第4話 ラップやろうよ

 悪名高き『BetTownCrowd』と無名の女子高生ラッパーとのバトルという剣呑な空気を感じ取ったのか、気づけば十数名のギャラリーが私たちを囲んでいた。

 BetTownCrowdのメンバーの一人が司会を務める。


 「ルールは8小節×3ターン。先攻後攻は────」

 「あげるよ」


 出原さんが自分よりも一回りも二回りも大柄な輩に対して自信満々に言い放つ。


 「後攻あげる。好きなこと言えば?」


 私は驚愕した。相手の言葉に対して的確なアンサーを返すことが重要であるMCバトルにおいて、後攻は圧倒的に有利とされている。それをわざわざ譲るなんて、よほどの自信があるのか、あるいは……。


 「ヤロォ……上等だ。後悔すんなよ」

 「しねーよ」


 舐められた態度へ怒りを隠そうともしない眉無しに対して、出原さんは涼しげだった。


 「行くぞ、針しばけ!」


 バトル用の音源が再生され、スピーカーを通して爆音で流れた。

 出原さんと眉無しがマイクを構えた。


 先攻:出原ユウ 後攻:眉無し(BetTownCrowd)

BEAT:知らざあ言って聞かせやSHOW/TOKONA-X

〈馬鹿野郎だらけ 邪魔だもう下がれ

 BetTownCrowdぶち込む墓へ

 揃いも揃って馬鹿面で

 アタシはアタシでカマすだけ

 強そうなのは腕っぷしだけ 

 ラッパーとしちゃあ二流だね

 アタシはもちろん一流で 

 エンコしてやる利き腕〉


 〈ストリートでケンカになったらテメェ

 どうなるか分かってんだろうな 女ァ

 俺らは女だって容赦しねぇ

 攫って袋で朝日は拝めねぇ

 分かるか? これがストリートの掟 

 先に一線超えたのはテメェだぜ

 Weedの味も知らねぇシャバメスが 

 Bitchになってから出直しな〉


 〈Weed Bitchあーだこーだ横文字多すぎ

 ここ日本ラッパー一本

 覚悟が無いから中途半端

 ストリート同類引きニート

 法律違反 馬鹿ばっか 

 HIPHOPの知識が浅はか

 これは持たざる者が勝つ文化

 アンタ余計なモン多すぎポッケの中〉


 〈舐めたことぬかしてんじゃねーぞコラァ!

 おちょくるのも大概にしろよコラァ!

 ストリート知らねぇガキが

 HIPHOPの何を知ってるってんだコラァ!

 喧嘩上等 男の世界

 命の獲り合い 貶し合い

 それがこのカルチャーで俺はギャングスタ

 お前はただのおままごとだ〉


 眉無しが唾を飛ばしながらも、奥歯に食べカスが挟まったような表情のままだった。二ターン目が終わって、明らかに出原さんが場の空気を支配していた。このまま行けば勝てる。私は無意識のうちに拳を強く握っていた。

 ふと、眉無しが音源を再生しているメンバーにアイコンタクトを送ったのが見えた。彼はすかさずスマホを操作した。

 音が止まった。


 「あ……!?」


 私は思わず声を上げた。出原さんはマイクを構えながら身体を強張らせた。

 まだ三ターン目が残っている。まだラップをしなければならないのに、これではリズムキープができない。

 眉無しは「ざまぁみろ」と言わんばかりの勝ち誇った笑みを浮かべていた。


 〈オーケー音が止まったって大丈夫

 ビートはいらない自分との勝負〉


 出原さんは止まらなかった。チキンレースでむしろ崖から飛び降りるが如く、はなからブレーキを踏む気などないように目を爛々と輝かせた。傍から見ても分かるほど脳みそが回転する音が聞こえた。眉無しは口をあんぐり開けたまま固まっていた。

 

 〈自慢できるような前科もない

 だけど鋭利な言葉 韻じゃ負けない

 こんなハプニングだってしてきた経験値

 いつまでもラップできる永遠に

 口開けて棒立ちのくせに舐めるな

 アタシはガールズじゃないFEMALEだ〉

 

 大喝采だった。

 完璧なバースだった。音が止まった状態で、完全無欠の八小節だった。これこそまさにフリースタイル、これこそまさに相手を完膚なきまで刺しに行くラップだった。

 それを聞いてしまったら、観客はもう、歓声を上げ、手を振り上げ、飛び跳ねることしかできなかった。


 「ねぇ」


 バースを蹴り終わった出原さんが顎で眉無しを指し示す。


 「ビート、戻ってるよ」

 「ぇあっ、ああ……」


 眉無しは目を泳がせながらマイクを構え、「Yo,yo……」と吹き込んだ────


 〈そんなの知らねぇ

 お前なんか眼中にねぇ

 音無くなっても上手くやったようだが

 だからなんだ 関係ねぇ


 Ay yo Yo yo

 俺はただ Yo カマすだけ

 取ってつけたような韻 この陰キャ

 お前なんか顔パン一発即KO〉


 眉無しのラストバースでバトルが終わった。

 歓声は上がらなかった。彼の周囲の空気だけが冷ややかだった。

 観客の視線は出原さんに一身に注がれていた。

 もう、結果は明白だった。


 「く、くそぉっ!」


 眉無しはマイクを投げ捨てて踵を返した。


 「えっ!?」

 「ちょっ、マユさん!?」

 「待ってくださいよ!」


 対決を囲んでいたBetTownCrowdの面々を押しのけ、眉無しがその場から逃走した。他のメンバーは「お、覚えてろ!」と捨て台詞を残し、慌てて彼を追いかけて行った。


 「お前らこそ覚えてろよ」


 出原さんがマイクを通して投げかけた一言はあまりに力強く、眉無したちの足を強制的に止めさせた。


 「これから駅前はアタシたちの縄張りだから。もう妙な因縁ふっかけてくんなよー?」

 「は、はぁ!?」


 BetTownCrowdから文句が上がる。


 「縄張りなんて、いつそんな話が出たんだよ!」

 「はいー? 負け犬がキャンキャンほざいてるなー」


 出原さんは耳に手を当てながら半笑いで煽る。BetTownCrowdの面々は歯を食いしばるも、何も口から出てこない。もうすでにラッパーのとしての格が決まってしまっている。彼らが好き放題できていたのは、バトルで勝ったという最大の免罪符があったからだ。


 「そもそもアンタらが縄張りだのなんだのって絡んできたんが最初っしょ?」


 心から見下したように、出原さんはコロコロと笑った。


 「それとも、もう一回やろっかぁ。あと何回恥を塗り重ねれば満足するのかなぁ?」

 「……なんなんだ、お前……」


 眉無しが顔を引き攣らせながら出原さんを見つめる。


 「何者なんだ、てめぇ! いったい今までどこに隠れていやがった!?」


 出原さんは胸を張り、髪を靡かせた。完全勝利の権化と化した彼女の立ち振る舞いは私の心に深く深く刻まれた。私はもう、彼女の一挙手一投足から目を離せなくなった。


 「アタシはMCアル。そんじょそこらのヤツと毛並みが違うから、よく覚えておきな」


 MC或────その名前に、私は聞き覚えがあった。

 たしかそのラッパーは、去年のMCバトル甲子園でHypeRRRと決勝を戦い、ベストバウトを残した人物だ。

 高い身長、長い手足、異常なほどの押韻へのこだわり、ハマった時の爆発力────たしかに、髪色以外は何度もBlu-rayで見たあのMC或だ。なんで気づかなかったんだろう。


 「ちくしょう、こんなガキに……!」


 眉無したちは今度こそ、悔しそうに歯噛みしながら逃げて行った。


 「か、勝った……」


 私がぽつりと呟いた。他の観客に次々と「ああ、勝った……」「『BetTownCrowd』に勝ったぞ」「すげぇ……!」と興奮が波及していった。


 「あの女の子なにもんだ!?」

 「イカしてた、かっこいい!」

 「ちょっ、急に騒がないでよ、もー」


 三百六十度から称賛され、出原さんは照れたように頭を掻いた。私は彼女を茫然と見つめていた。


 「すごいなぁ……いいなぁ……」


 その時、出原さんが振り返り、私へ近づいてくる。聞こえた!? と私は急いで口を塞いだ。別に聞こえても構わない言葉だったことに遅れて気づいた。


 「ね、留座さん。大丈夫だったっしょ?」

 「う、うん……私の杞憂だった……」


 私が頷くと、でしょー、と出原さんはニマニマと笑顔を浮かべてクネクネするだけで、その後は何も言ってくれなかった。私は慌てて会話を続けよう、と脳を回転させた。


 「と、ところで、さっき『アタシたちの縄張り』って言ってたけど、もしかして他にお仲間がいたりするの……?」

 「え? 何言ってんの?」


 頑張ってひねり出した話題なのに、出原さんにきょとんとされてしまった。


 「キミとアタシだよ」


 今度は私がきょとんとする番だった。私の中の時間が止まった。


 「……ええ?」

 「いやー、留座さんを誘おうとした時にアイツらに絡まれたからさぁ。タイミング悪いよな、ほんと。と、いうわけで、ラップやろうよ」

 「な、なんで私……私、やらないって……」

 「いや、やるべきだ」


 目を右往左往させながら断る私に対して、出原さんは微動だにせず、まっすぐ私を見つめながら断言した。私は開いた口が塞がらず、続く言葉が零れ落ちた。


 「ラップはね、言いたくても言えないことを叫ぶためにあるものなんだ」


 出原さんは一歩前に進み、私の胸にトンと指を突きつけた。


 「キミの中には言いたくて言いたくてどうしようもないものが渦巻いてる。それをキミは押し殺してる。ずっと苦しそうな顔をしてる理由はそれでしょ」


 覗き込むように見つめてくる出原さんの瞳には、私の顔が映り込んでいた。まるで檻の中に囚われているような表情だった。


 「違う?」

 「ち、違っ」


 反射的な拒絶で、私は出原さんを押しのけようとして、できなくて、自分から後退した。


 「そ、そんな知ったようなこと、言われても、こ、困る」

 「…………」

 「踏み込まないでよ……私の何を知ってるの……」


 それでも私は言葉だけでも抵抗した。なぜそうしたかは分からない。ただ、私がラップなんて大層なことをする姿が、なぜか猛烈に恥ずかしく、惨めなものになると確信していた。


 「そうかも、不躾だったかな」


 出原さんは静かに肯定した。


 「でも、アタシはキミみたいな人をよく知ってる」

 「え……」

 「言いたいことは言うべきだ。自分を裏切るべきじゃない」


 私は彼女の目をもう見れなくなっていた。


 「たとえ今ある平穏を壊したとしても、自分を押し殺したそれに価値は無いから」

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