第2話「軍師、国を憂う」

 統一暦一二一五年一月一日。

 グライフトゥルム王国中部グライフトゥルム市、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ本部。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵


 統一暦一二一五年が明けた。


 私は今年三十一歳になる。

 八歳の時に日本人としての記憶が蘇り、それからその知識を使って愛する妻や友を守るため、王国の敵と戦ってきた。


 ここ数年は病で寝た切りに近い状態だったが、最近では馬に乗れるほどにまで回復している。

 妻のイリスが子供たちの相手をしながら話し掛けてきた。


「新たな年になったわね。今年も平和だといいのだけど」


 妻は私と同い年であり、三人の子を産んでいるが、プラチナブロンドの美しい髪と白皙の整った顔は“月光のモントリヒト剣姫プリンツェッスィン”と呼ばれていた頃と変わらず美しいままだ。


「それは難しいと思うね」


 私がそう答えると、妻も分かっているのか、溜息を吐きながら頷いている。


「そうね……」


「マルクトホーフェン侯爵が提案した増税で、民衆が暴動を起こす可能性がある。それに帝国はもちろんだが、法国の動きが怪しい」


 王国を牛耳る宮廷書記官長のミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵は、一昨年の秋に増税を提案し、昨年から実施されている。人頭税はほぼ倍になり、更に統一暦一一九六年に廃止された各都市の関税まで復活させた。


 その理由だが、四年前に猛威を振るった疫病、赤死病で税収が減少したことに加え、ゾルダート帝国の脅威に対抗するため、軍備増強が必要というものだった。


 しかし、軍備増強については明確な方針がなく、マルクトホーフェン侯爵派の貴族たちが懐に入れるためだと言われている。


 昨年の初めには増額された人頭税が徴収され、更に関税の復活で商業活動が停滞しつつあり、民たちの間に怨嗟の声が上がっていた。


「法国の情報が少ないのが痛いわね。国内の情報収集に集中しなければいけないし、帝国も放置できないことは理解するのだけど……」


 彼女が言う通り、我々の当面の目標はマルクトホーフェン侯爵派の排除だ。また、東のゾルダート帝国は我が国の二倍以上の国力、三倍近い正規軍を持つ軍事大国であり、若き皇帝マクシミリアンは大陸統一の野心を隠していない。


 南の隣国レヒト法国は狂信的な宗教国家だが、トップである法王アンドレアス八世は穏健派であり、ここ十年ほどは内部の統制に力を入れている。


 また、赤死病の影響も大きかったことから、喫緊の脅威ではないと判断しているが、東部では兵を集めているという噂があり、更に王国との国境に近い北部でも騎士団長が聖都で活動するなど、今までにない怪しい動きが見えており、油断はできない。


「それであなたはどうするの? まだ油断はできないけど、領地に戻れるくらいには回復しているわ。そろそろ動かないと、マルクトホーフェンの支配が強まりすぎて、排除が難しくなるのではなくて?」


「そうだね。だけど領地に戻るか、王都に戻るか、まだ迷っている。いずれにしても身体に負担が掛かる真冬の移動は避けたいから、状況が許すのであれば、四月以降になると思うけどね」


 妻の言う通り、マルクトホーフェン侯爵に距離を置く有能な軍人や政治家、官僚らは排除されつつあり、私利私欲に走る侯爵派が王都を牛耳っている。

 私の言葉にイリスは驚き、目を見開いた。


「王都は敵地よ。帝国の支援は減ったみたいだけど、“真実の番人ヴァールヴェヒター”の間者や暗殺者がウヨウヨいるわ。シャッテンシュヴァルツェベスティエン猟兵団イエーガートルッペの護衛がいるとはいえ、最も危険視されているあなたが戻れば、何をされるか分からないわ」


 “真実の番人ヴァールヴェヒター”は三大魔導師の塔の一つ、“真理の探究者ヴァールズーハー”の下部組織の間者集団だ。


 “闇の監視者シャッテンヴァッヘ”の隠密“シャッテン”や、伝説的な暗殺者集団“ナハト”ほどの戦闘力はないが、数が多く、毒や搦め手を使ってくることもあり厄介だ。


 実際、私は“蚊”を使った暗殺を試みられ、南方の風土病らしき病を発症して死の淵を彷徨っている。


 シュヴァルツェベスティエン猟兵団イエーガートルッペはラウシェンバッハ子爵領の獣人たちで作る約八百名の大規模な傭兵団であり、私直属の戦闘集団だ。


 その戦闘力は一騎当千と言えるほどで、平均的な団員でも真実の番人ヴァールヴェヒターの暗殺者を凌駕するほど強力だ。更に全員が私に対して絶対の忠誠を誓っており、信頼できる護衛だ。


「いずれにしても一度王都には行くことになる。王国騎士団の状況をこの目で見ておかないと、今後の戦略が立てられないからね」


 王国騎士団は統一暦一一九九年に創設された王国軍の主力だ。それ以前にも王都の名を冠したシュヴェーレンブルク騎士団があったが、前近代的な組織であり、王国騎士団という名に変えて近代化を図った。


 私はこの組織改編に大きく関わっているが、体調を崩し、総参謀長を辞任してから三年以上経っていることから状況を確認する必要があった。


 もちろん叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの情報分析室で情報収集を行い、その報告は受けているが、指揮官の多くがマルクトホーフェン侯爵派に代わっていることから、どの程度能力を落としているか、実際に確認しておく必要があった。


「そうね。それより王家の方はどうするの? アラベラは大人しくなったようだけど、グレゴリウスの発言力が強まっているのよ。このまま放置するわけにはいかないと思うのだけど?」


 現在の国王はフォルクマーク十世で、在位は二十三年に及ぶが、マルクトホーフェン侯爵の完全な傀儡だ。


 王妃アラベラはマルクトホーフェン侯爵の姉だが、第一王妃マルグリットを自らの手で殺すほど短絡的で愚かな女性だ。そのため、国王や侯爵から疎まれ、今は王都の北の離宮で大人しくしているらしい。


 第二王子グレゴリウスはアラベラの子で、現在十七歳。長男であるフリードリッヒ王太子と比べ、政治や軍事に才能があることは明らかだ。また、叔父であるマルクトホーフェン侯爵が後見していることから、次期国王のように振舞っていると聞いている。


「ラズが指導しているジークフリート殿下に期待したいところだけど、まだ十六歳では難しいだろうけどね」


 第三王子ジークフリートは第一王妃マルグリットの次男で、私の親友であり、イリスの双子の兄である、ラザファム・フォン・エッフェンベルク伯爵が指導している。


 辺境であるネーベルタール城に幽閉に近い形で隠れていることから、宮廷内では忘れられた存在だ。


 このグライフトゥルム王家だが、イリスにすら秘密にしていることがある。

 それは王家からこの世界の神である“管理者ヘルシャー”が生まれる可能性があることだ。


 管理者ヘルシャーは千年以上前に存在していた強力な魔導師だ。その力は地形を変え、海を割ると言われるほどで、我々一般人から見たら超越者である神と言えるだろう。


 その管理者ヘルシャーの復活のため、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘが作られた。


 その創設者である大賢者マグダは管理者ヘルシャーを補佐する“助言者ベラーター”であり、私はその大賢者から期待され、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの者たちは大賢者の弟子と認識している。もっとも私には魔導マギを使う才能はないが。


 その大賢者だが、ジークフリート王子がヘルシャーとなる可能性が最も高い候補者だと見ている。実際に高い魔導の才能を見せ、ここ百年では最も期待できると大賢者は断言しており、その指導を私に期待していた。


 私自身はヘルシャーの復活に興味はないが、強力な魔導師集団、“叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ”の協力を得るためには考慮しなければならない事項であり、ジークフリート王子に対して関心を持っている。


 まだ会ったことはないが、親友のラザファムが将来性のある若者と評していることから、最近次期国王として期待し始めたところだ。


「いずれにしてもマルクトホーフェン侯爵の動向をもう少し探る必要があるね。好き放題やっているけど、少しでも世界情勢が見えていれば、そんな余裕はないはずなんだ」


「そうね。あなたが打った手は効いているけど、旧皇国領は徐々にだけど掌握されつつあるわ。幸い、ダニエルが提案した大規模な投資計画で、帝国の財政は厳しくなるから大規模な侵攻作戦はないと思うけど、マクシミリアンはこれまで大胆な策を何度も行ってきたわ。この先も何をするのか分からないから油断できないわね」


 帝国が併呑したリヒトロット皇国はグライフトゥルム王国に次ぐ歴史ある国家で、未だに旧皇国領の民衆は新興国である帝国の支配を受け入れていない。


 私はその感情を利用し、ゲリラ戦を提案するなどして密かに支援していた。その結果、帝国の支配は盤石とは言い難い状況だ。


 また、王都の屋敷で私が指導していたダニエル・モーリスは、王立学院卒業後、単身帝都ヘルシャーホルストに赴いている。大商人ライナルト・モーリスの次男という肩書を使い、大胆な投資計画を皇帝に提案し、採用させた。


 計画の概要は旧皇国領の主要産業であった酒造を復活させ、産業の創出と民心を得るというものだが、これはダニエルと彼の兄フレディが考えた遅滞作戦だ。


 計画案の骨子しか見ていないが、帝国の国家予算の約十パーセントに当たる巨額の投資を三年ほどで行うとあった。年に換算すると、軍事予算の四分の一ほどに当たるため、兵士への給与や城塞などの補修費を除くと余裕はほとんどない。


 そして、その資金のほとんどはモーリス商会からの融資だ。金利はこの世界では比較的低利だが、それでも年十パーセントという高利だ。それまでに行われている融資と合わせると、帝国は毎年膨大な額の金利を支払う必要があった。


 また、計画の中には帝国独自の通貨、帝国マルクを大量に発行させることも入っている。 この策は元々私が考えていたもので、それによって帝国にインフレを引き起こすことを狙っていた。


 この計画は巧妙に仕組んでいることから、帝国に気づいている者はいないが、数年後には通貨の暴落で金利の負担が更に増大し、帝国財政に大きなダメージを与えるだろう。


 これで帝国を抑え込めると思っていたが、私の思惑は大きく外れている。

 経済的に厳しい状況にあるにもかかわらず、皇帝は本日、第四軍団を新たに創設したのだ。


 目的は旧皇国領の治安維持のためと発表されているが、これは帝都ヘルシャーホルストでの流民対策だ。


 帝国は四年前の疫病、“赤死病”によって地方が大きく疲弊した。また、私が仕掛けた経済的な謀略により、帝都付近は好景気が続き、それ以外の地域は物価高に喘いでいる。


 私としては帝都と地方の格差が大きくなり、帝国内で民衆が不満を持つことに期待したのだが、不満は持ったものの、帝国民は前向きであり、帝都で一旗揚げようとする者が増え、帝都に人が大量に流入した。


 しかし、大都市である帝都といえどもすべての民に与えられるほど雇用はなかった。その結果、帝都の周囲にスラム街が形成されていく。そのことを憂慮した皇帝が流民たちを兵士として雇用し、第四軍団を創設したのだ。


 軍団ができたことで一時的だが、更に雇用が生まれ、不法滞在者たちを労働力に替えることができた。しかし、軍事予算が限られる中、軍の膨張は財政の破綻を意味する。皇帝はそれを解決するため、第四軍団を旧皇国領に送り込み、治安維持に当たらせることにした。


 王国に接する旧皇国領は穀倉地帯でもあり、数万の兵士を送り込んでも飢える心配はない。また、治安を回復できれば税収の増加に繋げることもできる。


 それでも経済的不安が解消されなければ、それを理由に軍を動かす可能性も考えられる。古来より経済的な困窮が原因で軍を起こすことはよくあることだからだ。


 この状況に私は焦りを覚えていた。

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