第9話「卯月二十八日」

***


卯月の二十八日。

河川敷近くで焚き火をおこし、月夜の下で身体を休めていた。


相変わらず夜になると髪の毛が白銀に光ってしまう。


それをひと房、彼は手にとって切なそうに目を細めた。


「こんなにキレイな髪を隠さなくてはいけないなんて」


彼の方がずっとショックを受けており、惜しんでくれるので、不謹慎にもこの髪に価値があると思えて幸せだった。


「そう言ってもらえるとうれしいです」


(緋月さんは不満かもしれないけど)


何もない私に一つ、彼にとっての”好ましい私”を知ることが出来た。


これは前の私にはなかったもので、”新しい私”を彼が見ていることに喜びが湧きあがった。


「どうか大事に。他の人にはあまり見せないようにしてくださいね」

「それは……どうして?」

「……妬けてしまいますから」


そんな風に言うのはズルいと思った。

もう彼との別れは目前、約束の一か月だ。


それを思うと心が痛くて泣きそうになるので、ふいっと目を反らして空を見上げた。



「今日の月もキレイですね」


気持ちを隠すのが難しい美しい月の夜。


草原にはシロツメクサがたくさん咲いているが、暗さでほとんど見えない。


桜の木に背を預けて空を見れば、もう間もなく満ちようとする月が浮かんでいた。


(あれ?)


「時羽様?」


「――ううん。なんでも……」


何かがおかしい。

ほとんど満たされた月はこんな色だっただろうか。


(私が知っているのは青い月。いつ、それを見た?)


彼と出会った日とはまた異なる青色の月はどこに行ったのだろう。

今、空に浮かぶのは明日にも満月になるであろう赤みがかった月だ。


「時羽様は月がお好きですね」


緋月の声にハッとして視線を前に戻す。

焚き火に手をかざしながら緋月がほのかに微笑んでいた。


やさしい温度に頬がゆるみ、私はおだやかに笑って光る髪を耳にかける。


「はい。以前の私も月が好きでした。でもなんだか違和感があって……」

「違和感?」

「満月は月末と思ってました。明日がそうなんですね」


――月末が満月だったような気がしたが、そう思う理由がわからない。

彼が目を丸くしているので、気恥ずかしくなって私は口角をあげて誤魔化した。



(やだ……、こんなのウジウジしてるみたい)


一か月を目前にして、一日でも長くしたいという気持ちを隠しきれずにいる。

どうせなら明日ではなく、月の終わりを満月にして。

満月にはじまり、満月で終わるように、どうかキレイなままで……。


動揺から話題を変えようと無理くり笑顔を作った。



「他にも好きなものがあるんですよ? 花も、甘味も。今だとアンティーク細工が素敵だなと思ってます」


そう言って袴にくくる懐中時計を彼に見せた。


「この懐中時計も気に入っていて。どうしたらあんなものが作れるのか……」


あまりにもペラペラと話しすぎたと、慌ただしく彼に目を向ける。


「ごめんなさい。私ばかり喋って」


「楽しいですよ。時羽様の世界が広がることは嬉しいことですから」


この人は私を喜ばせる達人だ。

私の幸せを彼と分かち合いたくて、ゆらゆらする焚火を映す彼の瞳を見つめた。


「緋月さんはガラスのような瞳ですね」


「ガラスですか?」


その問いに私は頬を熱くしてうなずいた。


「最初に出会ったときはキレイな青だなと思って。今も……」


彼の瞳は特別なものかもしれない。

青いと思っていたのに今は赤と呼ぶ方が近い色をしている。


移り変わる色、よく考えてみれば彼が人であるという前提がおかしかったのかもしれない。


私はずいぶんと長くあの暗闇にいたはずだ。

その私の前に年若い彼がいるのは不自然なこと。


ポツポツと欠片で埋まっていく記憶では、今見る世界とはまるで文明が異なる。


いくら異国の文化が入ってきたところで、ここまで革命的な変化を起こすとは思えなかった。


「どうか、時羽様はそのままで」

「緋月さん?」


彼は首を横に振ってそのまま月を眺めた。

約束の一か月は目前、日に日に彼は気難しい顔をすることが増えた。


もうすぐ月は満ちる。

今日の月はいつも以上に大きくて、落ちてくるのではと認識が狂うほどに月の影がよく見えた。



「この街に時羽様と遠い血縁者がいます」


彼の呟きに私はハッと顔をあげる。


「すみません。約束より一日早いですが、明日で――」


それ以上は聞きたくないと、その一心が私を突き動かす。


彼の頬に手を伸ばし、私は彼の唇に人差し指を当てた。

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