第4話「第三王子、追われる」

 統一暦一二一五年一月八日。

 グライフトゥルム王国中部マルクトホーフェン侯爵領、領都マルクトホーフェン郊外。第三王子ジークフリート


 ブラオン河をガレー船で遡上していた。

 乗客の中にマルクトホーフェン侯爵の間者らしき者が潜んでいたため、緊張していたが、二日目の乗船中も何事もなく、更に領都マルクトホーフェンに到着しても特に動きはない。


「マルクトホーフェンには入らず、船着き場近くの宿に泊まります。急ぎ旅では珍しいことではありませんので」


 陰供シャッテンのヒルデガルトの言葉に、私と護衛のアレクサンダーは同時に頷いた。


「但し、油断はされませんように。監視は“真実の番人ヴァールヴェヒター”の間者のようですが、二人に増えていました。明らかに我々を警戒しています」


「襲撃を受けるということだろうか」


 アレクサンダーが聞くと、ヒルデガルトは少し悩んだ後、コクリと頷いた。


「捕えて正体を探ろうとするかもしれません。ここまで警戒が厳しいのであれば、早々に陸路に切り換えるべきでした。これは我々、闇の監視者シャッテンヴァッヘの失態です。申し訳ございません」


 ヒルデガルトはそう言って深々と頭を下げた。


「私が出発を急がせたことが原因だから謝罪は不要だ。それよりもどう対応するかを考えるべきだろう」


 私の言葉に彼女は頷いた。


「今夜は装備を外さず、いつでも脱出できるようにしておきましょう。アレクサンダー様、強引に突破するかもしれません。その際は突破口を開けていただければと思います」


「分かった。真実の番人ヴァールヴェヒターの間者はシャッテンより腕が落ちると聞いている。ならば、十人程度でも突破できるだろう。その際は殿下のことはよろしく頼む」


 アレクサンダーは気負うことなく言い切った。

 模擬戦以外で戦ったところは見たことがないが、大陸最強の戦士と名高いグランツフート共和国のゲルハルト・ケンプフェルト元帥と互角に戦えるらしい。


 その夜は早い時間から身体を休めていた。

 ヒルデガルトは最も油断する夜半過ぎに襲撃してくると予想しており、徹夜で逃走する可能性があるためだ。


 身体を横にしてから数時間経った。


(今何時なんだろう? 周りも寝静まったみたいだし、そろそろ襲撃があるんだろうか……)


 そんなことを考えていると、ヒルデガルトが小声で警告してきた。


「宿の出入口を抑えられたようです。敵の数は表に五人、裏に七人です。我々シャッテンが殲滅し、敵が気づく前にここを離れます。今しばらく、ここでお待ちください」


 それだけ言うと、部屋を出ていった。

 特に物音などは聞こえなかったが、十分ほど経った頃、ヒルデガルトが戻ってきた。


「捕縛にきた者はすべて排除しました。これより一旦南に向かった後、オストヴォルケの森に向かいます。配下の者が町から離れた場所で馬を用意しております」


 十二人の間者を僅か十分ですべて排除したことに驚きを隠せない。

 静かに外に出るが、特に戦闘の跡はなかった。


「血の匂いが僅かにします。恐らく一撃で仕留めていったのでしょう」


 アレクサンダーが教えてくれるが、私には全く分からなかった。

 その後、街を離れたところで、三頭の馬が繋がれていた。


「これに乗っていただきます。灯りは使えませんので、私の馬に付いてきてください」


 まだ領都マルクトホーフェンから一キロメートルほどしか離れていないが、周囲は畑らしく、灯りは全くない。道を照らすのは月だけだが、半月より少し大きいため、私の目でも何とか数メートル先を歩くヒルデガルトの馬が見えている。


 何度か休憩を入れた後、空が白み始めた。

 既に農村地帯も抜けており、雑木林の中をうねるように進む細い道を進んでいたが、ヒルデガルトが今後の方針を説明してきた。


「このまま間道を抜けていきますが、敵は先ほどより多くの追手を送り出してくるはずです。アレクサンダー様はジークフリート殿下をお守りすることを第一に行動していただければと思います」


「どの程度の戦力だと想定しているのだ?」


 アレクサンダーが泰然とした雰囲気で質問する。


「十二名の間者が消されたのですから、その二倍以上の戦力は投入してくるはずです。戦闘に特化した者、つまり暗殺者を二十名程度と言ったところでしょうか」


「撒くことは不可能か?」


「半日程度は稼げると思いますが、街に入らずに船着き場に留まる者は多くありませんから、追いかけることは難しくないでしょう」


 そこで私も質問する。


「グライフトゥルム市を諦めて別の方向に向かっても駄目だろうか?」


 私の問いにヒルデガルトは小さく首を横に振る。


「難しいと思います。馬の足跡を追ってくるでしょうし、仮に馬を捨てたとしても、殿下の足では簡単に追いつかれてしまいます」


「だとすれば、できる限り離れておいて、どこかで迎え撃つのがよいだろう。できれば、殿下を安全な場所に隠せるところがいいが……」


 アレクサンダーが迎撃を提案した。


「隠せる場所があるかは分かりませんが、迎え撃つという案はいいかもしれません。現在、陰供シャッテンは私を含め、五名います。そこにアレクサンダー様が加われば、二十名程度であれば勝機は充分にあります」


「それなら疲れる前に迎え撃ちやすい場所で戦った方がいいだろう。真実の番人ヴァールヴェヒターの隠密も無尽蔵にいるわけじゃない。ある程度の被害を与えたら、引くのではないか?」


 アレクサンダーの言葉にヒルデガルトも頷く。


「暗殺対象であれば引くことはありませんが、逃げていく不審者に対して追手を送り込み続けることはないでしょう。アレクサンダー様の案がよいかと思います」


 そこで二人が私を見た。


「私もそれでいいと思う。足手まといになるが、アレクとヒルダが戦いやすいところを選んでくれ」


「承知いたしました」


 ヒルデガルトはそう答えると、私に聞こえない声で近くの茂みに何か呟く。恐らく隠れて付いてきている陰供シャッテンに指示を出したのだろう。


 それから二時間ほど雑木林の中を進み、林の中にも日の光が入るようになった。

 更に進むと、高さ三メートルほどの大きな岩が転がる荒れ地に出た。


「ここがいいだろう。あの岩を盾にすれば、ジークフリート様を守りながら戦える」


 アレクサンダーがそう言うと、ヒルデガルトも頷いた。


「では、馬を降りて迎え撃つ準備をいたしましょう。殿下とアレクサンダー様はそこで休んでいてください」


 何をするのかは分からないが、準備をするらしい。

 私は馬を降りたものの、何をしていいのか分からず、立ち尽くしていた。


「腰を下ろして休みましょう。敵が接近してくれば、陰供シャッテンたちが教えてくれるはずです。敵がいつ現れるか分からないのですから、少しでも疲れないようにする方がいいでしょう」


 そう言うと、背中の大剣を外して岩の前に座り、背を預ける。

 私も同じように剣を外して腰を下ろした。


「この後の戦いでは、ジークフリート様が将です。将が討たれれば、戦いは敗北。ですので、ジークフリート様は敵を倒すより、討たれぬことをお考え下さい」


 その言葉に頷くが、その程度のことは私も理解している。


「ラザファム卿に戦術を教えてもらった時に、そのことは聞いているよ。将は何があっても生き延びなければならないと。敵の数倍の大軍を率いていても、将が討たれれば、そこで勝敗が決まるからと」


「もちろん、この程度ことは理解されていると思っていました。ですが、初陣ではこんな簡単なことですら、興奮して忘れてしまうものなのです。ですから、今の俺の言葉をしっかりと覚えておいてください」


「そうだな。ラザファム卿からも戦いになれば、ベテランでも思わぬミスをすると聞いている。気になることがあれば、何でも言ってほしい」


 ラザファム・フォン・エッフェンベルク伯爵は私の師だ。戦術や戦略など戦いのことだけではなく、内政や外交、財務などに関しても学んでいた。だから、呼び捨てるのではなく、“卿”と敬称を付けている。


 ラザファム卿は王立学院高等部を首席で卒業しただけあって何でも知っており、宰相府で官僚をやっていたシュテファン・フォン・カウフフェルト男爵が驚くほど政治にも詳しい。そのことを言うと、笑いながら理由を教えてくれた。


『初等部の頃からマティアスに教えてもらっていたからですよ。“君は伯爵家の当主になるのだから、政治も学んでおかないといけない”と。ただ、その時彼は“私は政治の専門家じゃないから、そのうちきちんと学んだ方がいい”と言ったんです。妹と二人で何の冗談だと思って唖然としましたよ』


 そんなことを思い出していたら、アレクサンダーが立ち上がった。


「どうやら来たようです。ジークフリート様もご準備を」


 私は緊張しながら頷き、バスタードソードを抜いた。

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