第13話 新たな名前、新たな門出

 イエ〜イ!採用面接を合格して、晴れてシフレシカ・デイル・アオノ氏所有の競飛竜レースドラゴンになったジブンだよ!

 厳正なる選考の結果……ご健勝……お祈り……とかされなくて本当によかった。


 さて。そんなジブンに、お祝いとは少し違うが竜主としてアオノ氏から贈られたものがある。名前だ。

 競飛竜レースドラゴンとして登録される名前を、なんと彼女はジブンを買う前から決めていたらしい。

 価格交渉の時も急いでいたようだし、あのクールビューティーに限ってまさか浮かれていたなんてことないはずだから、案外せっかちさんなのかも知れない。


 ジブンの新たな名前は〈アオノハーレー〉。


 アオノは貴族である彼女の姓から取っている冠名で、ハーレーはハーレイと呼ばれるこの世界の女神様にちなんでいるらしい。

 これからはこのアオノハーレーという名前が、ジブンの正式な名前になるんだ。


 前世ではインパクトがありすぎる馬名の競走馬がいた記憶があるので、そういうユニークな名前にならなくてよかったと内心胸を撫で下ろした。

 青じゃなくて赤だったら通常の競飛竜より何倍か速そうな名前だなあとは思ったけど。


 新たな名前が決まり、ご主人様が決定したからといって別の牧場に移動になるわけでもなく、今もホートリー竜牧場での日々は続いている。


 ただ今までのように漫然と広い放牧地で飛び回るだけではなくなり、競飛竜としてレースに出場するための馴致と呼ばれる訓練が始まった。

 背中に鞍を乗せたり、さまざまな器具を装着する訓練。それから人を背に乗せる騎乗馴致と呼ばれるものだ。


 馬もそうだが、飛竜が人の手により飼育されているとはいえ、いきなり背中に人を乗せられるわけではない。

 身体のあちこちに触れられ、慣れないものを身体に取り付けられたり乗せるのは、はっきり言ってストレスだ。


 ではどうするか。答えは簡単。段階を踏んで慣れさせる。

 背中に人を乗せる事が、身体に器具を取り付けることが、嫌なことではないと教え、繰り返し訓練を重ねて慣れさせる。こうした積み重ねを経て、レースに参加できる競飛竜になるのだ。

 

 ハミと呼ばれる棒状の器具を口に咥えて、引き綱を用いた動作がスムーズにできるようになると、次は鞍の装着と人を背に乗せて指示に従う訓練に移る。

 馬に歩く・走る・停止するといった指示を教えるように。飛竜も飛び立つ・降りるなど人間が競飛竜を御する為に覚えなければいけない様々な合図を教えられる。

 ジブンは前世で既にこの調教と似たものを施されていたので、勝手は知っていたし実際流れとしてはほとんど同じだった。だから気楽に構えていたのだが。

 ここで思わぬ事実が発覚する。


 飛竜は飛行する時と地上を歩行する時で指示に使われる器具が変わるのだ。

 歩行時に使われるのは主に手綱で、これは馬と変わらない。

 だが飛竜の場合、手綱に加えて飛行時の飛竜を御するための専用器具が取り付けられる。

 首に装着される〈かじ〉と呼ばれる器具だ。飛竜の首を一周する太いベルトの左右に、握り手が付いた形。

 飛竜は飛行時、頭と身体が水平に近くなるので、背に乗る人間はちょうど大型二輪を運転する時のような前傾姿勢となる。

 この握り手を操作することで、首に取り付けられたベルトの部品が、首の上下をそれぞれ刺激して上昇と下降の指示が出せる造りになっているらしい。

 左右への進路変更や、スピードを抑えさせる動きは騎手が体重移動、身体の傾きを変えて行う。


 なるほど、よく考えれば当たり前だ。

 馬が地面の上を平行に走るのに対して、競飛竜は空という足場のない空間を立体的に飛行する。

 そんな空を飛ぶ生き物の上に、手綱だけを頼りに乗ったら、バランスを崩してあっという間に吹っ飛ばされて終わりだ。

 飛竜の上下移動の指示のためにも、背中に乗る騎手の安全性から見ても必要な騎乗装備ってわけだ。





 

*****






「お父さん、テンテンお疲れさま!」


 今日の訓練が終わり、おじさんに連れられて竜舎へ帰ってくると洗い場の前で待っていたミュゼが元気に駆け寄ってきた。

 おじさんに水筒とタオルを渡して、代わりにジブンの綱を受け取り、慣れた動作で洗い場に繋ぐ。


「テンテンの馴致はどう?順調?」


 魔導石が取り付けられたノズルのような器具を操作しながら、ミュゼが問いかける。

 ノズルから吹き出た水は、ジブンの足にかけられ徐々に上へと注がれて、ほてった身体を滑り落ち、ゆっくりと熱を冷ましていく。

 ああ〜運動後のシャワー、最高なんじゃあ〜。


「そうだね、飲み込みも早いし言うこともよくきく賢い子だ。この調子なら調教も問題ないだろうし、二歳の新竜戦に出られるかも知れない」


 ジブンが埃を洗い流されている横で、濡らしたタオルでゴシゴシと顔を拭いていたおじさんが明るい口調で答える。

 騎乗馴致は一貫してヤフィスおじさんの仕事で、ミュゼはジブンの身の回りの世話をしてくれてはいるが、騎乗には関わらない。

 以前騎乗馴致を見学していた彼女の前で、首を下げ体勢を低くして乗るかと誘ったのだが、寂しそうに「私は乗れないのよ」と言われた。なんでだろ、高いところ怖いのかな。


「———ただ、あの変わった飛び方がなあ」

「ああ、あのびゅーんってする……」

「調教師の先生には癖として一応伝えているから大丈夫だとは思うんだけどね」


 いつの間にかタオルを首にかけたおじさんが難しい顔で腕を組んでいた。おじさんが何を指しているのか理解したミュゼも、困ったように言葉尻を濁す。


 なんだよ、ロケット加速のことか?ジブンが編み出した必殺技(予定)だぞ。


 必殺技ことロケット加速(仮)だが、まだ騎乗中での使用はしていない。

 それどころかひとりの時にあの飛び方を練習しようとすると、なぜか人間がすっ飛んでくるのであまり練習もできていない状況だ。

 どうやらオーナーが決まったのに、怪我なんてされたら大変だと思われているっぽい。


 初めておじさんを背中に乗せて飛んだ時も「あの飛び方はするなよ、頼むからするなよ」ってブツブツ呟いていたからね。

 空気が読めるジブンは『これっていわゆるフリってやつ?』と迷ったが、おじさんは芸人ではないので、あの飛び方は馴致中はするなという意味だと捉えて封印しているのだ。

 本音を言えばもっと練習して、使いこなせるようになりたいんだけどなあ。


 しかし、そうか。ジブンがお世話になる調教師はもう決まっているのか。そして早ければ二歳で新竜戦、つまりデビュー戦になると。


 いよいよ人生ならぬ竜生をかけた大一番が近づいているのだ。





*****





 ———それから。

 季節は巡り、再びの冬がきた。


 年が明ければジブンもいよいよ二歳。新竜戦に出られると言われた歳になる。

 体格も子供の頃とは見違えるほどに大きく、立派になったと思う。

 少し手狭になった竜舎の部屋には、同じく少し背が伸びたミュゼがいて、黙々とブラシを掛けてくれている。

 その姿を眺めながら。慌ただしく過ぎたこの一年を思い出す。


 ———この一年の間で、牧場には新しい命が産まれていた。

 ジブンの年と違い、今年は不受胎や流れる事なく無事に仔竜が数頭産まれたらしく、その中には会ったことはないがジブンの弟にあたる仔竜もいるらしい。


 ミュゼの叔父と叔母にあたるヨーゼフくんとマーサちゃんの間にも、かわいい赤ちゃんが産まれていた。

 この世界に産休や育休というものがあるのかはわからないが無理はさせられないだろう。新たに手伝いを雇ったものの、繋養中の飛竜達の世話に、新しく産まれた仔竜の世話も加わって、ホートリー竜牧場は大忙しだ。

 

 そんな人手が足りず忙しい中でも、今夜のミュゼは鱗の一つ一つを磨くように丁寧に丁寧にブラシをかけてくれている。

 外はとっくに暗くなり、ヤフィスおじさんをはじめ他の人達はみな竜舎を後にしている。


 竜舎に一人残ったミュゼは、ブラッシングを始めた当初、不自然なほど明るく学校のことやドラゴンママのお腹に新しい命がいることなどを話して聞かせてくれていた。


 しかし段々と言葉少なになり、今はもうすっかり黙りこんでいる。


 首を後方に向けて、腰の辺りを磨くミュゼの様子を窺う。

 昔はこうすればミュゼの顔が見えたのに成長した今では金色の髪が作る旋毛と無心に手を動かす姿しか見えない。

 けれど見なくても彼女がどんな表情をして、どんな思いでブラッシングしてくれているのか、なんとなくわかる。


 今夜が最後だからだ。


 明日、朝が来たらジブンは飛竜船ドラゴンシップと呼ばれるものに乗せられてトゥリームオという都市に行く。

 そこは競飛竜の調教施設が丸ごと都市になっているそうで、競馬でいうところのトレーニングセンターのような場所だという。

 トゥリームオに行けば、ここの皆とはもうおいそれと会うことはできなくなる。

 場合によっては、今生の別れになってもおかしくない。


 前世で肥育牧場へ送られるジブンとの別れを惜しんでくれた厩務員の青年と同じく、ミュゼもまた別れを惜しんでくれているのだ。


「テンテン、がんばるんだよ。どんなにすごい牧場生まれの飛竜にも負けちゃだめだよ」


 シャッシャッとブラシが鱗の上を滑る音が規則的に響くだけだった竜房にミュゼの小さな声が落ちる。


「好き嫌いは……しないと思うけど、乾草もちゃんと食べてね。———あとは調教師の先生とか竜務員さんの言うこときいて良い子にするんだよ」


 それから、それから……と心配事を言い募るミュゼにわかったと伝えるために首を上下に振る。


「……無茶して怪我しないでね」


 祈るような言葉と共に、温かな手のひらが両頬を包む。

 向き合って、ようやく見ることができたミュゼの顔は、案の定泣き出す寸前といった様子で、胸が苦しくなった。


 ジブンだってぶっちゃけてしまえば、いつまでもここにいたい。優しい人達に囲まれて穏やかに過ごしたい。


 夜よ、明けないでほしい。


 そう願いたいけれど。

 けれど夜明けは必ずやってくる。それをジブンはもう知っている。

 だから、代わりにこう願おう。また君に会えるように。またここに戻って来られますように。


 夜風が木々を騒めかせる音と、時折聞こえる他の飛竜の小さな嘶き。

 それらに混じって、静かに寝わらを叩く雫の音を聞きながら、震える小さな肩にそっと頬を寄せた。



 ———そして。夜が明けた。

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