07.黒水晶
はるか昔、リブラッドから地球界へ持ち込まれた黒い水晶。
五つのパーツを組み込めば、一つの十字架になるという代物だ。
中央の円になる部分と、その周囲に刺さる四本の槍。
分けられたそれらのパーツが一つずつ、ガラスの箱に納められて、遺跡の奥にある小部屋に安置されていたのだ。
遺跡を発見した学者達はこぞってその黒水晶に興味を示したのだが、手が届かない。黒水晶が入れられた全面がガラスの箱にはフタとなる部分がなく、どうしても箱から取り出すことができないでいる。
「ガラスに最小限の穴を開けて、中身を取り出すべきだ」と主張する者。
「あのガラスの箱にも、何かしらの価値があるかも知れない。いや、あれはオーパーツと言える代物だ。この状態で、エックス線を当てるなどして調べるべき」と主張する者。
今、学者達の間では、その二つの意見で大きく分かれてもめている。
「あの、あたしが行って、その黒水晶が手に入るんですか?」
偉い学者の先生がどうするかでもめているのに、アシェリージェが行って解決できるとは思えない。
「ああ。人間の学者に、どうこうできるはずがないんだ。持ち込んだ奴の
さらには、学者達が解読できないと悩んでいる文字が、その小部屋の近くの壁に刻まれていた。
彼らがそれを読めないのも道理。刻まれていたのは昔の文字などではなく、リブラッドの文字だったのだ。
遺跡は現在、一部のエリアではあるが一般にも開放されている。調査のために、まずグレーデンだけが中へ入った。
そして、その文章を読み……そんなにこの黒水晶が気に入ってたのかな、とこちらの世界へ持ち込んだ
「何て書いてあったんですか?」
「『満月が浮かぶ前 純潔なる乙女の手によって封印は解かれる ただし、自らの意志を持って行うものなり』だと。つまり、人間の女性の手によって封印は解けるが、俺達が操ったりした人間では無理だって言ってやがるんだ。よっぽどうまく騙さない限り、自分で封印を解こうとする女なんて現われないだろう。封印と聞いた時点で、警戒もされるだろうしな。さらに、時間制限までもうけてやがる。月が浮かぶ前だから、その時期にもよるが夕方までってことだ。人間の目がある、中途半端な時間だぜ、ったく。しかも、条件は満月だから、ひと月にほぼ一度しかチャンスがない」
偶然に偶然が重なり、人間の女性が夕方に手をかざすことも、ないとは言えない。だが、そこにその女性の「封印を解こう」とする意志がなければ解けない。
幸運にも封印が解けた、という偶然の状況は発生しないようになっているのだ。
ダイウェルが言うように「封印を解いてくれ」と頼んだとしても「え、封印を解く? やだ、何か変なことが起きたりしない?」と引かれてしまいかねない。
封印の解き方を書いてくれているのはありがたいが、できるものならやってみろ、という挑戦的な部分も感じられる。
文章を読んだグレーデンも、その話を聞いたダイウェル達も、第一印象は「根性わりーなー」だった。
この黒水晶も、一つにすれば人間の悪意を吸い込むアイテムになるが、ばらばらの状態では単なる黒水晶。
この状態だと何の力も発揮しない水晶に、これを持ち込んだ者はなぜここまで執着するのか、悩むところである。
黒水晶そのものが気に入っていたのか。地球界の人間を混乱させてその様子を見るのが楽しかったのか。
とにかく、そういう仕掛けになっている、とわかった。
その時にダイウェル達の頭に浮かんだのは、彼らのことを知っている「人間の少女」の顔だったのだ。
「お前なら、真相を隠す必要もないからな。いざとなれば、逃げる手段もある。うってつけ……と言うか、お前しかいないんだ。他に当てはまりそうな女性ってのに、心当たりがなくて。危ないからあまりその力を使うな、とか言っておきながら悪いが」
地球界で「条件に当てはまる女性」なら、他にもいるはず。だが、リブラッドのことは知っていてもダイウェル達のことを知っている、という条件を加えると……すぐに思い当たらない。
「純血なる乙女」と限定されているので、年齢もある程度
「はぁ……」
自分が行くだけで封印が解けるなら、アシェリージェには特に断る理由もなかった。
封印を解いたとしても、そこから呪いや毒ガスが出る訳でもない。リブラッドでは親切にしてもらったし、頼られたのなら助けてあげたい、と思った。
「でも、ダイウェルさん達の罰ゲームなのに、あたしが入ったりしてもいいんですか?」
「ああ、神気以外なら縛りはない。何でもありだからな。実際問題、この件に関してはお前にやってもらわないと、俺達もこれ以上は動けないんだ」
アシェリージェは、彼らにとって封印を解くためのアイテム。それも、切り札レベルだ。
「そっか。いいですよ、あたしができるのなら」
こんなに頼られたことがないから、何だか嬉しい。ちょっと特別な感情を抱いている相手からなら、なおさらだ。
「ありがとう、助かる。ただ、神気は使えないから、ドラードまではちゃんとした交通機関を使うからな」
ダイウェルの言葉に、アシェリージェはきょとんとなる。
「ドラードまでって?」
「まさかお前、ここで封印を解く、なんて思ってないよな? 封印は現地で解くんだぞ。そのためには、移動する必要がある。で、お前と俺は飛行機で、ドラードまで行くんだ」
国を超えるし、半端な距離ではない。地続きなので鉄道でも向かうことは可能だが、飛行機ならすぐだ。
「え……でも、あたし、飛行機代なんてとても出せないし」
どこまで行くにしろ、一般的な高校生のこづかいでは、そう簡単に飛行機には乗れない。アシェリージェはバイトをしていないので、なおさら先立つものがなかった。
「それは全部、俺が出す」
「ええっ。でも……ダイウェルさん、どこからこっちの世界のお金を調達するんですか。まさか、銀行強盗なんかしないですよね」
考えてみれば、ここの支払いだってどうするつもりなのだろう。彼の分のドリンク代くらいならアシェリージェにも出せるが、十分な金額が財布にあるかどうか。
ちなみに、アシェリージェは現金派だ。
「する訳、ないだろ。そんな面倒なことしなくても、会計局から出る。心配するな」
リブラッドの税金(?)を使っていいものか悩むところだが、結果的に彼らの仕事のようなものだから、それくらいはいいのかな、などとも考える。
「わかりました。あとは……ママにどう言うか」
大人ではないアシェリージェが、親に黙って家を出ることはできない。まして、国を超えるのだから、なおさらだ。
「さっき言ってたろ。五年に一度の祭りがあるって。俺がそれに連れて行ってやるってことで、話せないか? 期間は一週間。今は夏期休暇だから、それくらいは大丈夫だろ?」
別にもっと長くてもいいんだけどな、なんてことをこっそりと思いながら、アシェリージェはうなずいた。
「はい、それで話してみます」
☆☆☆
「いけません」
娘の頼みに、マリアンヌはあっさりと言い切った。
「でも、ママ……」
「何言ってるの。ドラードは遠いのよ。おばあちゃんの家へ遊びに行くのとは、訳が違うんですからね。しかも、会ったばかりの人に飛行機代を出してもらうだなんて、甘えるにも程があるでしょ。それに、向こうではどこに泊まるの?」
「ダイウェルさん
まさか「異世界の使者」のアジトに、とは言えない。それに「会ったばかりの人」ではないことも、とても言えなかった。
「あちらに住んでらっしゃるの?」
「別荘、かな」
そこまでは聞いていない。これは口からでまかせである。
「どこにしても、甘えっ放しじゃないの。今年はパパが出張続きでどこへも連れて行ってあげられないし、かわいそうだとは思うけど……。かっこいい人をボーイフレンドにしてね、とは言ったけど、いきなり旅行はないでしょ。ママは賛成できないわ」
旅行なんて、形だけなのよぉ……と言えたら、どんなに楽か。
真実を話せないまま、交渉窓口のシャッターを下ろされてしまった。これ以上頼み込んでも、いい返事は期待できそうにない。
その日の夜はあきらめ、アシェリージェは朝になってダイウェルの所へ行くと、昨夜の会話を伝えた。
「お祭りに行きたいって言ったら、あそこの祭りはかなり派手らしいから危ないって言われました」
まさかとは思うけど、ママってば「ダイウェルさんが」危ないって言ってる訳じゃないわよね? 昨日は「素敵な人」って手放しでほめてたんだし。あ、普通の人間の男性だと思ってる訳だから、それもありかしら。
「そうか。娘が旅行に出るのが心配だっていう、親の気持ちもわかるが……。わかった。俺が話す」
アシェリージェが駄目なら、ダイウェルが出るしかない。
母親が買い物に出掛けるのを見計らい、ダイウェルとアシェリージェはさも散歩から戻って来て偶然会ったような雰囲気で、マリアンヌに声をかけた。
「あら、こんにちは。アシェリ、ダイウェルさんと御一緒だったのね」
「うん……色々とお話してたの」
色々の内容は、とても口に出せないが。
「そうなの。ダイウェルさん、うちの子、ちょっとズレていたりすることがあるんですけれど、大目に見てやってくださいね」
最初に会った時「テレビ局のメイク室か」なんてことを口にしていた。
自分が意識しないうちに、いきなり知らない場所へ来れば。普通は悲鳴をあげるとか、近くにいる相手が誰なのか、ここはどこなのかを聞こうとするものだろう。
今になって思えば確かにズレてると思うが、それは知ってます、とはさすがにダイウェルも言えない。現在「会って二日目」という設定である。
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