第6話「第三王子、軍師と出会う」

 統一暦一二一五年一月二十一日。

 グライフトゥルム王国中部グライフトゥルム市、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ本部内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵


 外が薄暗くなり始めた頃、第三王子ジークフリートが現れたという連絡がきた。

 その連絡が来ても驚きはなかった。ラザファムから王子が私に会いにここに向かったという連絡が来ていたためだ。


(出発する前に連絡が欲しかったな……)


 ラザファムから連絡がきた時に思ったことだ。

 ブラオン河を使うルートはマルクトホーフェン侯爵に監視されており、見つかる可能性が高い。見つからないような策を講じておけば、スムーズにここに来られたはずだ。


 ラザファムもそのことは理解しており、私に連絡するよう提案したらしいが、自分の力だけで私に会いたいと王子が押し切ったらしい。


 驚きはなかったが、予定より十日以上遅れており、心配していた。

 ラザファムからの連絡後、シャッテンに調査してもらったが、領都マルクトホーフェン市で足取りが途絶えており、大賢者マグダも心配していたほどだ。


『何事もなければよいのじゃが……ヒルダも儂に連絡を入れればよいものを……人選を誤ったかの……』


 ジークフリート王子は最有力のヘルシャー候補であり、最優先に保護すべき対象だ。


 彼女が直々に選んだ護衛、ヒルダことヒルデガルト・シュヴァルツェナッハは闇の監視者シャッテンヴァッヘシャッテンの中でも優秀だそうだが、ジークフリート王子に心酔し、彼の意見を第一に考えるようになっているらしい。


「殿下には旅の疲れを癒していただき、明日以降のご都合のよい時間でお会いするとお伝えください」


 伝令としてやってきたシャッテンに伝言を依頼する。


「無事でよかったわね。オストヴォルケの森で何かあったのかと心配していたわ」


 妻のイリスの言う通り、マルクトホーフェン市から街道を避けたことはすぐに予想でき、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの上層部はグライフトゥルム市にいるシャッテンのほとんどを捜索に出していた。


 イリスはジークフリート王子の秘密を知らないため、王子が行方不明になったから焦っていると考えている。


「本当にそうだね。さて、殿下がどんなことを話してくれるのか、楽しみだよ」


 ラザファムの手紙には、私を招聘するために説得にきたとしか書かれていない。


「私も楽しみよ。やる気のないフリードリッヒ王子やアラベラの息子グレゴリウスが次の国王陛下になるなんて論外だから」


「どうだろうね。ラズが指導したのだから、変な野心は持っていないと思うけどね」


 ジークフリート王子の性格は分からないが、高潔なラザファムが簒奪に近い形を認めるとは思えない。


「でも、あの二人のどちらかが玉座に座るようなら、この国は終わりよ。マルクトホーフェンを排除できなくなるのだから、あなたがどれだけ頑張っても徒労に終わるわ」


 彼女の言っていることも理解できる。

 グレゴリウス王子はミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵の甥であり、最大の支援者である侯爵を切り捨てる可能性は低い。


 もし切り捨てるとしたら、私や反マルクトホーフェン侯爵派が彼を支援すると確約した時だけだろう。しかし、私はグレゴリウス王子の冷酷さを知っているから、彼に力を貸すつもりはない。


 もう一人のフリードリッヒ王太子だが、彼の優柔不断で気弱な性格上、マルクトホーフェン侯爵を排除することはあり得ない。下手に動けば殺されると思っているからだ。


「いずれにしても明日になれば分かるよ」


 そんな話をしたが、再び伝令がやってきた。


「ジークフリート殿下が今日でもよいかとお尋ねですが、いかがいたしましょうか」


 着いたその日、それも夜に面会を希望されるとは思っていなかった。


「夕食の後であれば、問題ありません。殿下にもゆっくりと食事を摂ってから、お越しくださいとお伝えください」


 伝令が去ると、イリスが呆れていた。


「思ったよりせっかちなのね。ここまで遅れたのだから、半日くらい待っても変わらないと思うのだけど」


 彼女言う通り、急がなければならない事態は起きていない。

 全く同感なのだが、微笑むだけでコメントはしなかった。


 家族で夕食を摂った後、二時間ほどしてからジークフリート王子がやってきた。

 王子は長旅で疲労が溜まっているのか、目の下に隈がある。しかし、若いためか、それとも興奮しているためか、疲れは見えず、目は爛々と輝いていた。


 彼に付き従うのは黒衣の偉丈夫だけだ。叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの塔の中ということで陰供シャッテンは付いていない。ヒルデガルトに関しては、今回の件で叱責されているのかもしれないが。


「このような時間に済まない」


 そう言って頭を下げる。


「ジークフリートだ。是非ともマティアス卿と話したいと思って、ここにやってきた」


「マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵です。こちらは妻のイリス。二人でお話を聞かせてもらうつもりですが、よろしいでしょうか?」


「もちろんだ。“月光のモントリヒト剣姫プリンツェッンスィン”殿にもぜひとも同席していただきたい!」


 私の問いに元気よく答える。

 私の横では懐かしい二つ名にイリスが苦笑していた。


「もう、そのような名で呼ばれる歳ではありませんわ」


 そこでジークフリート王子も自分が興奮していることに気づき、顔を赤くする。


「そのようなことはないと思うのだが……イリス卿にも同席をお願いしたい」


「私も妻も敬称は不要ですよ」


 王子が自国の下級貴族とその夫人に対し、敬称を付けることは本来あり得ない。


「いや、マティアス卿とイリス卿の二人には、私の師となってほしいと思っている。だから、敬意をもって接したい」


「師ですか……エッフェンベルク伯爵が師ではないのですか?」


「もちろん、伯爵も私の師だ。そのラザファム卿からマティアス卿とイリス卿の知恵を借りるべきであると言われた。つまり、二人を私の師として遇せよということだろう」


 思っていた以上にジークフリート王子は生真面目な性格のようだ。


「呼び方はおいおい考えるとして、今回私のところ来られたのはラザファムの意見に従ったからですか?」


「もちろんそれもある。しかし、私個人が卿たちを招聘したいと考えた。王国の未来をより良きものにするためには、大賢者が軍師アルトヴィーン以上と評するマティアス卿の力がこの国には必要だと思ったのだ」


 大賢者マグダが建国の英雄、軍師アルトヴィーン・ザックスより評価していたと聞き、苦笑が漏れる。


 アルトヴィーンは“フォルクマークの双翼”の一人として伝説の人物だが、大賢者にとっては統一国家フリーデン崩壊後に共に戦った戦友だ。直接比較できる人物が、私をそれ以上と言えば、若い王子が舞い上がってもおかしくはない。


「大賢者様がどのようにおっしゃったかは存じませんが、軍師アルトヴィーンは確かな実績を残された偉人です。それに引き換え、私は王国の防衛に多少貢献した程度です。比較にならないと思いますよ」


 それでも王子は食い下がってきた。


「大賢者は、もし千年前にマティアス卿がいれば、戦乱の時代は少なくとも五十年は短くなったと言っていた。それにラザファム卿からも卿が行った策をいろいろと聞いている。私は未熟だが、未熟なりに考え、卿と共に国を守るという結論に達したのだ」


 誠実さと謙虚さは王族らしからぬもので好感が持てる。しかし、危うさも感じていた。


「分かりました。では、殿下にお尋ねします。殿下にとって国とは何でしょうか?」


 この質問は想定していなかったのか、困惑の表情を浮かべている。


「国……王国のことを聞いているのだろうか?」


「それでも構いませんし、一般論でも構いません。殿下は先ほど私と共に国を守るとおっしゃいました。その守る対象が何であるかを教えていただきたいのです」


「……」


 無言で考え込んでいる。


「今日は遅いですし、お疲れでしょう。今の問いは宿題として持ち帰っていただき、明日にでも答えを聞かせていただきたいと思います」


「分かった。では、明日また来させてもらう。体調が優れぬと聞いていたのに無理を言って済まなかった」


 ようやく興奮が収まったのか、謝罪してきた。


「このくらいの時間であれば大丈夫ですので、謝罪は不要ですよ。では、ごゆっくりお休みください」


 王子が退出すると、イリスが話しかけてきた。


「思っていた以上に真っ直ぐな方ね。私は好感を持ったわ」


「私も同じだよ。でも、まだ覚悟が足りない気がした。殿下からは自分が王国の舵を取るという感じがしなかった。恐らく国王の下で臣下の一人として働こうと考えているのだと思う」


「だから宿題なんて出したの?」


「そうだよ。ラズがどんな話をしているかは分からないけど、殿下を担ぎ出すのであれば、彼の国家観は知っておかないといけない」


「そうね。兄様が教えているならおかしな考えではないと思うけど、最悪の場合は殿下抜きで戦わないといけないから」


 グレゴリウス王子は暴君になる可能性が高いと大賢者から聞いている。ジークフリート王子が同じように民をないがしろにする考えであれば、フリードリッヒ王太子を飾りとして国王にした方がマシだ。


「どんな答えを持ってきてくれるのだろうか。明日が楽しみだね」


 私がそう言うと、妻も笑顔で頷いた。

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