第5話「第三王子、襲撃される」
統一暦一二一五年一月九日。
グライフトゥルム王国中部マルクトホーフェン侯爵領、領都マルクトホーフェン南。第三王子ジークフリート
マルクトホーフェン侯爵領の領都の南にある荒れ地で、私たちは侯爵が雇った
私は高さ三メートル、幅五メートルほどの大きな岩の前に立ち、バスタードソードを構えている。私の前には護衛騎士のアレクサンダー・ハルフォーフが刃渡り一・五メートルほどの両手剣を地面に突き刺して敵を待っていた。
私とアレクサンダーの他に、偵察から戻ってきた
私からは見えないが、あと四人の
「敵は十八人。動きを見る限り、精鋭のようで侮れません。アレクサンダー様、最初から全力でお願いします」
ヒルデガルトがいつになく緊張した声で警告を発した。人数は想定より少なかったものの、戦力的には想定以上らしい。
「来ます!」
ヒルデガルトはそう叫ぶと、私の前に立つ。
前方から四人の覆面の剣士が突っ込んできた。装備は何の変哲もない革鎧と細めのショートソードだが、足場が悪い荒れ地であるにもかかわらず、風のように接近してくる。
(疾い!)
私がそう思ったと同時に、アレクサンダーがその巨体に似合わぬ敏捷さで数メートル前に出た。
その動きは残像が見えるほどで、次の瞬間、二人の剣士が血しぶきを上げて倒れていた。
二人の仲間が斬り伏せられたが、残りの二人は全く意に介すことなく、左右に散る。
その直後、シュッという矢羽根が風を切る音が耳に入ってきた。
アレクサンダーは巨大な剣を振ってその矢を弾き飛ばす。更に矢音が続き、アレクサンダーはそれを的確に叩き落していく。
よく見ると、三十メートルほど先に、いつの間にか三人の弓使いがおり、複雑な形状の合成弓を操って矢を放っていた。
左右に散った剣士が、矢を叩き落としているアレクサンダーに接近する。敵は彼を最も危険な相手と認識し、最初に潰しにきたようだ。
「小賢しい」
アレクサンダーは矢を叩き落としながら左に回転し、左から襲い掛かる剣士の胴を輪切りにする。更にその勢いのまま、右側の剣士の首を斬り裂いた。二人から凄まじい勢いで血が噴き出し、地面を赤く染めていく。
(凄い……)
その間にも矢は放たれ続けており、彼の横を抜けた矢が三本迫ってきた。
しかし、ヒルデガルトは軽く剣を振ることで、三本の矢を叩き落し、周囲を窺っている。
(アレクも凄いけど、ヒルダも凄い。これが
二人の戦いに圧倒されすぎて現実味がなく、気が抜けそうになるが、必死に周囲を見て警戒する。
アレクサンダーは弓使いの間から現れた五人の剣士と渡り合っている。
ヒルデガルトはその隙を突いて飛んでくる矢を叩き落とし続けていた。
「ジーク様! 左! 敵です!」
ヒルデガルトの短い警告に咄嗟に左を向く。
いつの間に接近されたのか、五メートルほどの位置に短剣を構えた剣士が突っ込んでくるのが見えた。
二人の護衛が手いっぱいであり、私は気合いを入れて剣を構える。
草を掻きわける音が僅かに響くだけで、私に迫る敵は声を出すこともなく、静かに、そして鋭く迫ってきた。
「ハッ!」
私は裂帛の気迫と共に剣を振り抜く。
自分では上出来だと思えるほどの速度で振り下ろしたが、敵はあっさりと刃渡り三十センチほどの短剣で受け止めてしまう。
体格的には互角だが、剣の大きさが違う。そのまま押し込んでいけば勝てると思った時、敵が力を緩め、私の身体の下に沈み込む。
次の瞬間、私はたたらを踏むように一歩前に出てしまった。
(まずい!)
私の下に入った敵は右手に持つ短剣ではなく、いつの間にか左手に持っていた鎧通しのような細く鋭い短剣を私の脇腹に突き入れようとしている。
咄嗟に私は左に身体を傾け、無様に転ぶ。なぜそうできたのか分からないが、結果として敵の攻撃を躱すことになった。
しかし、左側には盾にしていた大岩があり、これ以上転がって逃げることができない。
敵も一瞬隙を突かれたが、すぐに我に返っており、私に向かって短剣を突きだしてきた。
(やられる!)
そう思った時、私の上にドサリという感じで敵が覆いかぶさってきた。そして、温い液体が私に掛かる。
「ジーク様! ご無事ですか!」
ヒルデガルトが助けてくれたようだ。
「問題ない!」
そう言いながら敵の死体を押しのけ、立ち上がる。
アレクサンダーは五人の剣士を葬っており、死体の山ができていた。彼を狙っていた弓使いもいつの間にか消えている。
「お怪我はありませんか?」
ヒルデガルトが心配そうな顔で聞いてきた。
「大丈夫だ……勝ったのか?」
「はい。十二名を倒し、残りは撤退しました。部下が追撃していますので、すぐに殲滅の報告が来るはずです」
そこでようやく私も冷静さが戻ってきた。
「二人とも怪我はないか?」
戦果を聞く前に実際に戦っていた二人の心配をすべきだったと反省する。
「「問題ありません」」
二人から同時に答えが返ってきた。
私が安堵していると、アレクサンダーが少し怪訝な表情をしていた。
「一斉に襲い掛かってくると思ったが、
その問いにヒルデガルトが頷く。
「はい。攻撃の直前に部下たちが奇襲を仕掛けましたので、敵の半数がその対応に回っています」
「助かった。さすがにあれほどの手練れが一斉に襲い掛かってきたら、ジークフリート様を守り切れなかったかもしれない」
その後、逃げていった六名もすべて倒したという報告が来た。
「これで一息つけるはずですが、先を急ぎましょう」
その言葉に頷くが、気になっていたことを確認する。
「
「問題ございません」
ヒルデガルトは小さく頷いた。しかし、答え方に違和感を覚え、もう一度確認する。
「
少しの間があった後、ヒルデガルトは小さく首を横に振る。
「一名が戦死しております。残りの三名は軽傷ですが、既に治療済みです」
「そうか……
「承りました」
生者には感謝の言葉を掛けられるが、死者に対しては黙祷を捧げることしかできず、不甲斐ないと思ってしまう。
「ジークフリート様、今は先を急ぎましょう」
私が落ち込んでいると思ったのか、アレクサンダーが声を掛けてきた。
「そうだな。彼らの働きに報いるためにも私は進まなければならない」
最後は自分に言い聞かせる言葉だった。
それから二日間は特に何も起きることなく、無事マルクトホーフェン侯爵領を抜けた。
ここから北に三十キロメートルほど行けば、グライフトゥルム市に向かうグライフトゥルム街道に入ることができる。しかし、ヒルデガルトにその考えはなかった。
「グリュンタールに向かえば、待ち伏せされる恐れがあります。
街道に入り、更に西に一日ほど進めば、グリュンタール市がある。ここはマルクトホーフェン侯爵派ではないグリュンタール伯爵の領地だが、我々がグリュンタールに向かっていることは船を調べれば分かることだ。
「グリュンタールに入らずに、オストヴォルケの森を突っ切るということだな」
「その通りです。七十キロメートルほど森の中を進むことになりますが、マルクトホーフェン侯爵にジーク様がいらっしゃることを知られるより安全です」
「分かった。ヒルダに任せる」
オストヴォルケの森については詳しくないが、王国の大きな森は総じて
それでもヒルデガルトがこちらの方が安全だと判断したのなら、それを認めるべきだと思った。
更に間道を進み、グリュンタールの南三十キロメートルほどのところまできた。
小さな村で一泊し、準備を整える。
翌朝出発するが、ここからは徒歩だ。
深い森の中には獣道すらなく、馬での移動は不可能であるためだ。
出発して一時間ほどで、鬱蒼と茂る森、オストヴォルケの森が見えてきた。
「ここから先は
「分かった。よろしく頼む」
オストヴォルケの森に入ると、ヒルデガルトが先頭を歩き、私がそれに続く。私の後ろをアレクサンダーが守る形で進んでいく。
森の中は昼間だというのに薄暗い。倒木や巨石が行く手を何度も阻み、どのくらい進んでいるのか、全く分からなかった。
「
ヒルデガルトが小声で伝えてきた。
音を立てないように姿勢を低くする。彼女が示した方向を見ると、四つ足で歩く巨大な魔獣がいた。
その大きさは全長で三メートルほど、体高は一・五メートルほどあり、その背中には名前の通り、黒光りする甲殻があった。甲殻には三十センチほどの棘が何本も出ている。
「このままやり過ごすこともできますが?」
「俺が倒してくる。あいつは思いの外、鼻がいい。それに
アレクサンダーはそう言うと、大剣を引き抜いて鎧熊に向かっていく。
敵もすぐに気づいたようで、威嚇するように一度立ち上がった後、再び四つ足になって突進してきた。地響きを伴った突進に、思わず身が竦む。
アレクサンダーは全く怯むことなく、真正面から迎え撃つ。
ぶつかると思った瞬間、彼は剣を振り抜きながら、左に飛んだ。その直後、鎧熊の首が断ち切られて吹き飛ぶ。鎧熊の巨体はその勢いのまま数メートル進み、轟音を上げて巨木にぶつかった。
そして、その身体は霧のように消えていく。
アレクサンダーは何事もなかったように戻ってきた。
「見事なものですね。鎧熊を一撃で倒せる人はなかなかいません」
ヒルデガルトの称賛に私も同感だった。
その後、野営に適した場所を見つけ、休息を取る。
「このペースだと何日掛かるんだろうか」
私の問いにヒルデガルトが答えてくれた。
「今日は十キロほど進めましたが、八日ほどは掛かると思います。ご不便をお掛けします」
「問題ないよ。急ぐことより確実にグライフトゥルムに着くことが大事だから」
翌日から更に森が深くなるが、魔獣はやり過ごすか、アレクサンダーが倒し、問題は何も起きなかった。
私たちは無事に森を抜け、一月二十一日にグライフトゥルム市の門に辿り着いた。
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