第4話「一か月の約束」

ひゅっと息をのんで、すぐに私に直接声が届く。

身体中の熱が顔に凝縮されたかと思うくらい、その響きに震えた。


「……姫」


だからこそ、間を開けて”姫”がついてしまったことにガクッとうなだれた。


ドキドキしたのに恥じらう顔だけ見られたと、ぷくっと膨らみそうな頬を両手で隠す。


「どうして姫をつけるんですか?」


「恥ずかしいんです。……ですが、頑張ってみます」


「はい。そうしてくださると私、うれしいみたいです」


目を覚ます前の自分は、まっさらなほどに空白だ。


記憶はなくても感情は残っているようで、”時羽”と呼ばれると切実な想いが満たされる気がした。


おそらく、私は彼を好意的に思っていた。


それがどういう好ましさかはわからないが、名前を呼ばれたいと願うくらいには関係を縮めたいと考えていただろう。


「緋月さん。何から何までありがとうございます。……一人ではあの場所は怖かったと思うので」


あの洞穴の暗さは思い出すだけで身震いしてしまう。

もう戻りたくないと思ったからこそ、彼が手を差し伸べてくれたことに安堵した。


青い月を背に、私の心はやさしい温度を求めて焦がれていた。



「一か月」


彼が一言、口の動きを明確にして私の目を見据えた。


「一か月だけ俺と一緒にいてくれませんか?」


(一か月?)


「その……わからないことも多いと思うので、旅がてらに色々話せたらと」


「旅をするの?」


「はい。……時羽、様が慣れるまで。生活のことや人との関わり。わからないことも多いと思いますので」


それは願ってもない申し出だ。

山から里に下りる、これだけの行動で私にはわからないことが多かった。


彼が持っていたランプは私にはずいぶんと画期的なものに見える。


着物も私が知るものとはずいぶん着方が違う。

動きやすいように、と老婆は”袴”というものも用意してくれていた。


簡単に着方も教えてもらったが、巫女の格好に似ていると思った。


それくらい、私の知ってる感覚と異なる点がある。

だから一人で外に放り出されてしまえば生きていけないとも感じていた。


期間を限定されると、心にぽっかりと穴が空いたかのようだ。


「どうして一か月なんですか?」


声の震えが情けない。

きっと今、私は寄る辺ない顔をして彼を見つめている。


一か月後は?

そのとき私の隣に彼はいないのか?


本当は心細いと言いたいのに、それを言うのははばかられた。


「すみません。俺の都合なんです。一か月しか、時羽様といられないのです」

「……そう、ですか」


胸がツキンと痛む。


彼にその気はないだろうが、私はさみしさでいっぱいになりながらその気持ちを引っ込める。


たった数刻しか一緒に過ごしていないのに、私の心は彼でいっぱいになっていた。


以前の私は彼に依存する関係だったのか。


もしそうならば彼にとって重たい存在でも仕方ない。

どうして私の前に現れたのか、どういう気持ちで世話を焼いてくれるのか。


一か月と決めて離れなくてはならない事情は何?


聞きたくてたまらないのに、彼の目はそれを拒絶していた。


(いつか……聞けるかな? 今は嫌かもしれないけど、距離が近くなればもっと彼のこと……)


知りたい、と未来を待ち望んでいることに恥じらいを覚えた。



それから一晩、老夫婦の世話になって身体を休めることとなる。


どうして親切にしてくれるかを老婆に尋ねると、彼に助けてもらったことがあると感謝を口にした。


今は恩返しの時だと、老婆はそれ以上なにも語らず、ゆっくりと休むよう促した。


襖で部屋を仕切り、私は障子窓を開けて空を見る。

満月には近いけれど、ほんの少し欠けている。


「十六夜……」


これからどんどん欠けていき、半分になって新月に向かう。


そしてまた光で満たしていき、夜空を見上げる人の視線を奪っていく。

昨夜は青い月、落ちてきそうだと思うほどに誘惑的だった。


(青色。緋月さんの瞳と同じ)


今晩は何の変哲もない淡い黄色をしていた。


(キレイね。なんだか私まで光をもらってるみたい)


髪に触れてみて、キラキラしていると思ったが月明かりに色が染まっているのかもしれない。


私は窓を閉じ、布団に入ると心地よさにすぐに眠りについた。

安心して目を閉じれるのはとてもありがたいと、まどろみの中で感謝した。

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