第7話 沈黙の告発

芹沢孝次郎のオフィスの扉をノックしたのは、新聞記者の早川正樹だった。手には分厚い封筒を握りしめ、顔には疲労の色が浮かんでいる。


「芹沢先生、これはあなたにしか頼めないと思いまして…」


早川が封筒を差し出すと、芹沢は少し驚いた表情を浮かべながら受け取った。中には一通の手紙が入っている。手紙には乱れた字で、こう書かれていた。


「5年前のライフクエストの法務部長殺害事件は、事故ではない。真犯人は今も会社の中枢にいる。」


芹沢はその文字をじっと見つめ、少し笑みを浮かべた。「いやぁ、これはまた興味深い話ですねぇ。5年前の事件と言えば…高瀬健一さんでしたっけ?たしか、階段からの転落死ということで片付けられていましたねぇ。」


「ええ、でもあの事件には、いまだに“消された”という噂が絶えません。」早川は声を低くして言った。


「消された…ねぇ。」芹沢は椅子に深く腰を下ろし、封筒の中からもう一枚の紙を取り出した。それは、高瀬健一が死ぬ直前に書いたメモのコピーだった。そこには、こう記されていた。


「ライフクエスト内部で進行中のプロジェクトXXに関する疑惑。全容が明らかになれば、会社の信用は大きく揺らぐだろう。」


芹沢はその文面を指で軽く叩きながら呟いた。「ふむ、プロジェクトXX…これが何を意味するのか。早川さん、この会社に知り合いは?」


「ええ、内部の人間から噂を聞いたことがあります。ただ、この件に深入りすると危険だとも言われました。」


芹沢は目を細めた。「危険、ねぇ。そういう話ほど興味が湧くんですよ、私は。」


翌日、芹沢はライフクエスト本社を訪れた。広大なエントランスには、成功した企業特有の自信と冷たさが漂っていた。受付で名刺を渡し、人事部長の野口達也との面会が取り付けられた。


野口は柔らかな物腰で迎え入れたが、その目には警戒の色が浮かんでいた。


「芹沢先生、どういったご用件でしょうか?」


「いやいや、大したことではないんですよ。ただ、5年前の高瀬健一さんの事件について、少しお話を伺いたくてねぇ。」


野口の顔が一瞬だけ硬直する。その変化を芹沢は見逃さなかった。


「公式には事故とされていますが、妙な噂も耳にしましてねぇ。たとえば、彼が何か重要な内部情報を漏らそうとしていた、とか。」


「噂にすぎません。」野口は冷静を装いながら答えた。「会社としてはすでに解決済みの案件です。」


芹沢は微笑を浮かべながら、机の上の写真立てに目を移した。そこには野口と数人の社員が写る写真があった。その中に森山彩香の姿を見つけた。


「この方、美しいですねぇ。高瀬さんとも親しかったのでは?」


野口は微かに眉をひそめたが、すぐに答えた。「彼女は当時の部下でしたが、特に問題はありませんでした。」


「そうですか。」芹沢は写真をじっと見つめながら、静かに何かを考え込む様子を見せた。


その後、芹沢はライフクエストの広報部を訪れた。オフィスには最新のデザインが施されており、窓からはビル群を見下ろすことができる。デスクの並ぶエリアの片隅で、森山彩香がパソコンに向かって何かを打ち込んでいた。


芹沢は飄々とした様子で歩み寄り、軽く声をかけた。「森山さんですねぇ。少しお時間いただけますか?」


森山は一瞬だけ戸惑ったような表情を見せたが、すぐに笑顔を作り「はい、構いません」と応じた。彼女は応接スペースに芹沢を案内し、深く座り直した。そこから見える彼女の手元には、微かな緊張が滲んでいる。


「森山さん、私は心理学者でしてねぇ。こういうお仕事をしていると、つい人の表情や仕草に注目してしまうんですよ。」

芹沢はにこやかに言ったが、その目は森山の反応を逃さないように鋭く観察していた。


「そうなんですか…」森山はぎこちない笑顔を浮かべながら応じた。「それで、今日はどういったご用件でしょうか?」


芹沢はソファに深く腰を落とし、リラックスした様子で続けた。「いやぁ、ただの好奇心ですよ。5年前の高瀬さんのことを少し調べていましてねぇ。何でも、事故ではないんじゃないかという噂を耳にしまして。」


森山の顔色が一瞬で曇った。その変化を芹沢は見逃さない。「…高瀬部長のことですか?」


「そうです、そうです。」芹沢は軽く頷きながら続けた。「高瀬さんが亡くなる直前、何か妙なことがありませんでしたか?たとえば、誰かと争っていたとか、緊張していたとか。」


森山は一瞬、何かを思い出すように視線を下げた。そして、小さく息を吐いて言った。「実は、あの日のことは今でも鮮明に覚えています。高瀬部長は…とても怯えているようでした。普段は冷静で落ち着いた方だったのに、あの日は別人のようで…。」


芹沢は興味を示しながら質問を重ねた。「怯えている?それは何か具体的な出来事があったからでしょうか?」


森山は躊躇いながらも続けた。「詳しくは分かりません。ただ、彼が“告発”という言葉を何度か口にしていたのを覚えています。『これを放っておけば会社全体が危ない』とも言っていました。でも、それが何を指していたのかまでは…」


芹沢はその言葉にじっと耳を傾け、森山の目を見据えながら静かに言った。「森山さん、高瀬さんが誰かに脅されていた可能性はありますか?」


森山は動揺を隠すように、手元のペンを握りしめた。その手の震えを見た芹沢は、確信を深めた。


「…ええ。誰かと口論しているのを見たことがあります。詳細は分からないんです。ただ、会社の中で何か大きな問題を抱えていたのは確かです。」


「ふむ、なるほど。会社内での問題ねぇ。」

芹沢は手帳に何かを書き込むと、少し間を置いて尋ねた。「それで、森山さん。最後にもう一つお聞きしたいのですが、高瀬さんの死後、会社内で何か変化はありましたか?」


森山はしばらく考え込んだ後、小声で答えた。「…高瀬部長が亡くなった後、特定のプロジェクトに関する話題が一切表に出なくなりました。彼が担当していた“プロジェクトXX”というものです。でも、そのプロジェクトが何を意味しているのか、私には分かりません。」


「プロジェクトXX…」

芹沢はその言葉を呟き、再び手帳に記した。「ありがとうございました。森山さん、あなたの言葉がこの事件の解明の鍵になるかもしれません。」


森山は困惑しながらも小さく頷いた。「少しでもお役に立てれば…」


芹沢は広報部を出た後、再び手帳を開いてメモを見つめた。


「プロジェクトXX」

「告発」

「内部の圧力」


彼は小さく息を吐き、呟いた。「さて、この“沈黙”の中に隠された真実に、もう少し深く入り込んでみますかねぇ。」


次回予告


芹沢が掴んだ内部告発のヒント。そこに隠された秘密とは何なのか?真相に迫るほど、芹沢に迫る影が濃くなる――次回、「秘密の代償」――謎と危険が交錯する中、事件は核心へ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る