前日譚 4話

 俺はわざとらしく咳払いをして喉の調子を整えた。飲み物をあまり飲んでいないこともあって、痰のキレは悪かった。

 

「ん゛ん゛っ。へ、ヘイシリ……オーケーグーグル……」

 

 ……どっちもダメじゃんか。なんの反応もないじゃんか。

 そういえば女神の名前はペルネなんとかって言っていたよな。もしかして、ペルネじゃないと反応しないのか?

 

「へ、ヘイペルネ……」

 

 ポンッ

 どこからか鳴り響く音。

 ポンってなんだ?

 

(すみません。うまく聞き取れませんでした)

 

 頭の中に流れ込んで来る聞き覚えのある声。

 うわっ! 何これ! 地味に気持ち悪い。ってかこれはあれか。話しかけたら答えてくれるタイプのやつか……。なら。

 

「へ、ヘイ、ペルネ。この世界のことを教えて?」

 

 お馴染みの理解された音が流れる。

 

(はい。現在、歩がいる場所は、辺境国家モロンシゴアル連合国、第3都市アルカル州にある山岳地域コルス村になります。コルス村は、モロンシゴアル連合国で3番目に大きく、アルカル州最大の湖であるアス湖の隣に位置しており、森林、水産資源が豊富です。また、気候帯は温帯に属しており、夏の最高気温は平均32度、冬でも10度前後の気温を推移しており比較的温暖な気候になっています。季節風の影響で夏の降雨ではなく、冬の降雨が多くなっており、山奥では雪化粧を見ることができます。隣接都村には、サリン、シスア、イリア、湖を挟んでリリス、アルカル州の首都であるキウスがあります。サリンへは約150キロ。シスアヘは約230キロ、イリアへは約80キロ、首都キウスへは約160キロ、リリスへは直線距離で約100キロ、湖の外からで150キロとなっています。隣接州には……)

 

「ヘイペルネ、もういいよ」

 

(はい、わかりました)

 

 ……いや、話長過ぎな! もっと大まかに説明してくれるもんだと思っていたから、前半もほとんど聞けてないし、後半のことなんて頭に入ってこなかった。とりあえず、ここがコルスとかいう村だってことはわかった。そんで隣の村がクソ遠いことも。最短で80キロは異常だろ! 俺の元いた世界だったら神戸から下鴨くらいまでか。遠すぎな。1日じゃ満足できない旅行の距離じゃねえか。しかもこの世界にはあの便利な電車というものはないんだろ。あって馬車だろ。何日の旅になるんだ。

 確か徒歩は1分で80メートルだったはず。80キロだから……80000メートルに直して80で割って、1000分。1000割る60が16か7。だからぶっ通しで歩けば1日もかからずに着くということか。案外近いな。

 まあ、俺の運動音痴を加味してないから曖昧な計算だけど。

 俺の運動音痴を計算内に含めると、多分常人の半分くらいの速度と時間になると思うから、ぶっ通して1日から2日。1日に歩ける時間を1日の4分の1に当たる6時間と仮定。1番近い村だったら1週間くらいで着くのか。何事も起きなければ。案外近いかもしれない。まあ、今までそんな長時間歩いたことがないから、実際歩けば2週間以上かかりそうだな。

 お、それよりも、魚がいい具合に焼けてきたんじゃないか。表面に焦げ目もつき始めているし。食中毒が怖いからもう少し焼くつもりではあるけど。焼き魚のいい匂いするし、さっき食べたばかりだけどお腹すくな。

 どれくらい焼けばいいのかわからないまま、魚が焼けているのを見つめていると、血相を変えたリナさんとベンが、剣を腰に携えながら現れたのだった。そして、リナさんは言った。

 

「アユム! こんなところで何しているの!」

 

「え……あ、あの……魚焼いてる?」

 

 なんだかリナさん怒ってそうだ。

 

「そんなこと見ればわかるよ! そうじゃなくて、外は魔物がいるから危ないって言ったのに、全然帰ってこないから心配したんだよ!」

 

 それでそんな装備を。

 

「それで、何しているの?」

 

 見ての通り、魚を焼いています。と、ばか正直に話すのは違うよな。かといって変に嘘をつくのも違う。コミュ障にその間のような難しい問いかけはしないでくれないかな。

 

「えーっと……魚捕まえたので焼いて食べようかなと……ごめんなさい」

 

 こんな時には謝罪が大事だ。謝っておけば大抵なんとかなる。……はず。

 

「もう! 心配したんだから!」

 

 ……ごめんなさい。2人の空気を壊したくなかったんで、お邪魔虫は外に出ました。

 

「まあまあ。アユムも無事だったしよしとしようよ」

 

「そうだね」

 

 ベンはリナさんの肩を持って、リナさんは嫌がりもせずに手を置かせていた。

 イチャイチャするのは俺のいないところででもよろしいですか。イライラするので。

 2人が外でいるのなら、今度は俺が中に入ろうか。

 

「それでアユム。これはなんの魚?」

 

 リナさんは満面の笑みでそう言った。

 そんなのこの世界に来たばかりの俺に聞かないでもらえます。逆に俺が聞きたいんですけど。この鮭みたいな魚のこと。

 

「それはマソウだよ。本来は川を下って、海に生息するんだけど、産卵に帰ってきたり、この湖から出ないマソウもいるんだよ」

 

「へえーそうなのね」

 

 さすが、村長の子供は物知りだな。それよりも、生態も鮭に似ているのか。なら鮭でいいじゃないか。俺だけでも鮭と呼ばせてもらおう。

 

「捕まえるのは結構大変だと思うけど、どうやって捕まえたの?」

 

「え、えっと……」

 

 コミュ障が聞かれたくないことを1番に聞いてこないでくれ。どうやって捕まえたなんて聞かれたら、誤魔化せないし見栄を張ってしまうじゃないか。

 

「す、素手で……」

 

 事実は捻じ曲げてないからセーフ。

 

「へえ。それはすごい。そっちの世界ではそんなことをしていたの?」

 

 とにかく話したくなかった俺は無言で頷いた。

 素手で魚を取っている人はいたと思うけど、みんながみんなそんなことはしていない。なんならこの世界よりも技術が発展していたから、もっと効率的に取っていたと思う。知らないけど。

 

「へえ。そうなんだ。この村では今漁師が少なくて困っていたんだ。アユム、このむらの漁師になってくれない?」

 

 ニートに仕事を押し付けないで。あと、その目を輝かせてから言うのやめてくれない。コミュ障が断れなくなるから。

 

「そ、そこまで言うのなら……」

 

「ありがとう! アユム!」

 

 俺のばか! なんで了承してしまうの! 断ればよかったのに! なんで断れない性格なんだ! 顔を殴ってやりたい。

 ベンは俺の腕を掴んで激しく上に下に動かしていた。

 だから力強いんだよベン。痛いから離してくれないかな。運動音痴は腕を激しく動かすだけで筋肉痛になるんだよ。

 

「ねえ……」

 

 俺の腕を無理やり動かしていたベンをリナさんが止めてくれた。たった一言で。

 

「この魚、どうやって食べるの?」

 

「せっかくアユムが焼いてくれたんだから、アユムの世界の食べ方を見習おうよ」

 

「それもそうね」

 

 2人で勝手に納得しないでくださいます。俺だって鮭の食べ方なんて普通の食べ方以外知らないよ。特別な食べ方って何? ちゃんちゃん焼きとかそんなもの。この世界ではできないよ。それにそもそも、ちゃんちゃん焼きの具材とか何も知らないから作れないけど。

 ……そんな期待の目で見ないで。箸でほぐして食べたことくらいしかないから。あとお寿司。

 

「……せ、せっかく焼いたのだから、ま、丸かぶりとかどうかな?」

 

 俺を見つめながら無言にならないで。不安になるから。

 冷や汗を全身にかきながら、どちらかが喋り出すのを待った。

 

「それがいいな!」

 

「ええ、1度でいいからやってみたかったの」

 

 この村どれだけ魚取れないの。さっき、ペルネは水産資源は豊富とか言っていたのに。全然当てにならないのかあのA Iみたいなやつ。

 それよりも、魚にかぶりつくリナさんかみてみたいな。食べる姿もさぞかわいいだろうな。

 

「リ、リナさんからどうぞ……」

 

 ここはレディファースト。リナさんからだ。

 

「ううん。アユムから食べないと。魚を獲ったのはアユムだから」

 

「お、俺の世界では……女性が先に食べる。こ、これが常識……」

 

「そ、そうなの……じゃ、じゃあいただくわ」

 

 はい。いただいてください。あ、でも、先に味見をするべきだったかも……めっちゃまずかったらどうしよう。でも、今更止めることもできない。やってしまった。前の世界では安全にものをごく普通に食べられたから、この世界ではまず男が毒味をしないといけいんだ。やってしまった……リナさんの反応も変だったし、毒味役をやらされたとでも思っているな。あー、せっかく株が上がったと思ったのに。いつもこういうところで失敗するから、ずっと彼女いなかったのに。なんで学習できないんだ俺!

 俺の考えとは裏腹に、リナさんはマソウを大口でかじって満面の笑みを浮かべた。

 

「おいしい! 何この魚! 今まで食べた中で1番美味しい!」

 

 そこまで⁉︎ 水産資源が豊富ってペルネは言っていたから、魚なんてそこらじゅうにあるものだと思っていたよ。

 へッ、ペルネも役に立たない時もあるんだな。

 

(すみません。よく聞き取れませんでした) 

 え、喋った⁉︎ ペルネって心の中で話しても答えてくれるの⁉︎

 

(………………)

 

 ……いや、なんで何も言わんのだ! 都合のいいことしか聞き取れないのか⁉︎

 

(………………)

 

 ……なんでもいいから何か喋って!

 

「アユム? どうかしたの?」

 

 どうやら俺は心の中に集中しすぎて現実で奇行をしていたようだ。リナさんの視線が痛い。

 

「だ、大丈夫です……なんでもありません」

 

「本当に大丈夫なの?」

 

 俺は無言で頷いた。

 

「それよりも、はい!」

 

 リナさんはそう言って、食べかけのマソウを俺の方に伸ばしていた。

 え……受け取れってことですか⁉︎ そんな、リナさんの食べかけを……同じとこ食べたら、か、間接キスになってしまうじゃんか! 間接キスになってもいいんですか! 俺は……したいですけど、そんな度胸ありません。ごめんさない。

 マソウを受け取った俺は、リナさんの背面から食べているのに対し、腹からかぶりついた。

 骨多……。食べづら……。脂っこい……。

 2口ほど食べて、ベンに渡した。それも、リナさんと俺が口をつけたところを後ろにしながら。

 頼むからリナさんが口をつけたところには触らないでくれよ。覚悟ができたら、そこから食べるから。

 ベンも3口くらいで食べるのをやめてマソウをリナさんに渡した。

 これずっと続けるの⁉︎ もう切り分けてみんなで食べたほうが早くない⁉︎

 そう思ったが、口にすることはできず、リナさんは、またしてもマソウにかぶりついた。

 

「うん! アユムが食べたところの方が美味しいね!」

 

 まあ、油は乗っているからね……え……え! え⁉︎ た、たた、た、食べったって言うのか⁉︎ お、俺が、か、かかじったところを⁉︎ そ、それってつまり……、か、間接キ、キスをしてしまったと言うことか⁉︎ そ、そんなの……もう結婚するしかないじゃないか⁉︎※ただのバカ。

 な、なんで……リナさんは何も思わないの。か、間接キスだよ⁉︎ 人生で滅多に経験しないことだよ⁉︎

 ここは異世界だから、そういう概念がないのか。異世界だから……便利な言葉だ。

 リナさんはその後も俺がかじったところを食べ続け内臓が見えるくらいまで掘り進めていた。

 

「この黒いのも食べれるの?」

 

「そ、それは……苦いから食べない方がいいかも……」

 

「そうなんだ」

 

 多分だけど……。だって、鮭にかぶりつなんて経験したことないから。切り身以外に食べたことなんてないよ。でも確か、アマゴかアメゴかそんな感じの山でよくいる魚は鮭の仲間だったような。あいつらって内臓取ってから囲炉裏で焼いているんだろうか。丸かぶりする時腹の方が苦かった経験がある。マソウも鮭なら、内臓も食べられたかもしれないな。まあ、もう言ってしまったし、いいか。

 1匹目の鮭はほとんどリナさんが食べた。2匹目のさけも焼き上がっていたけど、リナさんもそこまで食欲が旺盛なわけではないようだ。

 

「2匹目どうするの?」

 

 ベンにそう言われたが……ごめん。何も考えていない。とりあえず焼こうとしか思ってなかったから。ああ、でも確か、北の方では鮭を囲炉裏で干して保存食とかにしていたんだっけ。燻製の鮭を作るのも悪くないな。囲炉裏ないけど。作るにしても、囲炉裏の作り方知らないし。対応できないだろうな。

 

「こ、この村の食べ方知らないから、この村の食べ方で食べたいです……」

 

「そうだね。アユムは来たばかりだからこの村について何も知らないもんね。今度は僕が教える番か」

 

 魚捌いたりできないから、勝手に調理してください。食べ物のうちならなんでも食べますので。

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