アシェリージェの特殊な事情

碧衣 奈美

01.ここはどこ?

 まずは説明から始めよう。

 彼女は、アシェリージェという名の少女。十五歳の高校生で、見た目はいたって普通だ。

 ゆるくウェーブのかかった明るい金髪は肩より少し下まで伸び、普段はポニーテイルにしている。

 すみれ色の瞳は、丸く大きい。見た目は「かわいい」と、それなりに好意的に言ってもらえることの多い顔立ちだ。

 背はやや低めで少しコンプレックスに感じているが、それも「かわいい」と言われてプラス要素になっている。

 勉強や運動は、可もなく不可もなく。少々方向オンチ気味な部分もあるが、周囲の人達のおかげで事なきを得ている。

 そんなアシェリージェだが、普通ではないところもあり……。

 ある日、アシェリージェは何の前触れもなく「テレポート」という能力を持つようになってしまったのだ。

 が。最初からそううまくはいかず。

 なにせ、初めて移動した先は、異世界だった。

☆☆☆

「……」

「……」

 アシェリージェは気が付くと、赤く短い髪の男性と向かい合っていた。少し上がり気味の目は、深い青。

「誰だ?」

 目の前の男性ではなく、別の所から声がして、アシェリージェは慌てて周囲を見回す。

 そこには、目の前の彼を含めて五人の男性がいた。たぶん、みんな同年代。見た目から察するに、二十代半ばくらいに思われる。

 ただ、髪の色がそれぞれ赤だったり、緑や青、紫だ。一人だけ金髪だが、この中ではおとなしい色に見える。

 瞳の色も赤や金など、普段ではまず見掛けないものがあった。いや、それくらいなら、映像の中にいくらでもそういう人がいる。

 普通ではないのは、みんな額の中央から太い角がある、ということ。顔の肌色よりやや薄い色の角が。

「あの……ここって、テレビ局のメイク室、ですか?」

 アシェリージェには、自分が自分の足でここへ移動した覚えは全くなかった。そもそも、ここがどこか、まるっきりわからない。

 さらに言えば、ここへ来る前、どこにいたかの記憶も曖昧だ。いや、はっきり言えば、全然思い出せない。

 しかも、今はなぜかテーブルの上に座っている。普段なら、こんな行儀の悪いことはしない。

 重厚な丸い木製テーブルを五人の男性が囲み、アシェリージェはそのテーブルのど真ん中に座り込んでいる、という形である。

 とにかく、目の前にいる男性達の、普通ではない容貌についてだけでも、納得できる答えがほしかった。

 今のアシェリージェに思い浮かぶのは、何らかの撮影で特殊メイクをしている、というものくらい。ウイッグやカラコンで、髪や瞳の色なんてどうとでもできるはずだ。

「そうだよ……って、答えてほしそうだね」

 右前にいる、肩まで伸びた緑の髪に黒い瞳の男性。苦笑している彼は、ノーゼンという。

 彼の言葉だけで、アシェリージェの期待はすでに砕けつつあった。

「ご期待に添えず、残念だがな」

 左後ろにいる、胸まで流れる紫の髪に金色の瞳の男性。同じく苦笑しながら言う彼は、グレーデンという。

 彼の言葉で「メイク室」という「ありえそうだから、そうあってほしい」というアシェリージェの期待は完全に霧散した。

「あ、あの……それじゃ、ここって地獄、なんですか? それとも魔界、とか」

「は?」

 五つの口から、同じ言葉が出た。

 彼らには、角がある。それが演劇などの特殊メイクではないのなら、彼らは人間ではない、ということ。

 一番わかりやすいもので言えば「鬼」と呼ばれるような存在だろう。呼び方が多少違ったとしても、そういうものに近い存在に違いない。

 そういう存在がいる、ということは地獄か魔界、異世界のどれかだ。少なくとも、自分の住む世界ではない。

「あたし、地獄に落ちるくらい、悪いことをしましたか? そりゃ、拾ったお金を自分のおこづかいの足しにしたり、友達が大切にしていたかわいいメモ帳を一枚、こっそりもらったりもしたけど。それで地獄に落ちちゃうんですか」

 アシェリージェは、目に涙をためて訴える。

「おいら達の職場って、地獄だっけ?」

 苦笑ではなく、完全に笑っているのは、左前にいる男性。短く薄い金髪に赤い瞳の彼は、ディアラン。

「オレは楽しんでいるから、少なくとも地獄じゃないね」

 応えたのは、右後ろにいる男性。ゆるいウェーブのかかった長い青の髪に薄青の瞳の彼は、カムラータ。

「ここは、リブラッドという世界。地獄じゃないよ。死んだ人間が魂だけになって行く所が、地獄。きみは生きているから、安心して。ちなみに、魔界っていうのは、悪魔がつどう場所だよ。最近は、悪魔以外の存在もたくさんいるみたいだけどね」

 ノーゼンの説明に、アシェリージェは少し安心した。どうやら「地獄に落ちた」のではないようだ。

 しかし、問題は何も解決していない。

 地獄と魔界については説明してもらったが、リブラッドがどういう場所なのかはまだ不明だ。

 リブラッド……って、知らないんだけど。世界って言った? 普通は「国」って言うわよね。もしくは「街」とか。もしかして、本当に異世界なんていうのも……あり?

「とりあえず……テーブルからおりろ」

 赤い髪のダイウェルがそう言った時には、アシェリージェはテーブルの横に立っていた。

 え? いつの間に。あたし、自分でおりてないし。でも、誰かにおろされたって感じはなかった。どうなってるの?

 生きているのはいいとして、謎が全然減ってくれない。むしろ、増えた。

「それにしても……えらく顕著な不具合が出たもんだな」

 アシェリージェを見ながら、ダイウェルがため息をつく。それから、ゆっくり立ち上がると、それまで自分が座っていたイスにアシェリージェを座らせた。

 動きを制限するためなどではなく、単に席を彼女に譲った形だ。

 あれ、ちょっと怖そうに見えたけど、実は紳士……っぽい?

 訳がわからず、パニック寸前だったアシェリージェ。だが、さらっと親切にされてびっくりし、そのおかげで逆に少し落ち着いた。

「こっちまで移動する例、これまでなかったよね」

 カムラータがタブレットっぽいものを見ながら、うなずいている。

 全員の前に同じ物があり、横にはティーカップ。その様子を見る限り、彼らは会議中だったようだ。

 ダイウェルの席にも置かれていたので、アシェリージェはその画面をこそっと見たが、全く知らない文字……と言うか、模様のようなものが並んでいる。読めなくても外国の文字の形は多少なりとも知っているが、そのどれとも違った。

「まずは、謝罪しておくべき、だろうな」

 グレーデンの言葉に、アシェリージェは首をかしげた。

「俺達の世界のせいで、そっちの世界にいくらか弊害が出ているからな」

「へーがい?」

 ダイウェルの補足では、アシェリージェには全く理解できない。

「こんなすぐしゃべっちゃって、いいの?」

 ディアランが、それぞれの顔を確かめるように見る。

「だって、こっちにまで来てるし、オレ達の顔も見られてるし……ねぇ?」

 今度は、カムラータがそれぞれの顔を見る。

 それを聞いて、アシェリージェは青くなった。

 これはもしや「見てはいけないものを見てしまった人間」に向ける言葉ではないのか。

 命を奪うことになるけど、ごめんね……みたいな。

「あ、生かして帰す訳にはいかない、みたいな話じゃないからね」

「ノーゼン、笑顔でそういうセリフを向けられても、安心できんぞ」

 グレーデンの言葉に、アシェリージェは心の中で何度も激しくうなずいた。とは言え、深刻そうな空気はさっきから全く感じられない。

「お前、名前は?」

「アシェリージェ、です」

 角があるから絶対に彼らは人間ではないし、アニメキャラみたいな髪色だし、男性ばっかりだしで、かなり緊張はするが……悪い人達ではないっぽい。

 そう判断したアシェリージェは、ダイウェルに問われて素直に答えた。

「もうある程度は察しているだろうが、ここはお前にとっての異世界だ。と言っても、かなり近い時空に位置しているけどな」

 異世界……本当にそんなのがあるんだ。まさか、あたしが異世界へ行く日が来るなんて、思わなかったよぉ。

「近い時空って……パラレルワールドみたいな?」

「平行世界とは少し違う。俺達もうまく説明はできないけど。無理にわかりやすく言うなら……隣の惑星ってところか」

「はぁ……」

 隣の星ってことは、金星や火星みたいなもの……? やっぱり想像しにくいけど、宇宙人だから角がある、みたいに思えばいいのかな。

 ダイウェルの説明では、アシェリージェが今いる場所はリブラッドの行政機関の建物で、その一角にある会議室。彼らはそれぞれ、所属部署のトップだ。

 つまり、アシェリージェはこの世界でものすごく偉い人達の前へ現れた、ということになる。

「ど、どうしてこんなことに……」

 気が付いたら、ここにいた。

 アシェリージェはここへ来ようなんて、もちろん思っていなかったし、そもそもこんな世界があるなんてことも知らない。

 ここが本当に異世界かどうかはともかく、いつの間にか来ていた、というのが彼女にとっての事実だ。

 半袖の制服を着ているから、今まで学校にいたのか、登校前か下校中といったところだろう。

 こんな状況のせいなのか、まだちゃんと前後の記憶がはっきりしない。

「たまに、こういう力を得てしまう人間がいるんだ。アシェリージェの場合、さっきも言ったが、かなり顕著と言おうか、強力な状態で現れたみたいだな」

「こうなってしまう原因は、まだ解明できていないんだけどね。エネルギー吸収の際に起きるトラブルで……」

 ノーゼンが説明しようとした時、アシェリージェがくしゃみを一つした。

「え」

「やばっ」

「どこ行った」

 突然、アシェリージェの姿が、ダイウェル達の前から消えてしまったのだ。

「力が暴走しているのか。ダイウェル、気配はたどれるか」

 グレーデンの言葉に、ダイウェルがうなずく。

「ああ、敷地内からは出てない。すぐに追う」

 その言葉が終わると同時に、その場からダイウェルの姿が消えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る