第9話「軍師、考察する」

 統一暦一二一五年一月二十三日。

 グライフトゥルム王国中部グライフトゥルム市、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ本部内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵


 ジークフリート王子と話をした。

 思っていたより真っ直ぐな青年で好印象を持った。しかし、若いだけあって、まだ考えが足りないとも同時に感じている。そのため、私は宿題を出し、深く考えてもらった。


 そのことを妻のイリスに話すと、頷きながらも不満そうな表情を浮かべている。


「兄様が指導しただけあって、物事をしっかり考える方だと分かったわ。でも、この国難を乗り切るには覚悟が足りないと思う。目的を達成するためには情を捨てる必要があるわ。その覚悟がないのでは不安が残るわね」


「“今の時点では”と、割り切るしかないよ。それに私たちがきちんと助言すればいい。助言を聞き、自ら考えて決断することを覚えてもらう。そうすれば、いい君主になると私は思うね」


「あなたがそう言うのなら、そうなのでしょうけど……確かにまだ十七歳にもなっていなかったわね。でも、若いからというのは理由にならないわ。グレゴリウス王子は若くても聞く耳なんて持っていないでしょうから」


 若いというだけでは許さないようだ。


「厳しいね」


「それはそうよ。もし、こんな状況でなければ、もっと時間を掛けてもよかったのだけど、今の王国にそんな余裕はないわ。まあ、あなたが傍にいて、あなたの言葉を聞く耳を持っている限り、大きな失敗はしないと思うから、今はそれで満足することにしたのよ」


「時間的余裕がないという点は同意だね。それでこれからのことなんだけど、君の意見を聞きたい」


「この後、殿下をどうするか。兄様を始め、反マルクトホーフェン侯爵派をどのタイミングで結集するかということかしら?」


 さすがは私の妻だ。私の考えをよく理解している。


「その通り。殿下だけど、私が王都に移動するまで、ここにいてもらおうと思っている。私がやっていることを知ってもらい、今がどれだけ危機的な状況か肌で感じてもらいたいから」


「それはいいわね。あなたから学べば、政治や戦略を理解できるようになると思うわ」


「君にも手伝ってもらうよ。それとラズたちのことだけど、まず彼についてはネーベルタール城の城代を辞任してもらい、領地に戻ってもらう。エッフェンベルク騎士団はディートが指揮しているけど、獣人族の自警団員と合わせて、ラズに掌握してもらいたいから」


 ディートこと、ディートリヒ・フォン・ラムザウアー男爵はイリスとラザファムの三歳年下の実弟だ。ラザファムが伯爵家の家督を継いだ際に寄り子であるラムザウアー男爵家の養子となり、騎士団長に就任している。彼も学院の兵学部を首席で卒業した秀才だ。


 私の言葉にイリスは頷く。


「兄様には将来、反マルクトホーフェン侯爵派の軍勢を率いてもらうのでしょ。中核になるのはエッフェンベルク騎士団とラウシェンバッハ騎士団になるから、獣人族の戦い方を理解してもらうことはいいことね」


 彼女の言う通り、ラザファムには実戦部隊の指揮官になってもらうつもりでいる。これまでは一千名の連隊しか指揮していないが、机上演習では大軍を指揮する才能を見せているし、実際戦場での視野は広く、総司令官向きだからだ。


「そうなるね。恐らくだけど、レヒト法国が共和国に侵攻した場合、うちの騎士団とエッフェンベルク騎士団が派遣される。地理的に近いし、王都の守りを減らすこともないからね」


 南の隣国レヒト法国はグライフトゥルム王国だけでなく、グランツフート共和国にも領土的野心を見せている。東方教会領の騎士団、聖竜騎士団が侵攻準備を進めているという情報が入っていた。


「そうね。それに精鋭を派遣したと言えるでしょうから、マルクトホーフェン侯爵なら命じてくる可能性は高いわ。だから、ディートやヘルマンに任せるのではなく、兄様を領地に戻すのね」


 ヘルマン・フォン・クローゼル男爵は私の二歳年下の実弟で、ディートリヒと同じように私が家督を相続した後、クローゼル男爵家に養子に入り、ラウシェンバッハ騎士団の団長に就任している。


 弟も兵学部を第五席という優秀な成績で卒業しているが、同盟国である共和国に送る援軍の総司令官が男爵というのは外聞が悪いため、伯爵クラスが総司令官となる可能性が高い。


 ラザファムが領地にいなければ、マルクトホーフェン侯爵派から派遣されるため、それを防ぐという意味があり、イリスはそのことに言及したのだ。


「でも、素直に領地に帰ることを認めるかしら? 兄様も反マルクトホーフェン侯爵派として有名だし、指揮官としての才能があることは侯爵も理解しているわ。理由を付けて北の辺境に縛り付けようとするのではないかしら」


「その可能性は充分にあるけど、私が何とかするつもりだよ」


 これについては考えがあり、領地に戻すことは難しくないと思っている。


「それなら大丈夫ね。そうなると、ハルトが問題ね。彼の場合、名目上とはいえ、栄転なのだから」


 もう一人の親友であるハルトムート・イスターツは共和国との国境の城、ゾンマーガルト城の城代兼司令官として、平民出身にしては異例の将軍の称号を得ている。


 但し、必ずしも栄転とは言えない。ゾンマーガルト城には盗賊を取り締まるための兵士が数百人いるだけの辺境の城で、過去はともかく現在では将軍という地位に見合った役職ポジションではないからだ。


「その点も考えているよ。というより、当面ハルトにはゾンマーガルトにいてもらって、王国内で内戦が起きた場合の共和国との連携を模索してもらうつもりだ。ケンプフェルト元帥と懇意になっているようだから、共和国軍を我々の味方に付けることもできる。それにラウシェンバッハ騎士団や自警団の演習にも参加しているから、共和国への援軍では一軍を指揮してもらいたいしね」


 ゲルハルト・ケンプフェルト元帥は共和国軍の宿将で、指揮官としても大陸最強の戦士として知名度が高い。私も十五年ほど前の王国騎士団改革の時から面識がある。


 ハルトムートは国境の閑職ということで、頻繁に共和国に赴き、ケンプフェルト元帥と剣術や戦術、戦略について語り合っている。今では師弟関係と言えるほどで、その伝手も使えると考えていた。


「そうなると、問題は文官ね。レベンスブルク侯爵閣下とオーレンドルフ伯爵閣下、それとお父様、カウフフェルト男爵くらいが候補だけど、若手がいないわね」


 マルクス・フォン・レベンスブルク侯爵は国防大臣に当たる元軍務卿だ。先代がマルクトホーフェン侯爵家と対立して敗北し、領地を大きく減らされていることから、反マルクトホーフェン侯爵派の筆頭だ。


 ユルゲン・フォン・オーレンドルフ伯爵は元財務次官であり、初代総参謀長という異例の経歴の持ち主だ。元々は中立派であったが、私が総参謀長への就任を依頼したことから、反マルクトホーフェン侯爵派と見られている。


 義父であるカルステン・フォン・エッフェンベルク伯爵は騎士団長も務めていたが、軍務次官も経験しており、文官としての能力も高い。


 シュテファン・フォン・カウフフェルト男爵はジークフリート王子の守役になる前は、宰相府を背負って立つ俊英と言われていた人物だ。


 しかし、いずれも四十代半ばを過ぎており、実務を担当する若手が必要だった。


「レベンスブルク侯爵とオーレンドルフ伯爵の嫡男は私たちより少し下だったはずだし、なかなか優秀だと聞いている。その辺りから考えていこうと思っているけど、優秀な文官が不足していることは我が国の最大の弱点と言える。当面は私と君で対応することになるだろうね」


 グライフトゥルム王国の行政府は宰相府だ。しかし、爵位と年功序列が幅を利かし、更に近年ではマルクトホーフェン侯爵派がポストを独占していることから、まともな文官がいない状況だ。


「とりあえず侯爵を排除してからの話ね。ところでこの話はジークフリート殿下にもするのかしら?」


「今のところ、私からする予定はないよ。いろいろと学んでもらって自ら考えてもらうつもりだから」


 私の答えに妻は微笑みながら頷く。


「私に厳しいというけど、あなたも結構厳しいわよ。国内情勢だけじゃなく、帝国や法国の状況を理解させてから、考えさせようというのでしょ?」


「そうなるね。時間が許せばだけど」


 私には懸念があった。

 つい先月入ってきた情報だが、レヒト法国の北部、北方教会領に獣人族セリアンスロープが多く集まっているらしい。


 元々レヒト法国には多くの獣人族が住んでいた。しかし、法国の国教トゥテラリィ教は普人族メンシュのみがヘルシャーしもべであり、獣人は穢れた存在として、人と認められていない。


 獣人族は奴隷として狩られ、家族を人質にされた上、決死隊として前線に送り込まれるほどだった。

 そのため、私は五万人以上の獣人族を救出し、法国の戦力低下を図っている。


 しかし、情報では、北方教会領の獣人族は教会に忠誠を誓うことで、“名誉普人族”として差別の対象でなくなったと言われており、街で見かけることもあるらしい。


 完全に差別的な行為が行われなくなったとは思えないが、今まで家族を人質に取られて嫌々戦っていた獣人たちが、自発的に戦うようになったとすれば、王国にとって大きな脅威となる。そのことが懸念なのだ。


「獣人族のことが分かるのは二ヶ月以上先。それまでに何もなければいいのだけど」


 北方教会領の領都クライスボルンは千キロメートル以上離れており、シャッテンたちを派遣しても、敵国内が主ということで片道十日ほど掛かる。既に調査に入っていると思うが、思った以上に厳重な防諜態勢が敷かれており、少数のシャッテンでは時間が掛かる。


 しかし、現状動かせるシャッテンの数は少なく、国内と帝国、グランツフート共和国に近い東方教会領を優先せざるを得ない。

 不安は残るが、割り切っている。

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