死に戻った王子が婚約破棄してくるのだが

黒須 夜雨子

第1話 死に戻った王子が婚約破棄してくるのだが

床に転がるのはあどけなさを残した最愛の妻だ。

呆然と立ち尽くす男の前には、かつて自身が婚約破棄を突きつけた女性と血を分けた弟。

彼らは厳しい顔でかつて婚約していた女にかけた冤罪について追及してくる。

どこで間違えた。

何がいけなかったのか。

呆然と佇む男の命は間もなく消えることとなる。



「というわけで、君とは穏便に婚約破棄することにしたよ」

どこまでも爽やかな笑顔であたかも決定事項のように言い出したのは目の前の婚約者、王位継承権を最上位で持っているジェファーソン第一王子だ。

近くで控える護衛騎士と侍女は困惑の色を顔に浮かべ、彼の側近である伯爵令息に至っては絶望の色濃く、皆が皆縋るような視線をアストレイアに向けている。

王子妃教育で培った貴族らしい薄い笑みを剥がすことなく、優雅な所作で扇を開いて口元を隠し、気づかれないよう溜息をついた。

普段であればマナーの教師に怒られる態度だが、今の状況を見たならば説教されるのはアホ面の殿下のほうだろう。

なにせ今から行う予定の不貞を告げたうえで、一方的に婚約破棄をしようとしているのだから。

「殿下のお話をまとめますと、半年後に殿下は運命の出会いをされ、婚約者である私が邪魔になって冤罪で追放しようとするけども、冤罪であることが実証されて運命の方共々亡くなられるということですのね」

「そうだ、すごく酷い話だと思わないか?」

まだ起こっていないとはいえ、冤罪を吹っかけることに罪悪感を感じない相手から酷いと言われても。

悪びれも無く冤罪を起こしたことを伝えてくる無神経さに、周囲の困惑の色がますます濃くなる。

自分が悪い癖に婚約解消ではなくて破棄にしてこようとするあたりも図々しい。

周囲の視線が軽蔑も混ざり始めていることに気づいていないポンコツ殿下、いえジェファーソン殿下、もうポンコツ殿下でいいかしらとアストレイアは思う。実際に口に出さなければいいだけだし。

そんなポンコツ殿下は周囲の空気が変わっていることにすら気づいていない。


「お話ですとバスカル子爵のご令嬢ということですが、私の記憶が確かでしたら2年前のデビュタントにはいらっしゃらなかったと思うのですけど」

この国のデビュタントは15歳だ。

アストレイアと同じ年であるのならばデビュタントも当然同じであるはず。

同世代は少なかったことから、デビュタントした子女のことは全員覚えている。

その中に該当する者はいなかった。

「私のリリーは間もなく子爵に引き取られることになるけど、それまでは平民だからね。

デビュタントができていないんだ」

だから想いを交わした後に二人だけのデビュタントをしたんだと言う、その顔が何かを思い出したかのように紅潮していて思わず目を逸らす。

同じような感想に至ったのか、気持ち悪いと誰かが溢した密やかな声は、幸運にもおめでたい脳みそを詰め込んだ頭の付属品に届かなかったようだった。

眉尻を僅かに下げて笑うポンコツ殿下は外見だけならば百点満点だろう。

いもしない令嬢の話をしていなければ。

「レイアは幼少からの付き合いだから嫌いではないし、公爵家という後ろ盾もありがたがる人は多いよね。

けどさ、私も既に成人していることだし、誰かに面倒を見てもらう必要はないと思うんだ」

「そうですか。殿下が後ろ盾の意味を理解されているかどうか、それがよくわかりましたわ」

突っ込むまでもないが、全く理解されていないことを、だ。

けど物事を都合よくしか受け止めないポンコツ殿下は気にしない。

「成人する前だから父上の言うとおりにレイアを婚約者としていたが、今の私ならば真実の愛がどれだけ大切だと思っていても、人を陥れてはいけないことが理解できている。

だから好きでもないレイアを今の時点で横に置いておく必要はないんだ。

あ、でも政務は手伝いにきてもらいたいけど」

ポンコツの後ろで側近の彼が轟沈していくのが見えた。

音も無く動いた護衛騎士が倒れる体を支え、二人掛かりで退場していく。

後で側近を辞退する申し出をするのかもしれない。有能ゆえにポンコツのお目付け役として側近を命じられていたけれど、沈む船に乗ったままでいるほど愚かではなかったはずだから。

後で胃薬を届けるようにしておこう。


「レイアの気持ちに応えることができなくて申し訳ないとは思っているが、私の唯一はリリーなんだ」

途端、ばきりとアストレイアの手の中で音がした。

アストレイアの後ろにいる侍女が、何食わぬ顔の主と同じ表情で折れた扇子を交換して元の位置へと下がる。

ほんと、我が家の使用人はレベルが高いわ。

扇子はそのままにアストレイアはポンコツ野郎へと視線を向けた。

「ポンコ、ジェファーソン殿下が私との婚約を破棄したいというお気持ちはわかりました」

あら、いけない。思わず名前を間違えるところだったわ。

殺される前に婚約破棄をしておこうだなんて、迷案を思いついたことからご機嫌で全然気づいていないけど。

「とにもかくにも私では王命を覆す権利はないため、何とも申し上げられません。

急ぎ父に相談させて頂きたいと思います」

「うん、レイアが言えば叔父上もいいよって言ってくれると思うんだ。

私の未来の為に頑張ってね」

どこまでも自分本位な考えに他力本願。これ以上は会話を続ける必要はないと見切りをつける。

席を立ち、教師には幼少から完璧だと絶賛されたカーテシーをした。

部屋を辞そうとして、一度だけジェファーソン殿下を見る。

「殿下、一つだけよろしいでしょうか」

「え、何?」

既に気持ちは未来で出会うバスカル子爵令嬢に向けられているのか、間抜けな返事が返ってきた。

「先程の話が真実ならば、殿下はいつ思い出されたのですか?」

「ああ、昨日だよ」

へにゃりとした能天気な笑顔と一緒に、間の抜けた声が返ってきた。



-* * *-



「兄上が思い出されたのは昨日だったのか」

「はい、ジェファーソン殿下は嘘をつかれる方ではないので間違いないかと」

ジェファーソン殿下とのお茶会を辞してすぐ、アストレイアは同じ王宮内の違う場所で、第二王子であるセオドア殿下と会っていた。

アストレイア達がいるのはセオドア殿下の母である正妃の持つ一室。

王太子妃教育の一部を王妃から学ぶのは長きに渡る慣習であり、顔だけ王妃と揶揄されているジェファーソン殿下の母君である側妃では難しいことから、正妃である彼女のところに通っているのは誰もが知っていること。

そこにセオドア殿下が母親に会いに来るのも自然なこと。

二度目のお茶会は既に正妃が退出しており、声を潜めれば言葉の届かない距離で侍女達が控えている。

ジェファーソン殿下の部屋にいる侍女達とは違って、聞き耳を立てようなどという不埒な者はいない。

いたら速やかに処分されるだけだ。

正妃の管理が行き届いている証拠であると、横目で侍女達へと視線を送ったアストレイアは結構なことだと扇を広げた。


「兄上より私達が先に思い出していて良かった」

そう、セオドア第二王子とアストレイアは、ジェファーソン殿下よりも先に未来を思い出している。

セオドア殿下が時を遡る前のことを思い出したのは一年前だった。

ジェファーソン殿下よりも慎重な彼は、同じように遡る前の記憶を持つ人を探し始め、半年前にアストレイアにも記憶があるのだと気づいた。

そこからはジェファーソン殿下の暴挙を阻止しようと奔走するセオドア殿下に協力している。

王家の外戚であろうと公爵の娘であろうと、一介の令嬢の行動には制限が多い。それに遡る前の未来ではアストレイアの汚名を晴らしたのはセオドア殿下だったことから、ジェファーソン殿下のようには裏切らないだろうと考えたことからだ。

自分の命が一番大切なんですもの。

そのためセオドア殿下に協力するのが手っ取り早いのよね、と扇で隠した唇が僅かに歪む。

「君が私と同じタイミングで思い出していて良かったよ」

「私もセオドア殿下が記憶をお持ちで安心致しました。

あのとき、陥れられた私を助けてくださったのはセオドア殿下だけでしたから」

そう言えば、セオドア殿下が顔を赤くした。


彼がアストレイアに好意を持っているのは知っている。

目を細めて見遣れば、微笑みかけているのだと勘違いしたらしいセオドア殿下が目を逸らしながら口を開く。

「今回のことなのだが、おそらく誰かが時戻りの秘宝を使ったのではないかと考えている」

「時戻りの秘宝。私も耳にしたことだけはありますわ。

確か、何代か前のサージェント侯爵が王家に献上したという魔道具でしたわね」

その通りだ、とセオドア殿下が頷く。

「ただ、魔力値の高い王家であっても、時を巻き戻せる時間は短いと聞いている。

どうやってこれだけの年月を遡ったのか……いや、考えても詮無いことだ。

一体誰が時戻りの秘宝を使ったのかは知らないが、私達には好機だ」

「仰る通りです。

それで、ジェファーソン殿下の真実である、リリー様は見つかったのですか?」

アストレイアの問いに、今度は首を横に振って返す。

「いや、バスカル子爵はよほど奥方が怖かったとみえる。今の時点で誰かと接触している様子は見られない。

平民にしては珍しい金の髪を持つ少女を四人まで絞ったが、リリーと名乗ってはいないのと、兄上の横にいたときに見かけた姿とは似ていない気がして確信できない。

もしかして魔術を使って誤魔化しているのかもしれないと探ってみたが、これだという決定打が見つからなかった」

「それではジェファーソン殿下との出会いを阻止するのは難しいですわね」

諦めたほうが、と口を開こうとしたアストレイアの唇を、繊細な細さながらも青年らしい彼の指が止めた。

「問題無い」

思い詰めた顔をしたセオドア第二王子を見つめる。

「全員始末する」

思わず息を呑む。

「セオドア殿下、それはいけません」

彼の正義感は時々思わぬ方向に暴走する。

兄を愚かだとは思っているが、決して兄弟仲が悪いわけではない。

アストレイアが冤罪に追い込まれる前は、兄を支えるのだと勉学に励んでいたのだから。

「アストレイアが気にすることではない。

これは私が勝手にすることなのだから」

目を伏せたセオドア殿下の前で、自分はどんな顔をしているかしら。

扇で見えぬ顔半分と誰からも見える顔半分。

どちらも同じか、それとも別か。

「どうか、名も無き少女達を憐れむならば、私など捨て置いてくださいませ。

そして今度はリリー様を娶られたジェファーソン殿下をお支えして差し上げてください」

絞り出される声が悲痛なのは、天秤の上で揺れる自分の命があるからこそ。

それをどう取るかは、彼次第だ。



-* * *-



「──以上から、二人の王位継承権を剝奪する」

ここ三ヵ月程でやつれた陛下が、最愛であるはずの息子達に苦渋の決断を下した。

ジェファーソン第一王子は妄想虚言による精神疾患の疑い。

セオドア第二王子は罪無き少女達の殺害。

どちらも世に知れ渡れば王家への権威失墜は免れない。

どちらも取り乱して声高に主張する姿は兄弟だからかよく似ている。

悲しみの形に整えた顔で二人を見つめながら、アストレイアは唇を嚙み締めた。

「そのため次に継承権の高いアストレイアを養女として迎え、立太子させる。

そなた達には一代限りの男爵位を与えるので、兄弟で協力して務め上げるがよい」

どうして、と蒼褪めた顔のセオドア殿下がアストレイアに視線を向けるのに気づき、悲しそうな表情のままに俯く。

「まさかジェファーソン殿下の夢見がちな言葉を真に受け、あのような暴挙に出るなどと……。

わかっていましたら、私もお話を合わせず止めておりました」

実際に窘めている。言っていることに間違いはない。


「幽閉にせず、平民に落とさず、臣籍降下で赦されたのはアストレイアの嘆願ゆえ。

もう会うことは許されないが、離れた地から彼女の温情に感謝するように」

別に温情ではない。が、それを口にすることもない。

わざわざ男爵に身を落させて王都から離れた場所に追いやったのは、いつか自分の娘を殺された家族の復讐に巻き込まれないためだ。

殺された少女達は、誰か一人が本当にリリーだったかもしれないし、全く関係の無い人物だったかもしれない。

どちらにせよ人を殺したのだから、復讐先として残しておくのが適当だと思ったからでしかないのよ。

アストレイアは殺人のとばっちりを受けるつもりはない。

呆然とした二人が騎士達に腕を取られ、半ば引きずるようにして連れていかれるのを見送る。


どうして自分達に選択する権利があると思ったのか。

愚かさと小賢しさ。

アストレイアはどちらの王子も好きではなかった。

己の好きなように振る舞う顔だけの第一王子も、知略に長けていると思い込んでいる第二王子も。

どちらもアストレイアがいなければ、内政一つ取り仕切ることなどできなかったくせに。

ジェファーソン殿下は昨日、セオドア殿下は一年前にそれぞれ記憶を持ったまま時を遡っている。

けれどアストレイアは更に前、幼少の頃からやり直しているのだ。

それも三度目の人生を。

あの二人は互いが時戻しの魔法具を使ったと思っているだろうが、どの時にも使ったのはアストレイアだ。

どう考えたってそれしかないだろうに、信頼からか、それとも侮っていたのかアストレイアに疑いの目を向けることはなかった。


最初はどちらかを王にすることしか考えてなかった。

けれど、一度目にジェファーソン第一王子を王に、二度目にセオドア第二王子を王にしてみてわかったことは、どちらにも適性が無かったこと。

多少難があれども自分が王妃として支えれば治世は保たれるだろうと思ったのだが、結果は惨憺たるもので。


ジェファーソン第一王子は本人が告白したように、運命の出会いによってアストレイアを婚約破棄してくる。

その後の国政は散々なもので、彼らの父親が原因不明なままに衰弱死してジェファーソン第一王子が王となってからは、王家の浪費によって国庫の蓄えは急速に激減する有様。

最終的にどうにかしなければいけないと、セオドア第二王子を焚きつけて殺害にまで至ったのだ。

この時に時戻りの秘宝を発見した。

セオドア第二王子が王となる準備が進められ、彼の婚約者として王家の宝物庫から儀式に必要な物を持ち出すために入ったのが切っ掛けだ。

ご丁寧に使い方まで記載されていたことで、アストレイアは使うことを迷わなかった。

膨大な魔力が必要ならば数の暴力に訴えればいいだけのこと。

魔力は公爵家の財力で人材をかき集め、魔道具と特に相性の良かったサージェント侯爵家の血を引いている者を中心として魔力を捧げてもらう。

こうしてセオドア殿下の即位前には、貯めこまれた魔力によって過去へと巻き戻した。


次は上手くやろうと、早々にジェファーソン殿下の不貞の証拠を集めて、今度はアストレイアから婚約破棄を突きつけた。

ジェファーソン殿下としてはそこそこの地位と、遊ぶお金、それを管理してくれる人がいれば不満は無かったらしく、庶子である子爵令嬢と釣り合うようにと伯爵位を与えられても文句はなかった。

国費を散々に使ったのも、あるだけ使えばいいという致命的な浅慮だけであって、初めから無いとなればそのまま生活できたらしい。

これで安心だと今度はセオドア第二王子と婚約し、アストレイアが好きだったという彼と無事に婚姻を結んだ。

けれど優秀だと評判の第二王子は、その生真面目さと神経質が災いして周囲と対立し始めた。

自身にだけ絶大なる信頼を置くセオドア殿下は己が意見を押し通そうとし、けれど臣下の意見には相手の学業成績が低かったということを理由に否定から入り、兄を陥れたという気持ちからか自分は騙されたくないのだと全てを疑ってかかる。

王となって一年もした頃には、猜疑心に苛まれて偏執症ではないかと思われる言動も増え、自身の派閥に愚痴の一つも言えない状態にまで陥っていた。

アストレイアも関係修復を図るも曖昧なままに言葉を濁らせて歩み寄ろうとせず、最終的には諫めようとするアストレイアに、自分より賢しらに振る舞う姿が腹立たしいと暴力を振るったことから再度時を戻すことを決意した。


三度目の今、アストレイアが出した結論は彼らを廃嫡させるということ。


セオドアあたりは魔道具で時を巻き戻そうと画策するかもしれないが、宝物庫の管理は王と立太子した者だけである。

既に鍵は誰も探せぬ場所に隠した。

万が一アストレイアの部屋に侵入できたとしても探している間に見つかるだろう。

その時は罰を重くして、兄弟仲良く殺された家族の前に突き出すだけだ。


王配も既に決めている。

どちらの王妃となった時でも、王妃補佐として自分を支えてくれた中立派の伯爵家三男だ。ジェファーソン殿下の側近だった彼である。

ジェファーソン第一王子に振り回されていたが、本来まともな上司に恵まれてこそ才能を発揮できるタイプだったのを、見誤った周囲の大人の勘違いが実に罪深い。

唐突なアクシデントに弱いが、能力は申し分ない。

なにより今からは信用できない派閥となった第一王子派と第二王子派ではない、中立派を取り込めるのが一番大きい。

記憶の無い彼は、唐突な申出に目を白黒させて驚くだろう。


彼が覚えてなくとも長い付き合いなのだから、好きも嫌いも熟知している。

熱いお茶は苦手で甘いお菓子が好き。

兄二人が目に見えるタイプの優秀な人物で、家族から出来のさして良くない息子だと思われているのがコンプレックス。

アストレイアが好きな盤上遊戯の優秀な指し手で、人の機微を察するのが早すぎて空回りすることがある。

全部覚えている。そして彼が王妃補佐となったとき、誰とも結婚せずに生涯を私に捧げると言ったことも。

最初に何と言ってみようか。

ジェファーソン殿下ではなく、貴方とお茶会の席に座りたかった?

あの二人よりも優秀な貴方を気に入っているの?

違う違う、彼に誓ってもらうのだ。


「一生を私に捧げて?」


ふわりと軽やかに揺れたスカートの裾は、アストレイアの気持ちを表したかのようだった。

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