第2話 問題に向き合う前に、前世のはなし
ごはん食べたらねんねの時間よ。とばかりにがっちり抱き込んでくるドラゴンママの翼の下からやっほー。オレオレ、オレだよ!赤ちゃんドラゴンだよ!今ぽかぽかあったかい放牧場にいるの。
ママも寝ちゃって丁度いいから、いったん冷静になって状況を整理しようと思う。
ジブンの前々世は、日本に生まれたごく普通の男子高校生だった。
そして今現在は、異世界の竜に転生した異世界転生者だ。
前々世というのは、ジブンにとってこの転生が人間時代から数えて2度目の転生だからであり、前世は……競走馬、だった。
そう競走馬。サラブレッド。人間時代と同じ地球という星の、日本に産まれた競走馬だった。
そしてジブンはこの競走馬時代で盛大にしくじっている。
そりゃもう思い出すだけで恥ずかしく、羞恥で身を捩りたくなるようなしくじり方をした。いわゆる黒歴史。
何をしたかって?そこに触れる前に競走馬がどういうものか整理させてほしい。
競走馬とは読んで字のごとく、背中に人間を乗せて決められたコースを走り一着を競うレースに出る馬だ。
そしてレースで走る馬の着順を当てる賭けごとが競馬。
人間時代のジブンは競走馬、ひいては競馬についてこの程度の知識しかなかった。
歴代の強い馬も特に知らないし、レースにも種類があって走る距離や走る足場の材質が違うこと、血統を組み合わせて速い馬を作っていたなんてことも知らない。
そして勝てない馬の末路だって当然、知らなかった。
こんな感じで、殆ど競走馬に関する知識がなかったジブンだが、馬として生を受けてからしばらく経ったある日。
水飲み場の水面を覗き込んだ時のことだ。
映った縦に長い馬面が丸顔の自分に似ても似つかないなと思ったことで唐突に前世を思い出し、転生していると気付いた。
ちなみに前世と同じ性別オス。オス馬じゃなくて
人間時代は馬なんて縁遠い生き物だったから、最初は牧場で観光客を相手にするとか、乗馬とかさせられるのかな?と思っていたが、人間達の話に耳を澄ませているうちにジブンは競走馬になるらしいとわかった。
それから馬主と呼ばれる人間に競り落とされ、産まれ育った牧場からドナドナと連れ出され、きっつい調教とやらをさせられ、レースを走らされることになった。
だがジブンは走りたくなかった。
人間だった頃のジブンは高校生、しかも受験生の時に死んだ。
そう、人生勝つか負けるかの分かれ道。戦争とまで呼ばれる受験真っ只中で、人間時代のジブンの人生は終わった。
当時のジブンにとって受験は、親に敷かれたレールの上を親が望む結果まで走らされるレースみたいなものだった。
親の望み通りの結果を出せないと『なぜ。どうして。努力が足りない』と責められる。順調に行ったとて、それはできて当然。当たり前のことらしいから褒められたりしない。
『貴方のため、将来のため』と言いながらその実、親の望んだ理想の息子のためであり、親の望む将来のためでしかないレース。
ジブン自身のやりたいことや、将来の夢みたいなものも漠然とあったが、それは
『結果が伴わない無駄なことに時間を浪費しないで』とはよく言われたものだ。
まあ、だいたいそんな感じで当時のジブンはだいぶメンタルが擦り切れていたと思う。
疲れて摩耗してへとへとになって。死んだことでやっと解放されたのにまた競走させられるとかマジ勘弁。
なんで今世でも競走せにゃならんのだ、草食ってゴロゴロしていたい。となったわけ。
だから走らなかった。
その代わり人間時代にSNSの動画でちらりと見た馬の真似をすることにした。
その馬はスマホゲームで取り上げられ、面白おかしい行動をすることで注目されてバズっていたらしい。
スマホゲームとかさせてもらえなかったし、動画も自分じゃあまり見ないから、同級生に見せられて記憶の端に引っかかっていただけだけど。
そんなに人気なら同じようなことをしたらジブンも人気になるんじゃないか。そして走らなくてよくなるんじゃないか。と当時のジブンは思ったのだ。
はい、黒歴史。
怪我してないのに左手に包帯巻いたり、結膜炎でもないのに眼帯つけて「我が身の内に巣食いし常闇のチカラが疼く……ッ!」とか言い出すのと同じ。
現実が見えている今となっては「疼くのは未来のジブンの羞恥心だバカタレ」と過去のジブンを引っ叩いた後、頭抱えて転がり回りたくなる黒歴史。
もう本当にバカ。軽率なバカ。短慮なバカ。今思い出しても頭を抱えたくなるほどにバカ。
あのバズっていた馬が人気だったのは、奇行だけじゃない。ちゃんとレースで実力があったから。
あの馬がレースを引退してもその姿を目にできたのは、日本でもトップクラスのレースで何度も一着を取るような偉業を成し遂げた、正にサラブレッドだったからだ。
そう思い知った時には、遅かったんだけど。
レースで走らない、結果を出せない馬が最終的にどうなるかご存知だろうか。
殺処分orお肉になる。
ジブンの場合は、後者だった。
人間の食卓に供される。あるいはペットや飼育される肉食獣のごはんやオヤツになる。屠殺されるんだ。
ジブンの世話をしていた人間の、先輩にあたる厩務員が、そう吐き捨てるように言うのを聞いた。
性格が良くて運も良ければ、乗馬用に引き取って貰えたり他の道があるけれど、その他の道は他でもないジブンが繰り返した奇行のせいで閉ざされているって。
聞いた時のジブンの絶望と恐怖は、今でも言葉にし難い。
一度経験したとはいえ死ぬことは怖かったし、まして食肉にされるなんて、おぞましい以外のなにものでもなかった。
それが全部ジブンの奇行のせいだなんて。
なんてバカなことをしたんだと震えながら絶望したね。
でも本当にバカなことをしたんだと気付かされたのは、遠回しに死ぬと、殺されると言われた時じゃなかった。
当時、ジブンには身の回りの世話をしてくれる担当の厩務員がいた。
人間だった頃のジブンとそう歳の違わない、いかにも新人ですって感じの男。
ジブンの奇行に一番振り回され困らされていた貧乏くじ当選の、今になっては顔も朧げな青年。
そんな彼が、ジブンが厩舎を離れる最後の夜に涙をこぼしながらブラッシングしてくれた時だった。
競馬が一番を競うレースである以上、勝てないのはジブンだけじゃない。
一位の座は常に一つしか存在せず、輝かしい王冠を頭上に戴く事ができるのは限られた才能のある馬だけ。
二位じゃダメなんですか?!ハイ、ダメです。そんな世界。
今にして思えば、受験戦争なんて鼻で笑えるくらい過酷な椅子取りゲームだ。
至尊の頂からあぶれた何千頭もの馬は、ただの一度もその輝かしい座に立つことなく、いずこかへこぼれ落ちていく。
それが経済動物、競走馬という生き物の運命。
それなのに。
これからジブンみたいな未勝利馬を、何頭も見送らなきゃいけないはずの人間が、割り切れずに泣いている。
ジブンのことを思って涙を流す人が居る事にこそ、ジブンはショックを受けた。
そういえば初対面の時、この年若い厩務員はジブンが初めての担当なのだと嬉しそうに話しかけてくれたっけ。
ジブンの奇行を見るたび困っていたけど、他の人間みたいに怒ったことは一度もなかった。
呆れるほど献身的に、最後まで根気よく付き合ってくれていた。
ああ……。大事にされていたんだ。
すとん、と胸に落ちた事実に泣きたくなった。
だってその優しさに今の今まであぐらをかいて、現実を知ろうともしないで、楽な方に楽な方に逃げたのは、他の誰でもないジブン自身だったから。
捧げられる愛に、献身に。気付こうともせず、目を背けて、ありもしない理想に逃避し続ける。
ジブンが何よりも嫌った人間に、ジブン自身がそっくりだった。
勝てないまま、いつのまにか消えていた先輩馬達のゆくえ。
レースを重ねるごとに重くなる人間達の会話と、諦めに澱んだ空気感。
考えれば、周りをよく見ていれば、気付けたかもしれないのに。
前世を引きずり変わろうともしなかった。
不誠実さと怠惰の罰だと、突きつけられた気がした。
歯を食いしばり涙をぽろぽろ零しながら丁寧に、時間を惜しむように、ジブンの身体をブラッシングしてくれる人。
こんな奴のために泣くなよと言ってやりたかった。
優しさを踏み躙ってごめんと謝りたかった。
救いようのないバカな馬のことなんてさっさと忘れろと背中を押してやりたかった。
割り切ってしまえと、いっそ冷たく突き放してやりたかった。
でも言葉を発することのできないジブンは、代わりに次から次に零れ落ちる彼の涙を舐めてやることしかできなくて。
ごめん。ごめん。と心の中で繰り返し、頼むから明けないでくれと願った一番長い夜。
これがジブンが馬として生きて死んだ二度目の生における最後の思い出らしい思い出だ。
その後、肥育牧場に送られたことは薄っすらと覚えているが、馬生を終えた最後の地で、命が終わるその日まで大切にされたのか。されなかったのか。
死んだショックからか、その辺りの記憶は曖昧で、ぼんやりと霞がかったようになっている。
——というように、前世のジブンは愚かでバカな競走馬でしたが、今世のジブンは完璧で幸福な
って、なんでだよ!!!!なんで異世界に生まれたのに、あえて前世のトラウマと黒歴史を抉られるような境遇に生まれちゃうんだよ!
ジブンそこまで悪いことしたかなあ??!!!担当厩務員くんにはしたかもだけど、でもやっぱ納得できないから神様に苦情の電話入れるわ。
もしもしカミサマ?オタクの転生サイクルシステム、ちっともまともに動かないんですけどどうなってるの??こんなのクレームよ!リコールよ!クーリングオフよ!
……あっ、しまった。つい前世の黒歴史と今世の不条理を思い出して身悶えしてしまった!ごめんねママ起こしちゃった?ちがうちがうちがうのジブンはぐずってるわけじゃないから『あらあらしかたない子ね』みたいな優しい目で見ないで!ぺろぺろしないで!よだれでべちょべちょになっちゃうやめてーーー!!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます