韻・踏・女・王
みやじ
BATTLE GRAND PRIX
第1話 私のHIPHOP
その日まで私は、想像すらいなかった。
勉強もできない。運動もできない。友達もいない。自分のことなんて大嫌い。このまま私は何も成し遂げられず、何も遺せず、ただ生きて死んでいくんだ────そう諦めた人生が劇的に変わるだなんて。
「
袖から一歩踏み出す。ステージに向かって歩みを進める。目が眩むほどのライトと耳が割れるほどの歓声が私を出迎える。三万人の観客が私を見ている。
しかし私の視界には全く入らなかった。私にはもう、一人しか目に入らなかった。
「続いて二人目────MC
反対側の袖からやってくる。ピンク色の髪が眩い照明に照らされ黄金に輝き、彼女の進みに合わせて靡く。強い意思を持った瞳が私を捉え、真正面に彼女は立った。
彼女も、私しか見ていない。
「ここまで来れたね、スピカ」
「ずっと待ってた、ユウ」
ユウは不敵に笑った。その笑みは初めて会った時から、初めてラップを魅せてくれた時から、初めて言葉を交わした時から何も変わっていない。
先攻後攻を決めるじゃんけんが始まる。ユウは不意に口を開いた。
「アタシ、グー出す」
「えっ」
ユウはいたずらっぽく舌を出した。
「約束したっしょ?」
「……うん」
彼女はグー。私はパー。選択権は私にある。
「後攻で」
そう告げると、司会者が頷いた。
「決勝戦! 先攻MC或! 後攻乙p1cα! 8小節×4ターン! Ready────」
ずっと、ずっとユウを追いかけてきた。
やっと、やっとユウの前に立てた。
あとは、もう────
利き手で握りしめ、
唇に近づけ、
深く息を吸い込み、
私の全部を注ぎ込んだ────
このマイクで、MC或を叩きのめすだけだ。
先攻:MC或 後攻:乙p1cα
BEAT:LOYALTY/ICE BAHN
〈ついにやってきたな ここまで
目標にしてきたアタシはここだぜ
だけど目標のままなら そこまで
アンタを倒してアタシが底上げ
油断は無い 過信は無い
芯が固い 乙p1cα儚い
全力でやってアタシが勝つ
アタシの勝利で朝日が差す〉
〈このカードを見た瞬間に思ったよ
決勝戦 勝つのは私しかいないって
ここまでの全てが必然で運命
全部私の手のひらの上
憧れなんてのはもうとっくに捨ててきた
目標なんてのはもうとっくに超えてきた
今夜は極夜 朝日は差さない
乙p1cα 夜咲く一番星〉
〈一番星? ホントかなぁ
だけどさアタシはひっきりなし
にラップしてきた毎分毎秒
今夜ラップスタァ誕生
そしてアンタにしてやる合掌
恰好付けずにやってみたら?
どうせアンタがされるよ圧倒
Yo アタシが圧勝 Yo〉
〈作られたスタァに興味はない
私はおとめ座α この身このままがスター
六千人のうちの一位じゃなくて
八十億人のうちの一位だから
フィメールのクイーンじゃこの器は満たされない
オンリーワンでナンバーワンで
King of KingsでPlayers' Player
ここが爆心地だからクレーター〉
〈クレーター 口が悪いなもしかしてグレた?
自分の話ばっかりなまるでグレタ
気が触れた みたいにラップしてるアタシに
勝てるなんてよ 思い上がるなド素人が
道行くトーシロ よく聞きなアタシは神の申し子
いや女神の申し子 お前は死んでもう死後
押韻を しないなら もういいよ
アタシに勝てませんって書いとくよポートフォリオ〉
〈お生憎様
私が勝利の女神様ぁー!
全部手のひらの上ってこういうこと
言うと思ったよ勝利の女神ってn番煎じ
誰の元にも現れる尻軽女に下心丸出し
そんなんじゃあんたは惑える子羊
示してあげる あんたに方位磁針
私が勝つってこの自信〉
〈は? どの自信? 逆にアタシが包囲しに
小粋なマネしてるがアンタにない創意工夫
もう一服 してるような面にご立腹
アタシはお客の鼓膜に憑り付く
ノーリスクな勝利なんか望んでない
肉を切らせて骨を断つラップバトルは高リスク
フリスクぶち込んでやるアンタの口はドブだ
アンタに譲らないアタシの玉座〉
〈譲らなくて結構です
全部力づくで手に入れます
ドブみたいな口でも吐き出す言葉は
宝石になるこのゴールデンマイク
カスでもクズでも塵でもマイクを
握れば一番になれるのが
私のHIPHOP きっと
名は体を表す一等星〉
「終ぅーーーー了ぉーーーーーーーーッ!」
今までで一番の歓声が私たちを包み込む。しかし、もう耳には何も入らない。心臓の音と荒い呼吸の音が身体の中をぐるぐる巡っている。
それでも、だからこそ、ここには私とユウしかいないみたいで────
それが何よりも幸福だった。
「それでは、ジャッジに入ります! 第1回BATTLE GRAND PRIXのキング、いやクイーンが決まります! Let's judge────」
そこからはあまり覚えていない。ただ分かるのは、ぼうっと滲んだ視界いっぱいにユウちゃんの姿が映って、強く抱きしめられて、マイクが手から零れたことだけだった。
「スピカっ! アタシ、信じてた……!」
「ユウ……」
「絶対、アタシのところに帰ってきてくれるって……っ! だから、だから……!」
自覚した。これで、やっと、やっと──── 私の想いを、伝えられる時が来た。
劣っていても、持たざる者でも、誰だって人生を逆転できる。
この、マイク一本で。
それが────ラッパー。
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