第4話 優しい読み聞かせとひとりぼっちの帰り道

 むかーし、むかし。

 世界を作った神様は、7頭の偉大な竜と幾つかの人族の長を呼びつけて言ったそうな。


「竜くん、キミらには魔力を生み出す力があるから世界をしっかり維持管理してな」

「人間くん、キミらには魔力を操る力があるから世界をいっぱい発展させてね」

「竜と人、協力して世界をなんかいい感じに作っちゃって。じゃ、あと宜しく!」


 でも竜たちはめちゃくちゃ不満でした。


 自分たちはこんなに強くてかっこよくてイカしててサイコーなのに、どうしてあんな弱くてザコくてダサい人間なんかと肩並べてやっていかなきゃいけないわけ?

 はぁ〜。納得いかんから叛逆しちゃお!!


……などと考えた、ヤベェ竜が7頭のうち6頭もいて、そいつらは六罪竜っていうらしい。


 んで、1頭だけ人間は愛すべき隣人です、神の意に叛くなんてやめましょう。と反対したスーパー聖母EXみたいな竜が人間に味方して、人間と竜それぞれの存亡を賭けた大竜大戦なるものが勃発。


 神に選ばれし勇者なんかも現れて、すったもんだの末、六罪竜とその眷属の竜達は全滅。

 人間側の勝利に終わったそうな。


 だけど当然ながら無傷の勝利とはいかなかった。

 竜の力は強大で人間も沢山死んだし、世界は大戦の爪痕で荒廃。生き物が生きていけるような場所じゃなくなってしまった。


 これを見た神様は六罪竜の亡骸を空に浮かべて新たに大陸を作り、眷属竜達の遺骸は浮島にしてあたらしい世界を創造した。

 こうして生き残った人々は、空に浮かぶ新天地に住まうようになったそうな……って空ァ?!


 ジブンの住んでる牧場って空の上なん?


 見渡せる範囲では普通の地面っぽいんだけど、この地面がお空にプカプカ浮いてるってコト?いくら魔法が存在する異世界とはいえ、実際に牧場の外を見てみないことには、俄かには信じられないぞ。


 なおこの戦いでスーパー聖母EXちゃんこと、白の盟主と呼ばれた竜は六罪竜にやられてしまっている。かなしい。


 だが、この白の盟主ちゃん。どこまでもスーパー聖母EXであった。


 翼を持たぬ人が空で暮らすのは不便だろうと、最後の力で吐息を飛竜に変えて人々に託したそうな。


 白の盟主ちゃんマジ聖母。


 まあ世界の成り立ちという、この御伽話がどこまで本当かわからんけど。

 吐息を飛竜に変えてって部分は、かなりマユツバだな。


 おそらく飛竜は、白の盟主から人間が貰ったものだから、自由に使役していいんですよっていう正当化というか……大義名分のための創作だと思うね、ジブンは。

 宗教によくある、人間以外の生き物は人間のために神様が作り与えたもうた。って話と同じレベル。


 別にジブンがドラゴンブレス使えない僻みじゃないです、ええハイ。





「——こうして、神様に逆らったおろかな六罪竜は死して大陸となったことで、ようやく神様から与えられた役目を全うすることになりました。世界には魔力が巡り、人々は魔力を用いて世界を発展させ続けています。……おしまい」


 ミュゼが読み終えた本を、ぱたりと閉じる。

 そう、今日のジブンはうららかな日差しが降り注ぐ牧場の片隅で、少女に本を読み聞かせてもらっているのだ。


 ジブンが競飛竜レースドラゴンとして生まれてから、4ヶ月くらい経っただろうか。


 身体も少し大きくなり、ごはんもドラゴンママに給餌されなくとも、自力で食べられるようになった。脱・乳児期である。

 なお未だ空を飛ぶは覚えられていない。

 技マシン、もしくはスキルツリー解放に心当たりがある人は切実に教えてくれ。


 閑話休題。なぜ牧場で、しかも竜であるジブン相手に朗読会が開催されているのか。


 発端は一月ほど前に、ミュゼが学校で本を借りてきたことだ。

 学校から帰宅したミュゼは、いつものように一番にジブンのいる放牧地に来た。

 だがいつもと違い、腕に一冊の本を抱えていた。


 本。それは今のジブンが喉から手が出るほど欲しい、異世界の知識が詰まった宝庫。


 読みたい。しかし表紙に踊る文字は、当たり前だが全く未知の造形で、ちんぷんかんぷんだった。


 ジブンを転生させた神様は、言語の翻訳機能はつけてくれたが、文字の翻訳機能は実装してくれなかったらしい。

 そこは言語と文字の翻訳をセットにして、ジブンをハッピーにしてくれよ……また神様宛ての抗議文が長くなっちゃうな。


 文字が読めないなら、せめて挿し絵だけでも。


 本に異常な興味を示すジブンの様子に気付いたミュゼは、なんと思いつきで手に持っていた本を朗読して聞かせてくれたのだ。

 ああ、ありがとうミュゼ。かわいい小さな女神さま!


 訪れた貴重な知識を得られるチャンス。ジブンは人間時代に培った模範学生スキルを、これでもかと発揮した。


 なにってジブンはただ単に集中し、おとなしくミュゼの声に耳を傾けただけだが?


 すまん。異世界転生に触発されスキルなどと言ったが、なにも特別なことではない。静かに傾聴した。それだけである。


 木陰で読書をする少女。そのかたわらにはべり、少女の声に耳を傾ける飛竜。


 ちょっと絵になりそうなシチュエーションだったと思う。そしてこのシチュエーションは、読み聞かせた本人もたいそうお気に召したらしい。


 父親にテンテンは本の読み聞かせが好きみたい、とっても頭がいい子よ!と頬を染め、興奮気味に報告するミュゼは、これがまあたいそう可愛らしかった。


 おじさんもきっとジブンと同意見だったのだろう。いつもの良い人オーラ三割り増しくらいのニコニコ笑顔で「飛竜に話しかけてあげるのはコミュニケーションとして大事だからね。世話係のキミが必要だと思ったなら続けるといいよ」と肯定していた。

 牧場主公認!ジブンの知識アップキャンペーン確定のお知らせである。やったー!


 以来こうしてミュゼから、様々な本を読み聞かせてもらっている。


 読んでもらう本は、残念ながら指定できないのでチョイスはミュゼにお任せだが、今日のように御伽話や魔法に関する本、この世界の偉人の本など様々だった。


 特に魔法関連の本を読んでもらえた日は当たりだった。

 この世界には目には見えない力の塊、魔力というものが存在する。

 そして魔法は、過程と実行のイメージを明確に描いて、体内の魔力を消費することで発動するんだとか。

 例えると、魔力という無色透明な粘土を手に、作りたいものの色だの見た目だのをリアルにイメージしながら捏ねくり回して、できた粘土細工のリアリティが一定基準より上だと魔法になる。みたいな感じだ。


 この説明を聞いても、ジブン自身は魔力が何なのかわからないからか、それともそもそも飛竜に人の魔法は使えないのか、魔法は発現しなかったけどねー。


 人間時代、美術はまあそれなりにできたから想像力とか詳細なイメージを描くのは得意だと思うんだが。はぁ……残念。


 それでも前世で、知識は生死を分けると文字通り身をもって知ったジブンからすれば、どういった知識が生き残る上で活用できるかわからない以上、どのようなものであれ、知れるだけありがたい。


 わがままを言うなら、彼女の借りてくる本に飛竜が空を飛ぶ方法が図解付きで載っていたら嬉しいな。

 ピューと飛んで牧場を囲う柵を乗り越えてしまえれば早そうだし。


 世話してくれる人間達には悪いが、ジブンに競飛竜レースドラゴンとして才能があるのか、レースで勝てるのかわからない以上、レース参加自体をしない選択が一番賢いだろ。


 まあ、しかしこればかりは運だよなあ。





*****





 授業終わりに最近、足繁く通っている図書室。


 いつものように本を一冊借り、さあ帰ろうと入り口の扉に近付いた所で、ミュゼはきゅっと眉を顰めた。本を抱えた腕に知らず力が入る。


 同年代の子らより少し背が低い目つきの鋭い少年が、両脇に同い年の少年達を従えて図書館の入り口に立っている。


 いや、立ち塞がっている。


 傾きかけた陽が逆光になっていてもわかった。こちらに気付いた小柄な少年の表情が、酷薄に歪んだことが。


 同学年の少年ライウスと、その取り巻きたち。

 彼らは図書室へ来たくせに本には目もくれず、ミュゼの方へずかずかと大股で近づいてきた。


「図書室の本を盗んで売るつもりかホートリー」

「ビンボーだもんな。ありえそー」


 最初に口を開いたのは、ライウスの両脇を固めた取り巻きの2人だった。

 胸をぐいとそらせ、威圧的にこちらを見下す姿勢をとっている。


 その肩に、後ろからすっと手がかかる。

 2人をかき分け現れたライウスは、たしなめるように大袈裟に首を横に振ってから、ミュゼに視線をやった。


「おいおい決めつけは良くないぞ……なあホートリー、生活が苦しいなら正直に先生に言った方がいいぜ」

「ライウス、それ庇ってないってぇ」

 

 ぎゃははとミュゼからすればなに一つ面白くないことで、笑い声をあげる4人組。

 ここ数ヶ月、ミュゼは彼らの標的になっていた。


 こうやって投げつけられる不躾で侮辱的な言動にも慣れた。感情的になれば付け上がらせるだけ。

 相手にしてはいけないと判じて無視をする。そのまま足早に横を通りすぎようとしたのだが。


 すれ違い様、ミュゼが胸の前で大事に抱えていた本をライウスが素早く引き抜いた。


「なっ!?返して!」


 奪われた本を取り返すため、掴み掛かろうとしたミュゼを遮り、取り巻きのうち一番背が高く体格がいい少年が、ライウスを庇うように割り込む。


 その背に隠れてライウスは、奪った本を高く掲げた。


「『聖者ダリウス・ロン・ナハディの半生』?うっわ。お前、廃業寸前とはいえ竜牧場の娘だろ。竜殺しの本なんか読むのかよ。引くわぁ」


 本のタイトルを確認したライウスは、これ見よがしに顔を歪めてみせた。


「……ロン・ナハディは竜殺しなんかじゃない、立派な人よ。授業を真面目に受けていたら誰でも知ってる」

「なんだよお前、逆鱗がないからって竜殺しの肩を持つのか?」

「待ってくれよライウス、俺たちも逆鱗持ちじゃないけど竜殺しを讃えたりしないぜ」

「悪い悪い、こいつの感性が独特なんだよな」


 まただ。ミュゼは辟易した。

 自分は間違ったことは言っていない。


 ダリウス・ロン・ナハディ。

 アルアージェ皇国の国教『月白げっぱく教』を説く『白の神殿』に所属する奇蹟の体現者。

 魔法に関する才能の証、飛竜との絆とも呼ばれる逆鱗を持たぬ身で葬送魔法『安息』を習得し、生きながらに聖人の列に名を連ねた偉人。


 確かに彼は多くの飛竜を葬ってきたが、それは深い慈悲と献身からだ。


 授業でだってそう習った。なのにこうして正論を述べているはずのミュゼを、ライウスたちは数で畳み込んでくる。


 いつもの卑怯な遣り口だった。


 ミュゼの周りに友人や大人が居る時は、通りすがりに嫌味を言われる程度ですむ。しかし運悪く、あるいは狙ってか、一人きりの時に出くわすと、こうして集団でミュゼを貶してくるのだ。


 同学年とはいえ、ライウスとミュゼでは交友関係が違う。

 ミュゼはライウスの傲慢で鼻持ちならない性格を嫌悪して、関わらないようにしていたし、ライウスはライウスで生家が同じ竜牧場とはいえ規模が違うからか、ミュゼのことなど歯牙にもかけていなかった。


 なぜ目をつけられるようになったか。


 きっかけは、ホートリー牧場にテンテンが生まれてすぐ行われた学校の課外授業。


 今年の課外授業は町の竜牧場を見学することになっており、当初予定されていたのはライウスの親が経営するガヴィラン牧場だった。

 しかし課外授業予定の時期にガヴィラン牧場では飛竜のお産が立て続けにあり、しかもそのうち一頭が難産だった。予定日を過ぎても産まれない仔竜。神経を尖らせた牧場側から、今回は遠慮してほしいと断られてしまったのだ。


 竜牧場は原則部外者の立ち入りを禁じている。


 飛竜が繊細な生き物であることに加えて、飛竜自体が牧場における最も貴重な財産そのもの。

 セリに出される競飛竜の中には貴族の家一棟分の費用を軽く越える値がつく飛竜もいるくらいなのだから。


 町の人間の多くは遠目に飛竜を見ることはあっても、近くで見る機会はほとんど無い。


 だからこそ子ども達は近くで飛竜を見学できるこの課外授業を楽しみにしているのに。

 困った学校はダメ元で町にあるもう一つの小さな竜牧場、ミュゼの父親ヤフィスを頼った。


 ホートリー竜牧場では、すでに飛竜のお産が終わっていたからだ。

 話を聞いたヤフィスは生まれたばかりの仔竜がいる忙しい時期にも関わらず、子供たちのためと承諾した。


 結果、課外授業は成功。


 竜牧場を訪れた子ども達は、近くで見る飛竜の大きさに驚いたり、空を気ままに飛ぶ姿にはしゃいだりと楽しそうだった。

 ミュゼも友人だけでなく、普段あまり話さない子たちにも取り囲まれ、競飛竜について尋ねられるのを、むずがゆくも誇らしい気持ちで受け止めていた。


 それがライウスは気に食わなかったらしい。


 学年の生徒で唯一の逆鱗持ちであること。町でも影響力の強い大きな竜牧場の息子であることを、普段から鼻にかけているようなやつだ。


 自分が本来浴びるはずだった羨望を、ミュゼに横取りされたと本気で思っている。




「そういやおまえんとこの痩せっぽちのチビは元気か?」


 馬鹿にするように取り上げた本をひらひらと振って、ライウスが切り込んできた。

 次は誰を引き合いに出してなぶるつもりか理解したミュゼの顔色が悪くなる。


「ちゃんとメシ食わせてやらねえと買い手がつかねぇぞ」

「バーカ。あの牧場の飛竜なんか大して活躍してねーんだ。貧乏だから種つけした種牡竜も落ち目のやっすいやつだろうし。そんな血統の飛竜、誰が買うんだよ」


 茶々を入れた取り巻きの言葉にフンと鼻を鳴らし、したり顔でライウスが言い聞かせる。

 仲間に言っているようで、その実ミュゼに対して向けられた言葉。


「マジかよ、そうなの?」

「かわいそー」


 わざとらしい取り巻きの反応にライウスは頷いて、じとりと蛇のような視線をミュゼに向けた。


「本当哀れだよ。ハナからドラゴンステーキになるしかないなんてな」


 ドラゴンステーキ。


 冒険者が重要な依頼に取り掛かる前の景気付けに食することが多い食事。名前の通り材料は飛竜の肉で、その多くが競飛竜として登録を抹消された個体のもの。


 これが料理名としてではなく侮蔑する意図で使われた場合、潰すしか利用価値のない駄竜という意味合いになる。能力の劣る飛竜を指す蔑称の一つ。


 ミュゼの顔からサッと血の気が引く。


「産まれた場所が悪かったんだ。なあホートリー」


 その様子に満足したらしいライウスは、手に持っていた本をミュゼにぐいと押し付け、踵を返した。

 取り巻きもその小さな背を追う。

 立ち尽くすミュゼを嘲笑いながら、いくつか嫌味を残してライウス達は去って行った。


 幸か不幸か、動揺するミュゼの心にもうそれ以上、何かが突き刺さる場所は残っていなかったけれど。




 ライウス達の足音が遠ざかり、完全に聞こえなくなった頃。ミュゼのこわばった体は、ようやく動くようになった。


 のろのろと背負っていた鞄に取り戻した本を入れ、再び背負う。

 そのまま俯きがちに歩きながら校舎を後にした。


 重い足取りで家路を辿る中、ミュゼは青い鱗のかわいい仔竜を想った。


 テンテン。

 ホートリー牧場にこの春、たった一頭産まれた大切な競飛竜の仔。


 父から仕事ぶりを認められ、初めて世話を任された、ミュゼの大事な大事な飛竜。


 母竜譲りの青い鱗は空よりなお濃く、撫でるとツヤツヤしていてほんのり温かい。色合いだってムラなく均一で綺麗だ。

 顔立ちはミュゼが見てきた飛竜の中で一番整っており、額に二つ並んだ斑点もチャーミングだ。金色に光る目はくりくりとして愛嬌がある。大きくなったら誰もが見惚れる美しい飛竜になるにちがいない。


 まだ生後4ヶ月の仔竜だから飛べるようになるのは2〜3ヶ月先だけれど、育ての親の欲目を抜きにしても人懐こく頭が良いあの子ならきっと。

 いい競飛竜になる。そう思うのに。


『買い手がつかない』

『そんな血統の飛竜、誰が買うんだよ』

『ドラゴンステーキになるしかない』


 なのにライウス達の意地の悪い声が呪いのように粘ついて、耳の奥で蟠っている。


 ここ数年、ホートリー竜牧場の経営はゆっくりと低迷している。

 詳しい理由はミュゼにはわからない。

 けれど顔馴染みで長い付き合いがあった竜主が亡くなってしまったことと関係があるのだろう。仔竜の買い取り価格が下がってしまったのだ。


 そこにきて今年は不受胎と流産が立て続けに重なり、無事に産まれたのはテンテンだけ。


 この問題に父が頭を悩ませているのを知っていた。

 資金繰りが苦しいことを帳簿を管理担当している叔父と、難しい表情で語り合っているのも聞いている。


 最悪を、考えたくないのに考えそうになり慌てて振り払う。


 大切な家族を侮辱された怒りと悔しさに、咽喉をせり上がってくる嗚咽を歯を食いしばって堪えた。


 泣くものか。負けるものか。あんなのミュゼを傷付けるための見え見えの悪意だ。滲みそうになる涙をこらえて自分に言い聞かせる。

 泣いたらあいつらに屈したことになる。何より泣いて帰ったりしたら優しい父親を心配させてしまう。


 ミュゼの祖父の代で起きた災害により、傾いた牧場をなんとかやりくりしながら、男手一つでミュゼを育ててくれた父。


 幼い頃、病で母を亡くしたミュゼには、母親との思い出と呼べるものがない。

 けれど寂しくはなかった。代わりに父であるヤフィスや、牧場の仕事を手伝ってくれている叔父夫婦が可愛がってくれているから。


 父は夜遅くまで起きていて、朝は誰より早く起きて飛竜達の世話をしに行く。

 優しくて働き者の父をミュゼは心から尊敬している。


 だからこそ余計な心配をかけたくなかった。意地悪をされているくらいで泣きついて、父に迷惑をかけたくない。


 ヤフィスは優しいからミュゼが泣いていたら心配して、親身に話を聞いてくれるだろう。意地悪をされていると聞いたら、怒ってライウスたちの家に抗議に行くかもしれない。


 忙しい仕事の合間を縫って。


 それが何より嫌だった。ミュゼは大好きな父の助けになりたい、父のようになりたいのだ。足を引っ張るようなことはしたくない。


 自分のことは自分でなんとかできる。

 大丈夫。なんとかなる。

 こんなのちっとも辛くない。

 

 そう自分に言い聞かせているうち、急かされるように少しずつ足取りが早くなり、やがていてもたってもいられず駆け出した。


 町外れの牧場へ続く道を走る。走る。走る。

 早く。早く。早く。


 泣いてしまわないうちに。

 つらい気持ちが、弱音が、心のぎりぎりのふちでちゃぷちゃぷ溢れそうに揺れている。


 一刻も早く優しい父と、かわいい飛竜に会いたい。

 彼らに会えたならミュゼはきっとまだ頑張れる。


 夕暮れに染まり始めた帰路をミュゼはひとり、ひた走った。

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