第6話 初空
飛ばなければ。ミュゼを追わなければ。
そう決意したはいいものの、どうしたら飛べるのか心当たりがさっぱりない。
とにかく飛ばなければと逸る気持ちに追い立てられ、がむしゃらに翼をはためかせる。
大きく、あるいは小刻みに。
大人の飛竜達の飛び方を思い出して真似をしてみたりと、思いつく限りの羽ばたき方を試してみるが、どれも浮き上がる気配すらない。
そりゃそうだ。いくら飛竜の身体がスレンダーといっても、ただ羽ばたくだけで飛べる構造じゃない。
鳥のように飛ぶには、太い四肢に尻尾にと余分なパーツが多すぎる。
かといってハチのように、高速で羽を震わせる飛び方ができる構造の翼じゃない。
焦りをよそに、時間だけが無情に過ぎていく。
太陽が、地上にへばりついて無様にあがくジブンをあざ笑うように傾いていく。
ミュゼたち人間は、ジブンが飛ぶために魔石が必要だと言った。魔石があればジブンは飛べるのだろう。
しかしそれでは遅い。とうてい間に合わない。
何か他に方法はないか。
このままじゃダメだと、かたわらで怪訝な顔をしてジブンの動向を見守っていたドラゴンママを縋るように見る。
ママ、ジブンも飛びたいんだけどどうしたらいい?!
親子だが人間のような言語による交流手段を用いないドラゴンママとは、仕草や表情からお互い何となくこう思っているのかな。程度の意思疎通しか取れない。
だがしかし。今は伝わってほしい。首を縦に振って地面と空を往復させ、羽ばたく真似をしてみせる。
ママ、ジブン、空飛びたい、わかる?OK?
ジブン渾身のジェスチャーに、しかしママはきょとんと首を傾げた。
だ、ダメそう!うつ手が尽き、どうしようかと途方に暮れる。人間だったら涙目になっているところだ。
そんな絶望的な状況を変えたのは、遠くで上がった掠れたいななき。
『オォォン……』
音の方へ顔を向けると、力強く羽ばたきながら、一頭の飛竜がゆっくりとこちらへ向かってくる。
成体であるドラゴンママよりずっと大きい。成体の牡竜って遠目に一度しか見たことがないんだけれど、多分同じくらいある。
牝竜しかいないこの放牧場において、これだけ恵まれた体格の飛竜は一頭しかいない。
オーバルクロス。
赤い鱗の飛竜。
後ろへ長く伸びた角は、宝石のように輝く光沢を失って黒ずみ、少し燻んだ赤い鱗はジブンやママほど艶がない。
何より瞳の水晶体が白く濁っていることが、彼女が長い年月を生きた老飛竜であることを告げている。
しかし長い年月風雨に晒されたいわおのような厳しい顔には、歳を重ねて磨き抜かれた宝石のように、凛然とした知性の煌めきと気高さが宿っていた。
この竜牧場において人間のトップはヤフィスおじさんだが、飛竜のトップは間違いなく彼女だ。
威厳のある佇まいと聡明さで牧場の飛竜達をまとめ上げ、下剋上を目論む年若い飛竜を年老いてなお寄せ付けない苛烈さ。
ゴッドファーザーならぬ、ゴッドマザーである。
騒ぎを聞きつけ叱りに来たのか。
ばたばた羽ばたくのをやめたジブンの前で、オーバルクロスは体格の大きさを感じさせない軽やかさで地表に降り立つ。
目上の飛竜の登場にママがこうべを垂れ、序列が上のものに逆らう意思のないことを表す飛竜同士の礼をとった。
オーバルクロスの、元は黄金の輝きが宿っていただろう白く濁った金瞳が、ギョロリとジブンを見据える。
普段のジブンであれば、頼もしくも恐ろしい彼女に睨まれようものなら、ビビり散らしてドラゴンママの後ろに隠れただろう。
しかし今は引けない。ミュゼの元へ行くために空を飛ばなければいけない。
放牧地は広いのだ。端っこの方がちょっとじたばた騒がしいくらい我慢してくれ。
そんな気持ちを込めて、オーバルクロスを見つめ返す。
沈黙が流れる。
短くはない均衡を破ったのは、巨体の老竜の方だった。
見上げるほど高い位置からジブンを睥睨していた彼女は、思案するように大きく尾を一度くねらせると、徐に頭を高く持ち上げ、胸を逸らせる。
見たことのない所作だ。
戸惑うジブンを他所にオーバルクロスは大きく、大きく、息を吸い込んだ。
彼女の加齢から痩せた胸がぐぐ、と膨らんでいく。
いつの間にか周囲には同じ放牧場に放牧されていた全ての飛竜が集まっていた。
すわ、集団お説教か。
流石に身構えたジブンの目の前に、オーバルクロスの鼻先が迫る。
そこにあったのは凪いだ穏やかな瞳だった。
『フゥゥゥゥゥゥ……』
そして唐突に顔に風圧を感じた。
びっくりして目を瞑ってしまったが、ジブンの様子を気にすることなく、オーバルクロスは長く長く息を吹きつける。
鼻息ではない。オーバルクロスの僅かに開いた口から吹き出す吐息だ。
ジブン達飛竜は基本鼻呼吸であり、人間の深呼吸のように口から息を吐くことはない。それが何故?
身じろぎできずにいるジブンに構わず、一通り息を吹きつけたオーバルクロスがジブンの前から退く。
すると横に控えていたドラゴンママが、群れの長を真似て大きく息を吸い込み、同じようにジブンの顔めがけて吐息を吹き付けてきた。
そしてそれは2頭だけでは終わらない。
イズミノクログロと呼ばれる気難しい飛竜が。
ウオータドロップという名の、群れの成竜の中で一番小柄な飛竜が。
アイラールカルデラというボスの座を狙い、しょっちゅうオーバルクロスに喧嘩を売っては、返り討ちにされている飛竜までもが。
ジブンを取り囲み、順番に顔を近づけて同じことをした。
群れで一番ひよっこの飛竜を大人の飛竜達が取り囲み、順繰りに吐息を吹き付ける。
この光景ははたから見れば奇妙で、けれどどこか神聖な儀式めいていただろう。
そしてジブンは気付く。彼女達から息を吹きかけられる度に呼気以外のものが体内に流れ込んでいることに。
何か。何かが。
気管を滑り、肺腑を押し拓き、胸底に吹き抜ける。
ガチン。と歯車が噛み合ったような感覚がして、胸の奥から今まで感じたことのない熱が迫り上がってくる。
正体不明の熱は、身体の中心からこんこんと湧き立つように生まれ、心臓から血管を通って血液と共に頭、手足、尻尾、そして翼の先へ。
うねり猛る波のごとき力強さで隅々まで押し寄せる。
『飛べ!!!』
言語ではない。しかし誰かの声なき声、あるいは天啓のような衝動に突き動かされ、背中の翼を広げる。
産まれてこの方、経験がないほど力がみなぎっていた。今こそと広げた翼を、地面に叩きつけんばかりにはためかせる。
ぶわり。巻き上げた風と共に足が大地を離れる。
先程までは、僅かも浮かぶ気配すらなかったのに、いとも簡単に。
大きく翼をはためかせるたび、身体が浮上していく。
翼を無色透明な何かが包んで——……違う。
己の内側へと意識を集中してみると羽ばたきに合わせて、血液とは別のものが心臓から身体中を駆け巡り、翼へと送り出されているのを感じる。
魔力だ。
きっとこれが、これこそが飛竜が空を飛ぶための力。空を飛ぶ他のどんな生き物とも違う、飛竜だけの飛翔方法。
理屈ではなく本能で理解して、湧き出る力の奔流を地面に叩きつける。
左右にフラつきながらも、身体が少しずつ大地から遠ざかる。
高く、もっと高く、空へ。
ついには牧場の柵の高さを超えて、それでも羽ばたくたびに、まだぐんぐんと上昇する。
蒼に薄らと紫、朱、あるいは黄色を織り交ぜた黄昏時の空には薄絹に似た雲が空の色を透かしながら漂う。
飛びたくて、今まで幾度となく見上げ、焦がれ続けた空へと近付いていることに胸が高鳴る。
さっきまでいた牧場の、全容が見渡せるほどの高度まで昇ってきた時。あんぐりと口を開けたマーサちゃんと、その旦那がこちらを見上げているのが視界の端に映った。
「ほ、ほ、
『キュウウゥゥン……!』
動揺に裏返ったマーサちゃんの絶叫とドラゴンママがジブンを呼び戻す時の声。その二つを聞きながら、ジブンはついに念願の空へと飛び出した。
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