第5話 同じ人間なのに④

 「誰に許可取ってここでやってんだよ!」


 視線を向けると、そこにはキャップにダボダボのパーカーとダボダボのズボンを履いてゴールドのネックレスを巻いた、いかにもな十名ほどの集団が肩で風を切っていた。出原さんを囲んでいたお客さんたちを無理矢理押しのけて近づいてくる。


 「ちょーしのってんべ?」

 「さっさと散れや、うっとうしい!」


 輩たちがガニ股でズンズン出原さんに迫る。


 「なんだこのチビ、退け!」


 その中の一人が私の肩を押しのけて、私たちの間に割り込んできた。


 「わ────」


 強面の男の人に怒鳴られたのが怖くて身体が固まっていた私は、それだけで簡単にバランスを崩してしまった。元々運動神経は悪いけれど、突然のことで反応ができない。このままだと地面に激突する────


 「大丈夫!?」


 その時、とっさに出原さんが私の腕を掴んでくれた。ぐい、と引っ張られて彼女の胸に迎えられる。


 「あ、ありがとう……」

 「……のやろォ」


 出原さんは私の頭を胸の中に仕舞い込むように抱きしめながら、輩たちを睨みつけた。


 「許可? はァ? どういう意味?」


 彼女は先ほどの朗らかな雰囲気から一転させ、ナイフのように声の調子を尖らせた。


 「ここ路上でしょ。許可取れって何様? 警察の人? んなわけないよね」


 しかし、彼らは互いの顔を見合わせながらヘラヘラ笑うだけだった。


 「おいおい、何言ってんだ。ここは俺らのクルーが毎晩集まる場所なんだよ」

 「まさか地元で俺らのことを知らねぇ奴がいるとはなァ」


 とことん私たちを見下したような視線を向けてくる。このままの調子で怒りをぶつけても、かわされて、いなされて、バカにされるだけだろう。


 「いや、誰?」

 「……は?」


 しかし出原さんはその“上”を行く、相手を見下しも見上げもしない無関心の視線を向けていた。輩たちは上手に反応できなかったのか、目を点にするだけだった。


 「あー、ごめん。アタシ引っ越してきたばっかなんだよ。有名人だったら申し訳ないけど。でも、ここ公共の場所っしょ? 早い者勝ちってことで、今日は違う場所で集まってくんね?」


 全くの正論をぶつけられた輩の集団は一瞬だけポカンとして、それから額に青筋を浮かべ始めた。


 「なんだ、お前」

 「お前、俺ら『BetTownCrowdベッドタウンクラウド』を舐めてんな?」

 「あーっ!」


 私は思わず叫んで、出原さんの腕を引っ張った。そのクルー名に聞き覚えがあったからだ。


 「ま、まずいよ出原さん! あの人たち、その、有名な人なの!」

 「え、マジ? 知ってんの?」


 ここでいう『クルー』とはヒップホップにおけるアーティスト集団のことだ。そこにはラッパーだけでなく、DJ、グラフィティライター、ダンサーなども含まれる。そして彼ら『BetTownCrowd』は市内を拠点に活動するクルーで、地元でヒップホップが好きな人間はみんな知っている存在だ。

 良い意味でも、悪い意味でも。


 「MCバトルがめちゃくちゃ強い人がリーダーのクルーなんだけど、その、態度が悪いっていうか……気に入らないラッパーを、めちゃくちゃ個人情報が入った曲でディスったり、わざわざ自分たちのホームに呼んでメタクソに恥かかせたり……あんまり関わらない方がいいっていうか……」

 「へー、嫌な奴らなんだ。じゃあ従う理由なんかサラサラ無いな」

 「や、やめてよ……挑発しないで……」


 私は出原さんの腕を引っ張って頼み込む。出原さんは市外から来た人だからBTCのことを知らないかもしれないけれど、本当に、彼らはタチが悪い不良集団なのだ。ここからどんな因縁を付けられるか分かったものじゃない。もしかしたら私にも飛び火するかもしれない。


 「……お前よォ、黙って聞いてりゃ調子こいたこと言いやがってよォ」


 輩たちの中から、眉毛の無い人相の悪い男が、一歩前に出た。彼は出原さんに向かって凄み、彼女の握るマイクをちらりと見た。


 「お前がさっきやってたのは、なんかラップの真似事か? 最近多いんだよな、ブームに乗っかって自分でも出来るって勘違いしちゃうキッズがよ!」


 眉無し男がそう言うと、周りの奴らはタイミングを見計らったように、一斉に「ぎゃははは!」と笑い出した。


 「ストリートも理解してねぇガキが出しゃばってんじゃねぇよ!」

 「ガールズバンドとちげぇんだよ! しゃべェな!」

 「お前が握るのはマイクじゃなくてチンポの方だぜ、お嬢ちゃん!」


 下品な顔に相応しい下劣極まる言葉を吐き、臭い唾を飛ばしながら彼らは爆笑する。


 「さ、最低……っ」


 流石の私も怒りに任せて拳を握ったが、その拳は小さかったし、何より震えていた。怒りが一瞬で自分への落胆へ変わる。

 私が出て行ってどうするんだ。一回りも二回りも違う男たちにコテンパンにされて連れ去られるのがオチだ。それを想像して、断崖の絶壁につま先を向けた時のように足が竦んだ。

 私は、知り合いが罵倒されていて怒っていても行動に起こすことができない臆病者だった。それが何よりも悔しかった。


 「────スピカちゃん」


 拳に出原さんの手のひらが重ねられて、そっと、彼女の背中の影に匿われた。まるで、私を庇うように。


 「出原、さん……」

 「見てて」


 彼女は私にウインクすると、前に進み出た。彼らに真っすぐ向かって行った。その背中に恐怖など微塵も見せず、むしろこれから成し遂げる『何か』にワクワクしているかのような高揚が滲み出ていた。


 「お前らこそ、黙って聞いてりゃ大勢でごちゃごちゃヘラヘラしくさりやがって」

 「……は、はぁ?」


 BTCはたった一人の少女の発するたった一言に口を噤んだ。その声の冷たさに、私は身震いをした。


 「じゃあ、アンタらはラッパーのくせに、マイク持って戦う勇気も無いわけ? 一人に寄ってたかって笑うことしかできないんだ? マジだせぇよ」


 ここは外、車が往来する車道沿いのはずなのに、静かな部屋で聞こえる耳鳴りが鳴った気がした。それほど寒々しい沈黙が私たちを包み込んだ。


 「……やってやるよ」


 眉無し男が怒りを通り越した無表情でそう言い放った。


 「上等だ……! 吐いた唾飲み込むんじゃねぇぞ! おい、マイク寄こせ!」


 は、はい! と舎弟っぽい男が慌ててマイクを彼に渡した。コードを伸ばして、出原さんが使っていたアンプに繋げる。


 「い、出原さん……」


 私は心配になって彼女に近づくも、彼女は振り向いてピースサインを向けてくる。


 「大丈夫だよ。アタシ、こういうの慣れてるから」

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