常識の向こう側
三太が目を覚ましたのはどこかの施設の中だった。
大部屋に試験参加者がほぼ全員いた。
近くにいた老人が三太に近寄り、親しげに声をかけてくる。
「お兄さん、やりますなあ。久しぶりにわたしの血も滾りましたよ」
「は、はあ……」
「おっと、失礼。わたしは寺居ってものです。どうぞよろしく」
年上に名乗られたのでは、三太も自己紹介せざるを得ない。簡単に自分の名前だけを言うと、寺居はふっと顔をほころばせた。
「ほほう、その名前、十二月になったら大層苦労するのでは?」
寺居の推測通りだ。三太なんて名前をつけられたばかりにやれ、サンタクロースになれとか、白い髭を生やせとか、トナカイどこにいるんだよとか、とにかく無茶振りがひどいのだ。
「だからですね、三太苦労すってよく言われます」
「うわ」
寺居の目がすっとくぼんだように暗くなり、声は平板のように抑揚がない。
「さすがにわたしもちょっと笑えないかなあ」
寺居の表情は元に戻っていたものの、三太鉄板のジョークは通じなかったようだ。
その後も寺居と話し込み、さりげなく情報を引き出そうと試みた。
しかし、向こうはこちらが知っている前提で話すものだから、どうにも話が通じない。
試行錯誤しているうちに時間切れとなったようで、鯖江が場に現れたのだ。参加者の前まで進むと白い歯を見せて完爾と笑う。
「皆さん! 試験合格おめでとうございます!」
鯖江が笑顔を見せる度にうさんくさく見えるのは気のせいだろうか。
うさんくさいのは鯖江が代表を務める会社もそうだ。
「それでは弊社について、少し説明させていただきます。弊社はかのサンタクロース協会とは何の関係もありませんが、志と理念は勝るとも劣らないと自負しております!」
つまりは野良サンタというわけだ。サンタはそう理解したし、そう間違っていないだろうと思うのだ。もっとも、間違っていたとしても、何ら問題はないわけだが。
「さて、近年深刻なサンタクロース不足が叫ばれていますが、そんな中これほど多くの方がご応募なさって、大変ありがたく存じます」
サンタクロース不足など聞いたこともないが、ここに茶々を入れるのは野暮というものなのだろう。サンタクロース業界には業界なりの事情があるのかもしれない。
「先だっての試験ですが、全員合格と致しました。あれは体力を見るのではなく、目的に向かって食らいつく力強さを見るためのもの。皆様のガッツ、この鯖江、感動で胸が塞がれる思いです」
言うほどガッツがあっただろうか。年齢のこともあるが、おそらく参加者のほとんどがトラック一周もできてなかったように思う。
「しかし! やはりサンタクロースに必要なのは強靱な肉体です。そこで皆様にはこれから研修を行い、サンタクロースとして相応しい身体を作っていただきます」
かつてサンタクロースが一人だったとき、世界中の子供たちにプレゼントを配るのは相当大変だったことだろう。
ある学者が世界中の子供たちにプレゼントを配るにはどのくらいの速度がいるのかと計算したところ、答えはマッハ八だったという。戦闘機乗りですら経験したことのない速度が必要だとすれば、確かに強靱な肉体は必須だろう。
「なお、研修期間中は皆様の私物を預からせていただきます。業務終了後には必ず返却いたしますので、ご安心ください。さらに衣食住はこちらで手配します。必要なものはお気軽にご相談ください」
ずいぶんと太っ腹なことだと思う。私物を預けてなお、こちらに利があるからだ。まあ、勝手に取られたのはあまりいい気分はしないが。
「早速研修にといきたいところですが、まずは皆様の士気を高めるべく、こんなものをご用意いたしました。どうぞ!」
鯖江が手を向けたほう、大部屋の入り口が突然開いて、芝居がかったことにスモークがたかれ、レーザーが四方八方に飛び交う。プロレスラーの入場シーンかと思えるほどだ。
煙を切り裂いて現れたのはトナカイだった。それも二足歩行の。
いや、これをトナカイというのは「極めてなにか生命に対する侮辱を感じます」と某監督も怒りを露わにするかもしれない。
とりあえずトナカイと仮称することにするが、見れば見るほど違和感がひどくなる。まずトナカイの鼻は赤く光らない。いや、確かにそういう歌はあるが、ピカピカ光るとはそういう意味ではないはずだ。
しかも妙に筋肉質でもある。胸筋と肩幅のたくましさときたら、思わず「うほっ」と言いたくもなってしまう。
そして、トナカイは右手に紐を握りしめ、その紐の先には軽トラの荷台ほどの橇があった。
何故か、老人から響めきが走った。
「おお、あれが……トナカイNSXか」
実にホンダ車みたいな名前だ。こうも商標権を侵害してもいいものだろうか。そう思ったが、指摘するのは野暮というものだろう。
「後ろの橇も見てみろ! あれはソーリGT-Rだ! まさか生きてこの目で拝めるとは」
まさかのホンダと日産のコラボである。時事ネタを絡めてくるとは実に如才ない。正直、少しイラッとするが。
それは置いておいて、老人たちがこうも目を輝かせる意味がわからない。三太は傍で感涙している寺居に事情を聞いてみた。
「あの、これ、有名なんですか?」
「ああ、三太くんは若いからまだ知らないのか」
多分、三太が老人たちと同じ年齢であっても、知らなかったと思うし、そもそも同年代である三太の祖父たちもおそらくは知らないだろう。彼らだけが特別なのだ。悪い意味で。
寺居の説明によれば、このトナカイと橇、どちらもサンタクロース垂涎の一品だそうだ。理解も共感もできないが、とりあえず三太は感心したように相づちを打つことにした。思ったことを口に出してもいいことはない。沈黙は金だ。
そう、ツッコんだり、驚いたりするのはもはや現実に負けたということだ。
三太は顔を上げて、目の前の現実を受け入れた。強引に咀嚼してしまったので、胸焼けがひどいことになったが。
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