02.二度あることは
どうしてこんなことになってるのぉ?
くしゃみをした時、目を閉じた。テレビで聞いた話だと、目玉が飛び出さないように、という身体の反応らしいが、それはともかく。
次に目を開けると……またさっきと似たような状況になっている。
アシェリージェは机の上に座り込み、目の前にはダイウェル達とは違う男性が座っていたのだ。
長く薄い金の髪の、少し女性的にも思える若い男性。たぶん、ダイウェル達と近い歳だと思われる。
その額には角があるから、リブラッドには違いないようだ。
「何となくの予想はつくが……お嬢さんはどこから来たのかな」
最初に目が合った時はさすがに驚いた表情だった男性だが、すぐに穏やかそうな顔になって尋ねてくる。
「え、えっと……」
この場合、どう答えたらいいのだろう。
自分の住む街からと言うべきか、さっきまでいた会議室と言うべきか。
アシェリージェはどこへ来てしまったかわかっていないし、あの会議室にしても現在地からどれだけ離れているかわからないから、説明を求められるとものすごく困る。
男性の髪の色より濃い金色の瞳は、優しそうに見えるが「嘘は許さないよ」と言っているようにも思えた。
穏やかそうに見えて、こういうタイプの方が怒ると怖い。……たぶん。
もっとも、何を言えば嘘になるのか。アシェリージェには、その辺りもよくわかっていない。
アシェリージェが答えられずにいると、ノックの音が聞こえた。
今まで目の前の男性にばかり意識が向いていたが、その音でここには彼と自分しかいないと知る。
ここは彼の部屋なのだろうか。大きな机に、よくわからない物が飾られている棚。ソファのセットもあり、イメージとしては広めの校長室だ。
調度品などは学校にある物よりはるかに高そうに思えたが、高校生のアシェリージェにはその例えが一番しっくりくる。
「入れ」
男性が応えると、扉が開いた。入って来たのは、ダイウェルだ。
彼と出会ってから、まだ三十分も経っていない。だが、見知った顔が現れ、アシェリージェは心の底からほっとした。
「失礼します。……机の上が好きな奴だな」
そんなことを言われた直後、アシェリージェは机のすぐそばに立っていた。
さっきも似たようなことがあったはずだが、どういう経過があってこうなったのか、やっぱりわからない。
「地球界の子が、ここまで来たのか」
「はい。説明をしかけたところで、また飛びました。かなり強い影響を受けているようです」
あの会議室とは違い、ダイウェルの言葉遣いが丁寧だ。
さっき、彼らはトップの地位にいるようなことを言っていたはず。そのトップがこういう言い方をするということは、目の前の彼はさらにその上にいる人、ということになる。
あたし、もしかして一番偉い人の前でやらかした、とか?
「早急に処置します。詳しい報告は後ほど」
「ぬかりなく、ね」
さらに偉い人の前で……と青くなっていたアシェリージェは、彼らの会話を聞いてさらにさらに青くなる。
処置って、何? あたし、もしかして改造とかされるの?
「失礼します。ほら、行くぞ」
ダイウェルに背中を押され、アシェリージェは少し会釈をして部屋を出た。
「あ、あの、今の人は……」
「マージェスト。総司令官で、俺達の上司にあたる。地球界で言うところの、国王や大統領、首相だな。要するに、リブラッドの頂点だ」
やっぱり、めちゃくちゃ偉い人だったーっ。
高校生のアシェリージェが会った偉い人と言えば、校長先生か住んでいる街の市長くらいか。
それだって、まともに差し向かいで会話をしたことはない。……今もちゃんとした会話はできていなかったが。
「上司と言っても、仕事を始めたのは同じ年だし、言ってみれば同期だ」
世界のトップを単純に「同期」と呼んでいいのだろうか。社会人ではないアシェリージェには、その辺りの上下関係を理解するのは難しい。
この世界のトップは世襲制で、マージェストも自動的にその地位についた。だが、仕事を離れると、普段は軽口を言い合うくらい仲はいい、という話だ。
「さっきの部屋へ戻るぞ」
「あ、あの」
アシェリージェが何か言いかけたが、気が付くと目の前にさっき会った四人のトップの顔があった。アシェリージェのそばにはもちろん、ダイウェルがいる。
「よかった。ちゃんと連れ戻せたね。さすが」
カムラータがほめ、ダイウェルは「当然」と言いながら、まんざらでもなさそうだ。
「ごめんね、アシェリージェ。あれこれ疑問はたくさんあると思うけど、先にやることをやっちゃうね」
「え……」
ノーゼンの言葉に、アシェリージェはびくっとする。
さっきダイウェルが言っていた「処置」という言葉が、アシェリージェの頭にぐるぐると回った。
「大丈夫だって、アシェリ。ノーゼンに任せときゃいいんだから」
悲壮な表情をしているアシェリージェを見て、ディアランが笑う。今はその笑いさえも怖い。
……やだ。よくわからない世界でよくわからないことされるなんて、怖すぎる。やだっ。
「お、おいっ」
「またか……」
恐怖に震え、アシェリージェが目を閉じた途端、またダイウェル達の前から少女の姿が消えた。
☆☆☆
どうなってるの。ここ、どこ……って、何回目よぉ。
怖いと思って目を閉じ、急に風に吹かれたと思って目を開けると、アシェリージェは外にいた。
だが、地面の上ではない。
アシェリージェは、ポールのようなものにしがみついていたのだ。
足下は斜面になっていて、大理石のような素材の……たぶん、ここは屋根。夕暮れのような少し薄暗い中、近く遠くに街並みらしきものが見える。
あたし、塔のてっぺんみたいな所にいる、とか? ここ、かなり高いよね。見晴らしがよすぎるし、地面が見えない……。
定期点検が必要な所なら、はしごなどが常設されていそうなものだが……ここはそういう場所ではなさそうだ。
きっと、ちゃんとした足場を組まないと来られない所。なので、自力で移動できそうな部分が見当たらなかった。
何より、足下の石がつるつるする。かろうじてポールに掴まってはいるものの、力尽きればこのまま滑り台のように滑り落ちかねない。
やだやだやだ。夢ならもう覚めてよぉ。
頭のどこかで「これは夢じゃない」と理解しているが、夢だと思いたい。手が震えても、顔や身体に当たる風が冷たいと感じても。
ど、どうしよう。腕に力が入らなくなってきた。
ここがどれだけの高さだろうと、落ちれば無事では済まない。勝手にテレポートしてしまうようだが、落ちた瞬間に別の安全な場所へ出る、なんて都合のいいことが起きるだろうか。
いよいよ力が入らなくなり、身体がそれまでより下へずれる。
「うそぉっ。やだ、助けてっ」
自分では叫んだつもりだった。でも、恐怖で大した音量にはなっていない。
それに、大きな声を出したら、それだけ腕から力が抜けてしまいそうな気もする。
身体は斜面に密着しているとは言うものの、ほとんどぶら下がったような状態。すでに腕は限界だ。
運動部で鍛えている訳ではない女の子の腕は、か細い。自分の身体をその位置にキープできるだけの力は、すでになくなっていた。
「きゃーっ」
ポールから手が離れて身体が斜面を滑り落ち、ここにきてまともな悲鳴が出た。だが、この声がどこまで届いているだろう。
「ったく。迷子の捜索は、仕事の範囲外なんだがな」
間近で声がして、アシェリージェはいつの間にか閉じていた目を開ける。
すぐそこに、ダイウェルの顔があった。今度は机やテーブルの上ではなく、彼の腕の中だ。
「……え? ええっ?」
屋根の斜面を滑り落ちたアシェリージェをダイウェルが受け止め、その彼はと言えば……宙に浮いていた。
ダイウェルの顔が間近にあって、色々な意味でどきりとしたアシェリージェだが、その状況に目が回りそうになる。
「戻るぞ」
彼にそんな気はなかったのだろうが、お姫様だっこ状態なので耳元でささやかれるような格好。心地いい低音ボイスに、アシェリージェはまたどきりとした。
角の存在はともかく、それ以外の要素を見れば、彼はかなりの美形だと気付く。そんな整った顔が、息がかかるくらい近くにあるのだ。
恋人などいないアシェリージェは、こうして男性に抱き上げられたことなどない。せいぜい、子どもの時に父親や親戚のおじさんが抱っこしてくれたくらいだ。
宙を浮かんでいるにも関わらず、ダイウェルの腕の中はとても安定している。絶対に危険はない、という安心感があった。
同時に、初めての状況に恥ずかしくなる。
しかし、そんなどきどきの状態も、一瞬のこと。
気付けば、アシェリージェはあの会議室へ連れ戻されていた。彼女の姿を見て、四つの顔がほっとしている。
アシェリージェも足がちゃんと床に着いて、屋内へ戻れたことにほっとした。もう「落ちる」心配はないのだ。
安心して力が抜けそうになるが、そうなる前にダイウェルがまたさっきのイスに座らせる。
「アシェリージェ、こういう状況で怖いと思ってしまうのは理解できるが、落ち着いてくれ。我々は、お前を傷付ける気は一切ない」
「は、はい……」
グレーデンに言われ、アシェリージェは小さくうなずいた。
連れ戻された、という形ではあるが、助けてもらった、という状態でもある。マージェストの部屋にしろ、今の屋根にしろ、ダイウェルに来てもらわなければアシェリージェだけではどうしようもなかった。
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