新グライフトゥルム戦記~運命の王子と王国の守護者たち~(仮)

愛山雄町

第一章:「立志編」

第1話「第三王子、軍師を求める」

 統一暦一二一五年一月一日。

 グライフトゥルム王国北部ネーベルタール半島、ネーベルタール城内。


 北の辺境にある古城、ネーベルタール城は数日前からの吹雪に真っ白に雪化粧が施されている。


 一面の銀世界と城下にあるシュトルムゴルフ湾の荒波が、自然の美しさと厳しさを見せているが、それを愛でるような者はここにはいなかった。


 城内の一室では一人の若者が暖炉を前に座り、薄い金色の髪と白皙の肌が暖かなオレンジ色の光を浴びて赤みを帯びている。若者は十六歳、端正な顔つきだが、まだ幼さが少し残っている。


 彼の横には三十歳ほどの長身の美丈夫が座り、その反対側には四十代半ばの上品な紳士が優しい笑みを湛えて立つ。


 その後ろには漆黒の装備に身を固めた偉丈夫が大型の両手剣を背負って立ち、入口の扉の前にはメイド姿の女性が目立たぬように控えていた。


 新しい年が明けた目出度い日であるにもかかわらず、その若者、エンデラント大陸最古の王国、グライフトゥルム王国の第三王子ジークフリートの表情に明るさはない。


「我が国は危機に瀕している。このことは明らかだ。しかし、誰も手を打とうとしない。私が立つしかないのだろうか……」


 誰に言うでもない独り言だが、遠くから微かに聞こえてくる轟々という風の音と暖炉の薪が出すパチパチという音だけが聞こえる室内では、その声は思いの外響いた。


叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの情報分析室の報告書を見る限り、殿下のご懸念はおかしなものではありません。ですが、本気で行動を起こされるおつもりですか? その覚悟ができたと」


 椅子に座る美丈夫、ラザファム・フォン・エッフェンベルク伯爵が氷蒼アイスブルーの瞳を向けて尋ねた。その瞳には冷徹さのみが見え、臣下が王子に問う雰囲気はない。


「グレゴリウス兄上はもちろんだが、父上もフリードリッヒ兄上もマルクトホーフェン侯爵の専横に対処する気がない。レヒト法国の聖竜騎士団がグランツフート共和国に攻め込もうとしているのに、同盟国を守るために動こうとしていないことも気になる。マティアス卿の言葉ではないが、これでは十年以内に我が国はゾルダート帝国に飲み込まれるか、レヒト法国に併合されるだろう。それが分かっていながら、手を拱いていることが、もどかしいんだ」


 マティアス卿こと、マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵は王国騎士団の元総参謀長だ。その情報収集力と分析力は予知と言われるほど正確で、“千里眼アルヴィスンハイトのマティアス”の異名で知られている。


 王国騎士団の改革を推進した英雄、故クリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵の懐刀として、南の宗教国家レヒト法国の侵攻を防ぎ、謀略によって東の軍事大国ゾルダート帝国の進軍を抑え込み、敵から最も警戒されている人物でもあった。


 ラザファムは鋭い視線を向け続けるが、結論を急ぐことなく、ジークフリートの言葉を待つ。


「このままでは、いずれ王国の民は戦乱の渦に飲み込まれてしまう……」


 ジークフリートは憂いを帯びた瞳で更に続ける。


「それだけじゃない。経済的にも困窮し始めていると聞く。父上に是正していただくよう手紙を出したが、私の言葉は無視されただけだ。ならば、私自身が力を付け、王国のために立ち上がるしかない」


 そこでジークフリートはラザファムの目をしっかりと見つめる。


「ラザファム卿、私に卿の力を貸してほしい」


「殿下にそのお覚悟があるのであれば、微力ながら手伝わせていただきます」


 ラザファムはジークフリートが覚悟を決めたと知り、それまでの冷たい視線を緩め、柔らかな笑みを浮かべて頷く。彼もまた、王国の行く末を案じ、行動を起こすつもりだったためだ。


 ジークフリートはラザファムに頷き返すと、反対側に立つ紳士シュテファン・フォン・カウフフェルト男爵に視線を向けた。


「シュテファンも賛成してくれるだろうか?」


「もちろんでございます」


 シュテファンはいつも通りの柔らかな笑みのまま頷く。

 幼い頃から守役としてジークフリートを守ってきた彼に迷いはない。


「アレク、ヒルダ、君たちにも力を借りたい。よろしく頼む」


 漆黒の偉丈夫アレクサンダー・ハルフォーフは即座に片膝を突いて頭を下げ、メイド姿の陰供シャッテン、ヒルデガルト・シュヴァルツェナッハは優雅な礼でその問いに答える。


 全員の賛同を得てジークフリートは安堵の表情を浮かべるが、ラザファムは再び笑みを消し、真剣な表情で問いかける。


「これからの方針をお聞かせください。立つとおっしゃられましたが、玉座を求めてはおられぬのでしょう。どこを目指すのか、殿下の存念を伺っておきたい」


 師でもあるラザファムからの問いに、ジークフリートも真剣な表情で頷く。


「もちろん王位を求める気はない。ただ国政に参加できるだけの力は必要だと思っている。しかし、今の私には武力も財力もない。それに加えて人脈もないから、宮廷への影響力も皆無だ。宮廷で戦うにしても力が必要だが、今私が持っているものはラザファム卿とシュテファンの力と知恵、経験だけだ」


 ラザファムは王国の主力、王国騎士団で活躍した将だ。その能力は卓越しており、僅か千数百名の部下を率い、三万の帝国軍正規軍団を翻弄している。その功績により、最年少の騎士団長となったが、マルクトホーフェン侯爵の謀略により失脚していた。


「私程度の力や経験では心許ないですね。シュテファン殿、卿の意見は?」


 彼は領地に戻れば、精鋭と名高いエッフェンベルク騎士団を動かすことができるが、義勇兵を含めても一万人程度であり、王国騎士団二万、マルクトホーフェン侯爵派貴族軍五万とは比ぶべくもない。


 ラザファムの問いにシュテファンも頷く。


「私も十年以上前に宮廷を去っておりますから、影響力はほとんどありません。それに心ある者たちは皆追い出されており、今のままでは殿下のお力になれることは少ないでしょう」


 シュテファンも守役になる前は行政府である宰相府で官僚として活躍し、次代の宰相府を背負って立つと言われていた文官だった。しかし、宰相府を離れて既に十二年近い歳月を経ており、人脈はほとんどなかった。


「では、どうすべきだろうか?」


 ジークフリートの問いにラザファムが答える。


「知恵が必要であるなら、マティアスの力を借りるべきです。彼の横には我が妹イリスもおります。二人なら的確な方針を示してくれるでしょう」


 ラザファムの双子の妹イリスはマティアスの妻だが、王立学院兵学部を次席で卒業した秀才で、マティアスと共に知将として名高い。


千里眼アルヴィスンハイトのマティアス卿とイリス卿か……」


「はい。武力の面でもラウシェンバッハ騎士団と獣人族セリアンスロープの自警団は強力ですし、財力の面でも彼なら商人組合ヘンドラーツンフトを動かすことができます」


 ラウシェンバッハ子爵領には三万五千人に及ぶ獣人族がおり、そのすべてがマティアス個人に絶対的な忠誠を誓っている。


 子爵領の獣人たちはレヒト法国に住んでいたが、普人族メンシュ至上主義の国教トゥテラリィ教のせいで人として見られることなく迫害されていた。そんな彼らに平穏と明日への希望を与えたのが、マティアスだった。


 獣人族は身体能力が高く、いずれも優秀な戦士だが、その彼らを叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの下部組織“闇の監視者シャッテンヴァッヘ”の暗殺者たちが鍛え、一騎当千の戦士集団になっている。


 五千名のラウシェンバッハ騎士団はその獣人族が主体であり、更に獣人族の義勇兵が一万人以上いることから、王国内最強の武装集団と言っていい。その戦力は最強の軍事国家ゾルダート帝国の正規軍団を凌駕するとさえ言われている。


 また、ラウシェンバッハ子爵領は世界の経済を牛耳る“商人組合ヘンドラーツンフト”がある商都ヴィントムント市に近い。更に千里眼アルヴィスンハイトの異名を持つ彼とコネクションを持ちたいと考える商人は多かった。


 特に商都一の大商人、モーリス商会とは密接な繋がりがあり、個人が持つ経済的な影響力は世界有数だ。


「マティアス卿を我が陣営に迎える……彼の身体はもう大丈夫なのだろうか?」


 マティアスは四年前の統一暦一二一〇年末から一二一一年初めにエンデラント大陸で猛威を振るった疫病、“赤死病”に罹患し、死の淵を彷徨った。更にその回復途上で、第二王妃アラベラが放った暗殺者によって謎の病を発症し、命を落としかけている。


 その回復のため、最古の魔導師の塔、“叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ”の本拠、グライフトゥルム市で三年以上にも及ぶ療養生活を送っていた。


「妹からの手紙では通常の生活であれば問題ないようです。ただ、長期間戦場に出ることが可能かはまだ分からないかと聞いております」


「では、親友であり義兄でもあるラザファム卿から声を掛けてもらえないか。私のような何の実績もない子供から声を掛けるより、よいと思うのだが?」


 それに対し、ラザファムは即座に反対する。


「マティアスを得たいのであれば、殿下自らが動き、彼の信を得なくてはなりません」


 その言葉にジークフリートではなく、シュテファンが疑問を口にする。


「ラザファム卿が声を掛けても、マティアス卿の力を借りられぬということですかな?」


「そうではない。マティアスなら私が王国を守るために協力してほしいと言えば、間違いなく力を貸してくれる……」


 そこでラザファムはジークフリートに視線を向けた。


「しかし、真に彼の忠誠心を欲するのであれば、殿下が信ずるに足る人物だと彼に知らしめなければなりません。殿下のお考えを彼に直接話し、彼の心を得ることができれば、殿下の大いなる力となるでしょう」


「言わんとすることは分かるんだが……」


 ジークフリートは困惑の表情を浮かべている。


「初代フォルクマーク一世陛下は“大将軍バルドゥル”、“軍師アルトヴィーン”と友誼を結び、戦乱の時代を終わらせました。今はそれに匹敵する厳しい時代なのです。“軍師マティアス”と友誼を結び、彼の知恵を使いこなさなければ、この状況を変えることは不可能でしょう」


 初代国王フォルクマーク一世には“双翼”と呼ばれる二人の忠臣がいた。一人は戦場を駆ける無敗の大将軍バルドゥル・ハーケンベルク。そして、もう一人、王に数多の策を授けた軍師アルトヴィーン・ザックスだ。


「確かにマティアス卿から忠誠を得られれば、ラザファム卿もいるから、私にも双翼が得られたことになる。しかし、私に“千里眼アルヴィスンハイトのマティアス”殿の心を得るなどできることなのだろうか?」


「殿下が真に国のため、民のために立つというのであれば、彼の心に届くでしょう。殿下になら可能だと私は確信しています」


 ラザファムの言葉にジークフリートは自信を取り戻す。


「分かった。どこまで思いを伝えられるかは分からないが、直接話をしてみよう」


 こうしてジークフリートはマティアスがいるグライフトゥルム市に向かうことを決めた。

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