわぁ!」


 俺はくらりと目眩がした。

 そうか――やはりそうなのだ。

 どうやら俺が思いついた仮説は当たっていたらしい。


「あのー、やっぱおじさんって……この世界だと珍しいんですかね?」

「当たり前じゃない! あたし人間のおじさんなんて見たの初めてよ。ああ、見てるだけで夢見心地。おじさんってこんなにも崇高で愛おしい存在だったのね!」


 なんということだ。

 今や俺は完全に理解していた。

 この世界にはおじさんがいない。

 俺はおじさんのいない異世界に召喚されてしまったのだ――。


 それから俺が彼女から聞き出した話によると、この世界の男は29歳を超えると急激に老化して、たちまち外見が50代になるという。

 つまり肉体年齢が30代と40代の男は事実上、存在しないということだ。ちなみに女性は全年齢ちゃんといる。


 なぜこんな現象が起きているのか原因は究明されていないらしい。

 もしかすると魔王が元凶なのかもしれないが――例えば30代と40代の男性が一番強いから? なにか呪いのような力で脅威を排除しているとか?


 いや、戦闘なら肉体年齢が20代の方が普通に強い気がするが。スポーツ選手とかでも瞬発力と持久力が違うからな。人にもよるんだろうけど。


 ちなみに人間以外の種族にこの現象は当てはまらない。エルフにもドワーフにもホビットにも獣人族にも肉体年齢30代と40代の男――おじさんは存在する。

 つまり人間のおじさんだけがいないのである。


「まったく……」


 俺は頭を抱えた。道理でじろじろ見られるわけだ。

 街の女性たちの熱視線を考慮するに、俺はただおじさんであるというだけで希少価値のあるモテまくりの存在になってしまったらしい。


 まぁ魔法師のセラみたいに精神力が強ければ多少耐性もつくんだろうけど。


「ちょっとあなた、抜け駆けはずるいわよ!」


 ふいに横から剣呑な声が飛ぶ。

 って、なんだなんだ?


 気づくと俺の周りを大勢の人間の女性が取り囲んでいる。

 顔ぶれは……うーむ、70代とか80代くらいのご婦人が多いな。

 遠慮や慎みが失われるのはその辺の年代が多いのかもしれないし、まぁ俺の単なる偏見かもしれないが、しかし今現実として大勢のばあさんが俺に迫ってきている。

 唇から薄くよだれを垂らして。


「あたしの方がずっといいと思わないかい?」

「ひょっひょっ。あたしだって負けとらんわ」

「ヒヒ。あんたみたいな最高の男のためなら、なにもかも喜んで捨てるわい」


 やめろ! なにもかも捨てちゃ駄目だ!


 彼女たちの迫力は飢えた獣を彷彿とさせた。……モテすぎるのも考えものだな。


 なにはともあれ、異世界で初っ端から性病になるリスクは負いたくない。

 俺は腕時計をつけていない手首にさっと視線を落とした。


「あれ? もうこんな時間か。すみませんが、今日はこれから予定があるんで」


 マナーとして一応言い訳すると俺は脱兎のごとくその場から逃亡した。

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