第12話 我が命運の君
竜主サマとはなんぞや。そんな疑問からはや、ふた月。
季節は寒風吹き抜ける冬になった。
それでもホートリー竜牧場があるこの地は、冬でも比較的温暖なようだ。
春夏とはがらりと様相を変え、厚い雲が覆う重っ苦しい空を見上げながら「すっかり冬になった」「寒いねぇ」などと牧場関係者達が時折口にしていたが、雪が降るほどの寒さではない。
飛竜の見た目は爬虫類に似るから寒さが苦手なのかと心配していたがそうでもないようだ。
ミュゼが読んでくれた本に、野生の飛竜はさまざまな大陸に幅広く棲息しているとあったから気候の変化には強いのかも。
だが問題が全くないわけでもない。
この世界に生まれて初めての冬を迎え、ジブンはもう既に冬が嫌になりつつある。なぜって供されるごはんの種類が限られてくるからだよ!
行きつけサラダバーこと放牧場の木々は、木枯らし吹き荒ぶ中で葉を落とすものもあったが、常緑樹なのか食べられる木もぼちぼち残っていた。
しかし竜舎に戻った時にミュゼが飼料箱に「これは好き?じゃあこっちはどう?」「この果物も食べてみる?」と放り込んでくれていた季節の一皿とも言うべき様々な野菜や果物、草花がほぼなくなってしまったのだ。植物の育成が滞る冬という季節柄仕方のないことだろう。
しかしあれこそが毎日の楽しみだったのに、ここ最近は同じ干し草と雑穀しか出ない生活……。これはこれでマズくはないのだが、干し草は生の葉っぱに比べて固くてごわごわしているから食べにくい。
食べにくさをどうにかするため、苦肉の策で飼い葉桶の隣の水桶に、干し草を突っ込んでふやかして食べる、お茶漬けスタイルを編み出したりもした。人間だった頃の感性が色濃く残っているのかジブンは食への好奇心が他の飛竜より強いのかも知れない。
甘い果物や瑞々しい野菜、珍しい草花の味が恋しい。色々な味を試してみたい。ひもじくはないが口寂しい。あぁ、干し草は飽きたよぅ。
まあ、雪が降らないだけいいか。雪ってのはあったかい部屋の中から窓の外にチラつくのをぬくぬくと見るのに風情があるのであって、外に放り出された状態で頭や肩に積もらせるもんじゃない。というのがインドア派が魂に染み付いたジブンの考えだ。
こうして季節が移り変わる間に色んなことが起きた。
まずドラゴンママと引き離された。競走馬時代もあった親離れ子離れである。
放牧場はおろか寝泊まりする竜舎も別々にされ、完全に引き離される強制的な独り立ち。
ドラゴンママはジブンが初めての子どもであったせいか、突然の離別にジブン以上に動揺し泣き叫んでいた。
遠く、姿を見ることができない別々の放牧場に引き離されても我が子を呼ぶ哀しげな声だけは届く。悲痛な呼び声にジブンも引き摺られて悲しくなった。
ひとりで入れられた新しい竜房は、広く寂しく。
心は高校生プラス数年の経験があるとはいえ、身体はまだ産まれて一年に満たない仔竜。
引き離された当初は精神が肉体に引きずられ不安定になり、オロオロと挙動不審になって抑えきれない不安と悲しみから泣き叫んでいた。
親離れした日の夜。泣き続けるジブンを心配したミュゼが竜舎に泊まり込んで、遅くまで本を読み聞かせたり頭を撫でてくれたのだが、今思い出すと小学生くらいの女の子に慰められるとか恥ずかしいな。
そんなミュゼだが、また学校に通うようになった。
人間達の会話から彼女はどうやら学校で嫌がらせを受けていたようだ。
どこの世界でも居るんだな。他者を見下すことにしか楽しみを見出せない、残念な精神構造してる馬鹿が。
幸い今のところ彼女に以前のような暗い影は見当たらない。
飛竜でしかないジブンが彼女にしてあげられることは限られている。
歯がゆいけれど、せめてミュゼが健やかに学校生活を送れますように。そう願ってやまない。
ドラゴンママと離されてからは、広い放牧地に昼夜問わず長いこと放牧されっぱなしになった。
自由に飛び回らせてレースに必要な体力をつけさせるのが目的なのだろう。
前世の仔馬の頃と違って、ホートリー竜牧場に同い年の仔竜はいない。だだっ広い放牧場にはジブンと、親離れしたばかりの仔竜に群れの生活を教える役割のリードドラゴンとして、オーバルクロスが放牧される。
オーバルクロスをリーダーに、新しい生活が始まった。
ジブンはいよいよ
やるべきことは定まった。泣いたり落ち込んでいる暇はない。
同い年の仔竜がいないので、親離れした仔竜用の広い放牧場は、ほぼジブン専用貸切状態だ。オーバルクロスは歳のせいか、激しく飛び回ることはほとんどない。
一緒に生活するようになって初めの頃は、遠くまで飛んで行くと慌てて呼び戻されたりもした。だが、飛び回る。呼び戻す。というやりとりを何度か繰り返して、頭の良い彼女は、この新入りは飛び回るのが好きなだけと判断したらしい。
あまりにも遠くに行き過ぎたり、彼女の周りで大騒ぎしなければ、ある程度好きに飛び回っても放っておいてくれるようになった。これで周りに気兼ねすることなく飛べる。
翼をどう動かせば望むように飛べるのか。減速や加速といった飛行のコツも、飛び回るうちにだいぶ掴めたと思う。
毎日毎日暇さえあれば飛行の練習をし、ご飯をモリモリ食べるを繰り返す。
我ながらだいぶ逞しくなったんじゃないだろうか。
他にもレースを意識して、直線やカーブのコースを想定しながら飛んだりと思いつく限りのことを試している。
これがなかなかに楽しい。自分の身体を思う様に操ることができるってこういう気分なんだな。
元文化系人間として一生理解できないイキモノだと思っていた、体育祭のたびに張り切る体育会系人間の気持ちが今なら少しわかる。
身体を使って全力で飛ぶことは楽しい。思い通りに身体が動くことが面白い。
好きこそ物の上手なれとはよく言ったもの。飛ぶことが好きだからいくらでも練習ができる。
例のロケットをイメージした加速も、レースで使いこなせれば強いはずだと試行錯誤した結果、減速はするものの、停止せずに飛行したままスムーズに使いこなせるようになってきた。
そういえばミュゼとヤフィスおじさんのまえでロケット加速を披露したら、おじさんが泡吹いて倒れて大変だったなあ。
ミュゼも隣でいきなりぶっ倒れたおじさんを介抱すべきか、ジブンに駆け寄るべきか忙しなく葛藤して慌てていたし。お父さんの介抱した方がいいよって思って飛ぶのをやめたら、おじさんの介抱してたけど。
もしやこれが『あのー……ジブン、何かやっちゃいました?』ってやつか。
肝心のリュウヌシサマについてだがヤフィスおじさんと弟のヨーゼスくんの会話から判明した。
ずばり、競飛竜を所有してレースに出す資格を持つ人。競馬で言うところの馬主に当たる立場の人間のようだ。
つまりご主人様候補である。
しかも今度見学に来るのはミュゼいわく、貴族らしい。
貴族様か……。今までの人生でやんごとない身分の方と関わり合いになったことはないので勝手に、鼻の下にくるんと整えた髭を生やした派手な服装のおじさんをイメージしていたのだが。
「この飛竜が例の?」
寒さが徐々に厳しくなってきた中、珍しく快晴に恵まれた冬晴れのある日。
極度の緊張から動きがかくついているヤフィスおじさんと、人当たりの良さそうな笑みを浮かべたヨーゼスくんに案内され、ジブンのいる放牧場へ来たのは、流れる銀髪と澄んだ碧眼が麗しい、頭のてっぺんから指の先まで芸術品のように整ったたいそうな美人さんだった。
白い厚手のロングコートにブルーグレーのパンツスタイル。革靴も白で、さながら雪の城に住まう王子様といった出立ちだ。
全身いかつい黒鎧を身に纏った騎士を半歩後ろに伴って現れた竜主サマ(候補)は、柵の前に誘導され係留されたジブンをしげしげと眺める。
「ええ。あの日、町の上空を横切ったという条件ならばこの飛竜以外いません。今は知らない人が来たと少し警戒していますが、本来は人懐こい性格の子ですよ」
はわわ……。という擬音が頭の上に浮かんで、使い物にならないヤフィスおじさんの背中を後ろ手にどつきつつ、ヨーゼスくんが息を白く染めながら澱みなく答える。
ジブンの血統についてや、ドラゴンママがチュウオウという場所で勝利をあげていることなど——ヨーゼスくんが流れるようなセールストークを繰り出す中。ずっと美人さんからの値踏みするのとは少し違う、強い強い視線を感じる。美人の真顔って迫力があって怖い。
ジブンも彼女——近くに来て判ったがこの美しい人は女性だった。少なくとも肉体的には——を、やや緊張しながら観察する。
緊張している理由。
想像していた貴族とはかけ離れた美人さんがきたからというのもあるが、理由の大半は違う。
競飛竜としてジブンが生き残るには、レースに参加させてくれる竜主がいなければ話にならない。
どれだけ放牧場で飛行訓練をしようが、身体を作ろうが、買い手がつかなければスタートラインにすら立てない。
そういう意味では競走はすでに始まっている。
だから今回のジブンを見たいという竜主候補側からの申し出は、またとないチャンスだ。
この機を逃さないよう積極的にアピールせねば……!失敗したら次がいつ来るのか、そもそも機会があるのかすらわからないんだから!という理由だ。
けど、アピールって言っても……。
———競飛竜としてのアピールとは一体?
競走馬の頃はトモ?がどうたら、ツナギ?がどうたら、馬体のバランスがどうたらと言われていた気がするが、困ったことに競飛竜はどこを見て良し悪しを判断するかわからない。
競飛竜の自己アピールできるところってどこだ?
自己アピールという文言から中高のお受験が蘇る。
そう言えば、入試面接で自己アピールするの苦手だったわジブン!
いやでもこれは仕方ない散々謙虚を美徳扱いしておきながら急に自分の長所や強みを言えとか言い出す日本の教育に矛盾があるんだって真逆の方向に舵取るのやめろ自己分析だの他己分析だのわかんないから!
やっぱり翼か?とりあえず翼広げてみる?いや、飛竜が真正面で翼を広げるのは威嚇行動の一種だからダメだ。そんなん面接で笑顔の代わりにメンチ切るようなもんだろ生き様ロックすぎる——そうだ、ミュゼ!ミュゼはジブンのことしょっちゅう褒めてくれているじゃないか!それを参考にしよう。
えーっとなんて言ってたかな……「かわいい」「かしこい」「世界で一番美人さん」「もしや天才なのでは」「考えうる限り全部がパーフェクト」「生きているだけでなんらかの賞が取れるレベル」……ミュゼの褒め言葉、完全に親バカ語録じゃねーか!
これじゃあジブンが可愛くて美しくて大天才なパーフェクトガールなことしかわからん!
などと内心で頭を抱えて転げ回る。現実でやったらそれこそ気が触れていると思われて1発アウトなので心の中でだ。
考えても考えても自己アピールのいい考えは浮かばない。困り切って、未だ突き刺さり続ける視線の先をそっと見つめ返す。
高温で燃える青白い炎のような瞳があった。
見つめる先の整った顔立ちはどこか作り物めいて冷たさすら感じさせるのに、その中で瞳だけが焼け付く様な熱を孕み、冷厳な印象を裏切っていた。
その眼を見て、気付く。
ジブンと同じ、勝ちを望んでいる瞳だった。
ジブンと同じ、後がない勝負をするつもりの瞳だった。
こんな目でジブンを見てくる人は、今までいなかった。
ミュゼの愛しいと語る慈しみに満ちた榛の瞳とは違う。おじさん達が向ける、穏やかで時折心配を織り交ぜた優しい瞳とも違う。
勝ちを望み、その勝ちを『取れるだろうか?』と値踏みするのではなく『取れる』と信じる瞳。
無名の、いまだ仔竜でしかないジブンをそんな瞳で見つめてくる人間は産まれてこの方、この人だけだった。
どうしてそんな瞳ができるのか。どうしてそうまで信じてくれているのかは、わからない。けれど。
———きっと。
きっとこの人しかいない。
行き着く先が栄光であれ地獄であれ、勝負の舞台へジブンを押し上げるのはこの人だ。青く期待に燃える瞳を見て、ジブンもまた確信する。
———ならばジブンを買え。
勝ちは獲る、だからあなたはジブンを勝負の舞台に連れて行ってくれ。
交錯する瞳に祈るように訴える。
それこそ信じろと期待を込めて。
永いようで、ほんの刹那の間が過ぎ。
「買うよ」
そう彼女は宣言した。
今日はいい天気ですね。と世間話を切り出す容易さだった。
「はい?」
「え?」
ジブンを見つめたままリアクションのない貴族様の背後で、飛ぶところも実際に見てもらってはどうかと話し合っていた兄弟が虚をつかれ、揃って間抜けな声を上げる。
「最初からそのつもりだったのだけれど……こうして実物を見て確信した。やはりこの飛竜だ」
唖然とする兄弟をよそに、ひとり納得した様子でうんうんと頷く彼女の後ろ。黒鎧の騎士が小さく肩をすくめているのが見てとれた。
「この飛竜を買う。さっそく値段の交渉に移ろう」
即決した佳人は時間が惜しいとばかりに踵を返そうとして、傍仕えの騎士に何事か問われ、立ち止まる。
少し考える素振りをしてからにっこりと、向けられた人が速やかに恋に落ちてしまいかねない花咲く笑顔を見せた。
「今、あの飛竜の瞳に炎が灯ったような気がしたんだ。それが決め手だよ」
それだけ告げると、今度こそ振り返らずに歩き出す。一拍遅れて追いかけるおじさん達と共に、価格などの交渉をするためだろう、建物へと去って行く後ろ姿を、茫然と見送った。
こうしてあっという間に、なんともあっさりジブンの命運を握る人が決まってしまったのである。
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