05.異世界の使者

 これだけ有名な美術品のたぐいなどは、奪ったところで買い手がつかずに終わりかねない。闇ルートでも金を積んでくれる人間がいるか、怪しいものだ。

 にも関わらず、この泥棒はそういう品ばかりを盗んでいるのである。呪いなどという、目に見えないものは信じない性格なのだろうか。

 警察は次もこういう類の美術品が狙われるのではないか、とかなり警戒しているようだ。

 こんな品々だから、恐らく金銭目当てではないだろう。それでも、窃盗は窃盗。泥棒は捕まえて、しかるべき償いをさせるべきだ。

 しかし、指紋はもちろん、カード以外は何の痕跡も残さず、何人組なのかすらも一切わからないらしい。

「だけど、どうして『異世界の使者』なんて名乗るのかしら。盗む物がこんな危なそうなのばっかりでも、異世界の自分には関係ないってことかしらね」

 異世界と言えば。

 リブラッドで出会った青年達が「怪盗ルパン」のごとく、狙った物を鮮やかに奪って行く光景を想像し、新聞を読んでいたアシェリージェはくすくすと笑った。

 彼らならすっごく似合うかも……。それに本当に異世界の誰かなら、こういうのを盗んでも影響があるとは思えないし。

「アシェリ、ちょっと手伝ってくれる?」

 キッチンから、母のマリアンヌが声をかけた。

「はーい」

 アシェリージェは新聞をたたんでテーブルに置くと、キッチンへ入る。

「ねぇ、アシェリ。お隣のエリスおばあちゃんの所に、昨日からお孫さんが来てるのよ。知ってた?」

 母親がたまごをかき混ぜる手を休めずに、そんなことを言った。

「そうなの? 知らなーい。どんな人?」

 アシェリージェはコーヒーを淹れるためのお湯を沸かすべく、やかんに水を入れる。

「とっても素敵な人よ。二十代前半……くらいかしら。アシェリもその人くらい、かっこいい人をボーイフレンドにしてね」

「もう……。どうしてママの好きなタイプを、あたしのボーイフレンドにしなきゃなんないのよ」

 ミーハーな母親の言葉に、娘の方が苦笑する。

「あら、アシェリだって素敵って感じると思うわよ。母娘おやこなんだから、好みだって似てるんじゃないかしら」

「ふぅん、そんなものかなぁ」

 それじゃ、ママがダイウェルさん達を見たら、どう思うのかしら。

 そんなことを考えると、つい笑いがこみ上げるアシェリージェだった。

☆☆☆

「え……」

 昼食後。

 オレンジが足りないから、とお使いに出されたアシェリージェは、通りに植えられたニレの木の下に立っている影を見付けて立ち止まった。

 白い半袖シャツに黒いパンツを身に着けた男性だが……その顔には何となく、いや、ものすごく見覚えがある。

「よぉ」

 向こうもアシェリージェを見付け、軽く片手を上げて声をかけてくる。周りには他に誰もおらず、彼が声をかけたのは間違いなくアシェリージェに、だ。

「あ……え……えっと……」

 びっくりしすぎて、まともな言葉にならない。

「何だ、言葉を忘れたのか?」

「ち、違……。あの……ダイウェル、さん……ですよね?」

「絶句する程、変な姿か?」

「そ、そういう訳じゃ……」

 わざとらしくちょっと傷付いたような表情をされ、アシェリージェは慌てて首を横に振った。

「だけど、前に会った時と見た目がちょっと違うし……まさか、また会えるなんて」

「今回は、事情が特殊で。そうそう会うことはない、なんて言ったくせに格好悪いんだけどな」

 アシェリージェの目の前にいるのは、およそ一ヶ月前に異世界リブラッドで会ったダイウェルだった。

 が、前とはあれこれ違う。何が違うかと言えば……若い。

 前に会った時は、二十代半ばくらい(ちゃんと年齢は聞いていなかったが)だったのに、目の前にいるダイウェルは二十代になったところ、といった感じだ。大学生に見えなくもない。

 ダイウェルであることに間違いはないものの、わずかではあるが若返っている。深い青の瞳は同じ。だが、鮮やかな赤い髪が、今は赤みの強い茶色。

 そして、何より……角がなかった。

 この辺りで角のある人がうろうろしていたら、当然大騒ぎになるだろう。だが、リブラッドの住人であるダイウェルには角がある、という前提がアシェリージェの中にある。

 なので、角がないからすっごくよく似た人かな、と思ったのだが……本当に本人だった。

 姿を変えられる神気がある、と聞いた気がするが、ダイウェルがその力を持っているとは聞いていない。

 いや、色々な力がある、という話だったし、いちいち全部は説明されなかった。その「色々」に入っているのかも知れない。

 今の場合は姿が違うと言うより、わずかに若くなったことと角の有無だけなのだが……アシェリージェが知る彼の本来の姿と違うのは確か。

 それから、アシェリージェははっと気付く。

「もしかして、ママが話してたお隣に来てるお孫さんって、ダイウェルさんのことだったんですか?」

「ああ、そう言えば、昨日来た時にお前の母親に会ったっけな」

 どうして彼がアシェリージェの母を知っているのか、はともかく。マリアンヌが話していた「素敵な人」とは、ダイウェルのことだったのだ。

「ど、どうして、うちのお隣に来てるんですか」

 しかも、変装までして。

 ダイウェルがアシェリージェをこちらの世界へ送ってくれた時は、滞在時間が短いこともあり、そのままの姿だった。そのせいか、人の気配がしたらすぐにリブラッドへ戻って。

 人間の姿をしている、ということは、こちらで行動するためだろう。犯罪者を捕まえるためによくこちらへ来る、という話も少し聞いたから、その辺りは何となくでも予想できる。

 しかし、なぜ「アシェリージェの家の隣」に彼がいるのだろう。しかも「孫」として。そこがわからない。

 リブラッドから逃走した犯罪者がこの近くにいて、だからそれを追ってダイウェルが来て……ということも考えたが、それにしては緊迫感のようなものがなさすぎた。

 本当にそんな事情があるなら「よぉ」なんて軽い挨拶は出ないはず。

「それは……今、いいか? 立ってするには、ちょっと長い話なんだ」

「あ、はい」

 ダイウェルの後にくっついて行き、アシェリージェは近くのカフェに入った。

 声が響くから、と言って、ダイウェルはテラス席につく。気温はそれなりに高いが、近くに立つ木が木陰を作り、風が通り抜けるので心地いい。

 ダイウェルはアイスコーヒーを、アシェリージェはアイスココアをそれぞれ注文した。

 これって、何だかデートみたい。だけど、まさかダイウェルさんがあたしとお茶するために地球界へ来た、とは思えないし……。

 地球界へ送られ、家に帰ってようやく落ち着いた後。

 また会えたら、なんてことを心のどこかで思っていた。でも、会うことは滅多にない、と言われていたから無理だろう、ということも思っていた。

 文字通り、住む世界が違う。考えたところで、切なくなってしまうだけ。あのわずかな時間の経験はいい思い出として、心にしまっておこう……と自分を納得させていた。

 それが思いがけない再会となり、ものすごく嬉しいと思ってはいるが……。その目的は「アシェリージェに会いたい、というものではないだろう」ということも何となく予想がつく。

 そうでなければ、わざわざ場所を変える必要はないだろう。さっきの挨拶のように、こちらへ来た目的を軽く話せば済むはず。

 それが「長い話に」ということは、かなり込み入った事情があるのだろう。

 ちょっぴり複雑な気分になりながら、アシェリージェはダイウェルの言葉を待った。

「お前に、手伝ってもらいたいことがあるんだ」

 前置きなしで、ダイウェルはそう切り出した。

 家へ戻る前、何かの手伝いをしてもらうことがあるかも、とは言われたが、まずない、とも言われていた。

 なのに、そんな依頼をされ、アシェリージェは首をかしげる。

「あたしに、ですか? あたしなんかにできるんですか?」

 何と言っても、相手は異世界のトップで多くの能力を持つ。方や、アシェリージェは人間。

 テレポートできる、という特殊能力はあの一件で得たものの「危険が多いから」と言われたので、学校に遅刻しそうになった時以外に使ったことはない。

 それ以外は、どこにでもいる普通の女の子。彼らができないことをアシェリージェがする、というその内容がすぐには思い浮かばない。

「お前でないと、できないんだ」

 アシェリージェの戸惑いをよそに、ダイウェルは断言する。

 それから、横の席に放置されていた新聞を取った。前の客が置いて行ったものだろう。

 アシェリージェも朝に見た、世間を騒がせている泥棒の記事。それが、これにもトップで載っている。

「声、出すなよ」

「はい……?」

「俺達がやったんだ、これ」

 ダイウェルが指差すのは、例の記事。アシェリージェはその指先にある記事と、ダイウェルの顔を何度も見比べる。

 声を出すなと言われたので、かろうじてそれは守れたものの、ただでさえ大きな紫の瞳が本当にこぼれ落ちそうなくらい、アシェリージェは目を見開いていた。

「お前……本当に俺の予想通りの反応、してくれるな」

 声にはしなくても「うそでしょっ。これ、本当にダイウェルさん達がやったんですか? 冗談とかじゃなく? からかってません?」と言っているのがよくわかる。

 そんな彼女の表情を見て、こらえきれずにダイウェルは笑った。

「まさか、からかってるんですか」

 彼の笑顔にどきりとしつつ、それを悟られまいとアシェリージェは軽くダイウェルを睨む。

「いや、本当のことだ」

 ちょうど店員が飲み物を持って来たので、話は一時中断される。第三者が去ったのを確認してから、ダイウェルは話を再開した。

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