第8話「一か月後はどうなるの?」

旅をはじめ、新月の日が過ぎ去って。

今は木漏れ日の差し込む桜並木の道。


ひらり、と薄い花びらが眼前に落ちていく。


花びらが敷き詰められた地面と、空から陽の光を浴びてチラチラ輝く姿に胸が高鳴った。


浮かれる気持ちのまま走り出す。


「時羽様……?」


光に目を細め、さらさらとした流水音に視線を移す。

花びらが川にまで飛んでいき、河川敷にはシロツメクサが咲いていた。


ここは私の好きなものに満たされている。


街で食べたチョコレートも甘かったが、ドキドキする心は同じかそれ以上に音を鳴らしていた。


風が吹き抜けて目で追えば、その先に組紐でくくった髪をなびかせる彼がいる。


彼はどこにいてもキレイな人だと目が離せなくなり、乱れる藍の髪を手で押さえた。


「――」


彼は何かを呟いたあと、口元を隠して目を反らす。

風が桜を揺らした音にまぎれ、彼の言葉は私に届かなかった。


「あの……なんて……?」

「……いえ。気にしないでください」


そう言われるとなおさら気になる、と頬を膨らませていると彼が近づいてきて、私の乱れた髪に触れる。


髪を耳にかけられると触れた箇所が熱くなり、心臓がさわがしくて彼の目を見れなかった。


日を増すごとに私は彼に惹かれていく。

まるでそれが当たり前と言うように、彼のちょっとした癖を見つけるたびに頬がゆるむ。


彼からはやさしさだけでなく、時折熱っぽさを感じることもある。


そのたびに私は参ってしまうほど胸が締め付けられた。


「少し、時羽様についてお話してもいいですか?」


彼は私のもとまで歩み寄ると、小さな私の手をとって戸惑いがちに私を見下ろす。


改まって言われるとうなずくスピードも遅くなり、緊張に身が強張った。



手を引かれて桜並木から河川敷におりて、木の影に座りこむ。

隣に並んで座ると距離の近さに頬が熱くなる。


きっと前の私は彼を見つめていた。

今も昔も、一番気になるのは彼の心。


夢中になる想いを振り払い、懐中時計の針の音で心を落ちつけようとした。



「時羽様は、あやかしとなったのでしょう。ハッキリと言えずにいて申し訳ございませんでした」

「私は元々あやかしでしたか?」


その問いに彼は首を横に振り、私の手のそっと触れる。


心細そうな顔をしており、私はいたたまれなくなって前のめりに彼の手を握り返す。


「私があやかしにならなければ、緋月さんに会えませんでした?」


彼との距離を知りたくて、線を引いては越えてみる。


だけど一番聞きたいことは聞けなくて。

ズルい私は一番言いたいことを口にしない。


「俺はそれを望んでいたんです。……っすみません」


途切れた息、花びらが空に舞う。

藍色が空になびいて、落ちれば芝生に広がった。


彼の顔は私の横にあり、手は背中に回されている。

埋もれた手を彼の背にまわし、私は目を閉じて桜の香りをめいっぱい吸い込んだ。


「私はあやかしでよかったと思います」

「時羽様……?」

「何も覚えていないけど、きっと”私”は緋月さんに会えて喜んでますから」


私と以前の私、どっちつかずな気持ちを口にする。


同じ気持ちのはずなのに、私は彼から言葉が聞きたくて探っていた。


「ありがとうございますっ……!」


背中に回した手を引き抜いて、彼は身体を起こす。

青い瞳があの日の月のようで、そこに映る私の顔がハッキリと見えたような気がした。


***


卯月の下旬、群青色に溶け込みそうな空に半分の月が浮かぶ。


懐中時計を眼前にぶらつかせ、針が進むのを眺めてみる。


ようやく空っぽだった自分に慣れてきて、ぼんやりとだが記憶が戻ることもあった。


とはいえ決定的な記憶は戻らず、貝殻の片面だけがバラバラと増えていくだけだった。


「以前の私って、緋月さんにはどう見えていましたか?」


目的地らしいお屋敷を目指して、川沿いの砂利道を歩く。

記憶を繋いでいけば私が彼を特別に想っていたことは明白だ。


私の問いに彼はフッとおだやかに微笑み、夜空の月を見上げた。


「好奇心旺盛で、やさしくて……自己犠牲の塊みたいな人でした」


それは矛盾している発言に思えた。


やさしさで自己犠牲になりがちだったとしたら、私はきっと消極的な人だった。


好奇心旺盛だったと語ってもらえるのは、私の知らない”私”の仮面か、それとも単に無邪気だったのか。


「もう誰も時羽様を傷つけませんから」

「それって……」

「時羽様はこの時代で、平穏に暮らしてください。俺の望みはそれだけです」

「……イヤ」



――ざわざわ。


不穏な風が吹き、私の消え入りそうな声をかき消した。


最初は薄紅色の花びらが多かったが、今は葉桜になって落ちた花びらは茶色く染まっている。


「時羽様?」

「ううん、なんでもないです」


”一か月”が経ったとき、私はどこにいるの?

彼は私の前からいなくなり、それで私は笑っていられるの?


(私は緋月さんをどう想ってた? 今の私は”私”と何が違うの?)


彼への想いを自覚しつつ、私は答えを出すことに怯えてしまう。


以前の私の考えていたことを知りたくなるが、その領域に踏み込むことは彼が許してくれない。


言葉にならない拒絶が私の声を奪った。

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