第3話



  ◇



「じゃあ、そろそろ帰るね」

 勉強を終えて。幽香は道具一式を鞄に仕舞うと、そう言って立ち上がった。

「送ってくよ」

「いいよ別に。近所なんだし」

 俺がそう言うと、幽香は首を横に振った。幽香が住んでいるのは、俺たちの生家だ。親が離婚した際、財産分与で母親が所有権を得てそのまま住んでいる。幽香は母親に引き取られたので、彼女の家もそこだ。そして、生家はこのアパートとは徒歩十分程度の距離にあった。

「でも、もう暗いし……コンビニの所までは送ってくよ。買いたいものもあるし」

「そう。じゃあお願いしようかな」

 だからと言って、女の子を一人で歩かせるには不安な時刻なので、せめて中間地点であるコンビニまではついていくことにする。……まあ、買い物は口実であって、実際には買うものなんてないんだが。

「全く、心配性だね」

「これくらい当然だっての」

 言い合いながら、俺たちは家から出た。鍵を閉めて、それから気が付いた。

「あ」

「ん? どうしたの?」

「いや、何でもないよ」

 出てすぐに思わず声を上げてしまったが、幽香には適当に誤魔化しておいた。……つい、いつものルーティンを忘れてしまったのだ。家を出るときと帰宅したとき、目を閉じて三秒数える。これは、「幽香の家族としての自分」と「幽香の恋人としての自分」を切り替えるための儀式だ。双子の妹と付き合っている振りをする以上、こうやって意識を切り替えないとボロを出したりしかねないからだ。

「あっそ」

 歩き出す幽香の隣に、俺も続く。その距離は、帰宅するときよりも拳二つ分ほど離れていた。……まあ、ここは地元だし、学校の連中もいないから、恋人の演技をする必要はないだろう。むしろ、俺たちが双子と知っている人間のほうが圧倒的に多いので、外でも双子として接したほうがいいのかもしれない。

「……」

「……」

 並んで歩く俺たちの間に、会話はない。一緒にいるからって、別に常時雑談する必要もないだろう。年頃の兄妹なんてそんなもののはずだ。でも、外で幽香と家族として接するのはあまりに久し振りなことで、俺は妙な感覚になっていた。

「……あー、母さんは元気か?」

 だから、感じる必要もない気まずさを感じて、無理して話題を振ってしまっていた。

「多分」

「多分て……」

「お母さんも最近仕事が忙しいみたいだし。あんま話してないから」

「……」

 幽香の返事に、俺は何も言えなくなる。……両親が離婚したのは、父親があまりに仕事人間で家庭を顧みないことが原因、らしい。というのも、当時俺たちはまだ小学校に入る前で、記憶も曖昧な上に、そもそも具体的な話を親からされた覚えもない。単に、母さんと幽香とは別の家で暮らすことになった、とだけ聞かされた。

 そんな経緯で別れたはずの母が、今度は仕事のせいで幽香と疎遠になっているのは、何という皮肉なのか。いや、母一人で幽香を養うためには働くのは必須だし、多分幽香のほうが母を避けているのだろうけども。幽香は母親を―――というか父親も、だが―――避けている節があるからな。

「コンビニ」

「……え?」

「着いたよ」

 そんなことを考えていたら、既にコンビニに到着していた。幽香を送るのはここまでという話だったな。

「じゃあ、また明日」

「あ、ああ、また明日」

 そうして、俺と別れる幽香。彼女の背中を見送ると、俺も踵を返した。

「……ふぅ」

 幽香がいなくなって、俺は思わず溜息を吐いた。気が抜けた、と言うべきか。……意識を切り替えずに外に出たせいか、気持ちがおかしくなっているような気がする。

 幽香は双子の妹だ。けれど、一緒に暮らしていた時間のほうが短い。勿論、昼間は学校で、放課後や休日も幽香は毎日のようにうちに遊びに来るので、過ごしている時間自体は長い。けれどそのせいか、それとも恋人の振りなんてしているからなのか……彼女が家族であることを、忘れそうになることがある。一人の異性として認識しそうになることがある。

「馬鹿馬鹿しい……」

 俺はそんな思いを打ち消すように呟いた。そう、馬鹿馬鹿しい話なのだ。これは要するに、役者が役に飲まれるようなものだろう。恋人役を演じていると、演技の時間以外でも相手の俳優に恋心に近い気持ちを抱くという、そういう現象だ。でも、その気持ちはまやかしだ。

 自分にそう言い聞かせながら、俺は帰路に着くのだった。

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