第2話 才能の片鱗

訪問を始めてから3回目のことだった。その日も、彼は部屋に閉じこもり、私との会話はあいかわらず一方通行のようだった。少しでもリラックスできるようにと思い、リビングで軽く鼻歌を口ずさんでいると、ふいにドアの向こうから「それ、知ってる曲だ」という小さな声が聞こえた。


驚いて振り返ると、彼が少しだけドアを開け、顔を覗かせていた。「これ、好きなの?」と聞くと、彼は恥ずかしそうに頷き、続けてその曲を口ずさみ始めた。その瞬間、私は思わず息を呑んだ。彼の歌声は驚くほど澄んでいて、音程も正確だった。まるで曲を何度も練習したような完成度だが、彼は「テレビで聴いたことがあるだけ」と言った。


「すごいね!聴いただけでそんなに歌えるなんて、本当に驚いたよ」と素直に伝えると、彼は照れたようにうつむきながら小さく笑った。私が彼の笑顔を見たのは、それが初めてだった。


その出来事がきっかけで、彼の興味に触れるために音楽の話題を持ち込むようにした。次の訪問では、簡単な音楽クイズを用意して、「この曲、知ってる?」と尋ねると、彼は真剣な表情で耳を傾け、「これ、聞いたことある」と小さな声で答えてくれた。クイズの途中、自然に彼がまた歌い始めたとき、私は確信した――この子には、音楽の才能がある。


その日、彼が部屋からリビングに顔を出してくれたのも、大きな進歩だった。音楽という共通の話題を通じて、少しずつ心を開いてくれているように感じた。彼が自分の声を楽しそうに響かせる姿を見て、私も自然と笑みがこぼれた。


彼の歌声には、不思議な力があると感じた。それは彼自身の内側から湧き出るような、純粋で透き通った音色だった。私は「これが彼の個性であり、彼を輝かせるものなのかもしれない」と思った。


その才能をどう伸ばせばよいのか、何が彼にとって最善の道なのかはわからない。でも、彼が自分の得意なことに気づき、少しでも自信を持てるきっかけを掴めるよう、そっと背中を押してあげたい。そんな思いが私の中に芽生えた。


音楽という扉を開いた彼の未来に、どんな可能性が広がっているのだろう。私はその光景を想像しながら、彼との次の訪問が待ち遠しく感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る