第一章 同じ人間なのに

第2話 出原ユウ

 始業前の教室にて。私たちはど真ん中にある席を囲んでスマホを覗き込んでいた。


 『〈取り巻きがいねぇと何も出来ねぇ赤ちゃんラッパー

  そんな奴ぶちのめしてやるクソマザファッカー

  このHIBIKIに裸一貫で挑めねぇような奴が

  ステージに上がる資格もねぇよクソボケがッ!〉』


 髪を染めたアイドルみたいに容姿端麗で細身の男性がキメたところで動画は終わった。スマホの周りで「おおー」と感嘆の声が漏れた。


 「マリの彼氏すごーい! かっこいい!」

 「まぁねー」


 ポニーテールのツバサちゃんがはしゃぐと、席に深く座ったマリちゃんが自慢げに鼻を膨らませた。


 「あたしの彼氏、『MCバトル甲子園』出身の若手の中で今一番強いから。今の高校生日本一のHypeRRRハイパーとかもう瞬殺だからね」


 そして胸を張りながら椅子に深く座り直す。その姿を見てメミちゃんが「えー、あのHypeRRRに勝てるかなぁ」と言ったので、慌てて私は「最近すごい流行ってるよね、MCバトル」と被せた。マリちゃんの尖った目つきが柔らかくなったのを盗み見て隠れて胸を撫で下ろす。


 「最近っていうか、ずっと? 甲子園始まってからめっちゃブーム」


 マリちゃんの言う通りだ。五年前に始まった高校生でMCバトルの日本一を決める『MCバトル甲子園』────それによって、世間ではMCバトルが大ブームになっていた。

 その中でも去年、今年と二年連続で制覇している現役女子高生の『HypeRRR』。彼女が日本の高校生の中で最もバトルが強いラッパーと言われている。

 ────でも、私が好きなのは……MC或だ。準優勝で終わっちゃったけど、誰から見ても即興って分かるラップで、すごい数の韻を踏んで……かっこよかったなぁ。今年はなんで出なかったんだろう。

 去年、ブームになっていたこともあって、流行りに追いつきたい気持ちで甲子園のライブ配信を見ていたことを思い出した。

 等と考え事をしていると、マリちゃんが私たちに「今度彼氏のライブあるから見に来てくんねー?」と誘っているところだった。ツバサちゃんが「えっ、お金あっかなぁ」と頭を抱えた。


 「ねぇ、スピカは?」


 そうマリちゃんに訊かれ、私は一瞬だけ肩が跳ねた。心臓が嫌な跳ね方をした。


 「ど、どうだろう。お母さんに聞いてみなきゃ……ごめんね」

 「は? なんで? せっかく誘ってあげてんのに」


 マリちゃんの眉間に皺が寄った。眉毛を整えているから動きがより際立っていた。


 「最近あんた付き合い悪いんだけど。どういうこと?」

 「ご、ごめん。最近、塾に通い始めちゃって……水曜なら大丈夫なんだけど……」

 「はぁ? どこの」

 「駅前の河合塾……」

 「……ふぅーん」


 唇を尖らせると、マリちゃんはそのまま黙ってしまった。気まずい沈黙が訪れ────かけたところで始業のチャイムが鳴った。これ幸いにと私はそそくさと席へ戻った。


 「はぁー……」


 椅子の上で深く息を吐いて縮こまっていると、担任の先生が入ってきた。すると教室中がどよめいた。先生の後ろに髪を綺麗なピンク色に染めた女の子が付いてきていたからだ。

 私は口をぽかんと開けた。めちゃくちゃ可愛い。


 「突然ですが、このクラスに転校生が来ます。はい、自己紹介して」


 ピンク髪の彼女はチョークを手に取って黒板に名前を書き始めた。手足が長くて背も高いから黒板の上から下まで大きく使えるようだった。手首と指が細くて長くて白くて、そんな手から丁寧な文字が生み出されるのを私は呆気に取られながら見つめていた。

 書き終わった彼女は教卓に手を突いて私たちへ向かい合った。


 「出原いではらユウです。大阪から来ました。転勤族だったので方言は話せません。こんな中途半端な時期に来たのを不思議に思うかもしれませんが、これからよろしくお願いします」


 淀みなく言い終えるとぺこりと頭を下げた。クラスメートたちは「おぉ……」と出原さんの独特な雰囲気────同い年とは思えないくらいの大人びた落ち着いた空気とそれに反するパンクなピンク髪、そして正面を向いた時の猫のような目つきの鋭さに呑まれていた。パラパラと拍手がまばらに沸き上がり、出原さんは先生に指定された窓側最後尾の角席に座った。

 出原さんの登場によって浮足立った空気は朝礼が終わっても収まらず、クラスメートたちは次々と彼女の席の周りに集まり始めた。


 「あたしは高尾マリ。よろしく」


 そんなクラスメートたちをモーゼみたいにかき分け、あるいは道を譲られ、マリちゃんが私たち三人を引き連れて一番に出原さんへと話しかけた。


 「あ、うん。どうも」


 出原さんは会釈して口を閉ざした。


 「…………」

 「…………はぁ? それだけ?」

 「え? あ、ごめん。なんかあった?」


 今まで気を遣われない態度を取られたことのなかったであろうマリちゃんは、形の良い眉をピクピクさせながら口を開いた。出原さんは、マリちゃんの後ろにいる私たちへ視線を向けてきた。


 「どうも。出原ユウです。キミたちは?」


 私たちは互いを見合わせて、「樫井メミでーす」「赤川ツバサ」「……留座とめざです」と自己紹介した。ちなみに私は最後の留座だ。出原さんは「ふーん」と、さして興味も無さそうに頷いた。


 「よろしくね。で、何か訊きたいの?」

 「よ、用っていうか……この時期に転校してくるなんて珍しいじゃん? 友達になった記念にさぁ、遊ぶ場所とか案内してあげよっか? 大阪から来たってことは、あんまりここら辺のこと分からないんじゃない?」


 出原さんに話しかけた目的をマリちゃんが答える。今は高校二年生の九月だ。来月には文化祭を控え、夏休みの余韻もあって学校にはまだまだ浮ついた空気が残っている。

 マリちゃんの提案に出原さんは首を緩く横に振った。


 「んー、要らないかなー。やりたいことあんだよね」


 出原さんはぴしゃりと断り、「ごめんねー」と席を立った。ハンカチを取り出しているあたり、お手洗いに行くつもりのようだ。ぽかんとするマリちゃんを横目に「あと」と出原さんは立ち止まった。


 「ちょっと言い方とか振る舞いとか見直した方がいいんじゃない? そうやって友達失くした人、知ってるから」


 そう言い残して教室を出て行った。私たちが隣の教室で騒いでいるのを、どこかで聞いていたのかもしれない。私は二つの理由で冷や汗をかいた。ちらりとマリちゃんを伺った。


 「……は? なに、あの態度。調子乗ってね?」


 出原さんの席をじっと見下ろしながらマリちゃんが言う。口調の端々から苛立ちと不満が滲み出ている。不機嫌が伝播して教室の中の居心地が悪くなる。「いいよ、もう行こ」とマリちゃんは私たちを引き連れて自分の席に戻った。


 「なに、あのピンク髪。アイドルでもないのにあんな風に髪の毛染めて、似合ってると思ってんの? だせぇな」


 どかりと椅子に座ったマリちゃんは髪をかき上げながら足を組む。自分もベージュ系の色に染めているのに、と思ったけれど、ここで下手なことを言ったらさらに不機嫌になる。言葉を考えなくてはならない。


 「そ、そうだよねぇ。てか校則的に良いわけぇ? あれが許されるなら、なんでうちらが注意されてんだって話じゃん」


 すぐさまメミちゃんがマリちゃんに同調する。マリちゃんは「だよね、納得いかないんですけど」と少し声が大きくなった。


 「校則には書いてないね。うちの高校、緩いし。マリちゃんも染めてるじゃん」


 ツバサちゃんが生徒手帳を見つめながら言うと、マリちゃんは「……へぇ」と低い声で呟いて肩を竦めた。ちなみにマリちゃんとメミちゃんは髪を染めているけれど、注意されるのは夜遅くまで出歩いて補導されるからだ。


 「校則に違反してようとそうでなかろうと、どーでもいいわ。似合ってなくない? 単純に。ふつーに黒とかの方がいいっつーか。ね、そう思わない────スピカ?」


 ニヤニヤと含みのある嫌味な笑みを浮かべたマリちゃんが私を見つめた。

 ……あ。また名前、呼ばれちゃった。

 頭蓋骨に黒い靄が広がって、そこから放たれた細かい無数の針が脳にあるネガティブのツボを刺激して、身体いっぱいに嫌で苦しくて身体が怠くなる感情が広がっていった。


 「……ね。私もそー思う。あはは」


 私はその感情を無理矢理飲み下して後頭部を掻いた。


 「ねぇ、なんでさっき自分の名前言わなかったん? 普通に不自然じゃね? 自分だけさぁ。あたしら友達じゃん」

 「いやー、流れ、かな。リズム? あは」

 「なんで? あたしは『素敵な』名前だと思うけどなァ。ねぇ?」


 あー、もう。含みのある言い方だ。嫌になるほど学んだ。こういう時は言葉通り受け取ってはいけない。今のマリちゃんの言った『素敵な』は逆の意味だ。出原さんが思い通りいかなかったから私に八つ当たりしているんだ。


 「そう? ありがとう。じゃあ次はちゃんと出原さんに言うね」


 私は口角を引き上げた。表情筋がつりそうだった。マリちゃんは「いや、もーいいわ」と首を横に振った。


 「あいつ、あたしたちのこと嫌いみたいだし。関わらないであげよ」

 「そっかー。あ、ごめん。私、トイレ」


 私はその場に留まれなくなってハンカチも持たずにお手洗いへ向かう。すると、ちょうどそこから戻って教室に入ろうとしている出原さんと目が合った。


 「…………」


 ぺこり、と出原さんは会釈をしてくれた。私はなんだか恥ずかしくなって目を逸らした。教室の中ではマリちゃんたちが「理不尽じゃね? あたしら、ただの親切じゃん」とまだ文句を垂れていた。

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