第2話 刻み屋ニック その2


 現場は、うらさびしい通りをさらに内に入った、人気の乏しい区画。慣れない者にとって、入り組んだ小径は迷路さながらである。第一発見者がいるから迷わないですんでいる。付き従っているのは、コナン警部とその部下一人、それに街の巡査、監察医、検視官の合計五人。

「娼婦街か」

 汚れた壁の四角い建物を見上げながら、コナン警部が言った。

「いいえ。娼婦街は大通りを挟んだ向こうでして、被害者はたまたま、こちらまで出てきていたようです」

 上司の言葉を、部下はすぐに訂正した。

「十一人目の被害者は娼婦なんだな」

「あ、その通りで……。こちらだそうです」

 角を曲がる。その途端、道端に横たわっていた遺体が目に入った。

「……慣れるもんじゃないと思ってたが、十一人目ともなると慣れたかな……」

 警部はぽつりと漏らす。

 普通、往来で死体が転がっていたら、付近の連中が取り巻いて見ているものだ。が、一連の刻み屋ニックの事件では、まず野次馬がいない。いるにはいるが、遠巻きにするだけでほとんど誰も近付こうとしないのだ。それほどまでに、犠牲者の遺体は酷くいたぶられているのが常である。

 今回の犠牲者の遺体も陰惨を極めていた。

 ウェーブのかかったロングヘアに隠れ、顔が見えないのは唯一の幸いだろう。それでも、髪の合間からべっとりとしたどす黒い赤が見える。

 喉に眼が行く。黒い絵の具で汚れているんじゃないかと思えるほど、ぽっかりと暗い穴が開いていた。それも一つでなく、確認できるだけで三つはあった。

 両肩に相当な出血跡が見られる。腕を切断しようとしてあきらめたのか、それとも最初から切り刻むだけが目的だったのか。

 ついで手の指を見ると、これも当然のごとく、切断されていた。ご丁寧に第一関節と第二関節の二箇所を刻んでいる。野菜を包丁で切り刻む要領でやったのだろうか。

 乳房は二つともない。脂の黄色と凝固した血の黒とで、切断面は汚く彩られていた。切り取られた乳房はどこにあるのだろう?

 腹も大きく切り裂かれていた。内臓として機能していた物が、ぐちゃぐちゃと飛び出し、ちぎれている。どれが何の臓器かは見分けがつかない。

 足は左右とも、赤黒い縞模様が描かれてあった。まるで定規で測ったかのように、等間隔で刻まれ、血がにじんだ結果だ。足の指もきれいに切り取られていた。

「うわっ!」

 不意に巡査が声を上げた。みっともないほど慌てふためき、その場から飛び退くと、腰を抜かしてしまった。

「どうした?」

 コナンはおおよそ、見当をつけながらも聞いた。

「あ、足下に……その、乳房が!」

「ははあ」

 コナンは巡査の指差す方へ近寄り、確認した。彼は、ジョーク用のプディングで、こんなのを見たことがあった。が、それを思い出すことはなかった。

「ん? 他にも何かある」

 警部は地面に顔を近付けた。異臭なんかにかまっている場合でない。

「う……耳、か」

 警部は、乳房の横に落ちていた肉片を、耳だと認識した。

「ルクソール! 被害者の耳はないか?」

「ない。切断面が三日月のようになっとる」

 警部に呼びかけられた監察医――遺体の調べ役の方――は、抑揚のない返事をよこす。

「ついでに聞いておこう。乳房と耳、指の他、完全に切断されている部位はあるか?」

「こっちきて、自分の目で調べたらどうだぃ」

 きゅうにくくっと笑いながら、ルクソールは振り向いた。

「冗談じゃない。仕事をしろ」

「ふん。内臓は分からんが、他は引っ付いてる」

「分かった。くそ、ニックめ、今度は時間の余裕があったらしいな。念入りに刻んでやがる」

 吐き捨ててから、ふとコナンは、遺体にかなり接近している男がいるのに気付いた。何と表すのが適当だろうか、岩のような厳つい顔に、薄開きの両眼が光っている。無表情で不気味な作りだが、恐ろしさよりも悲しさが宿っていた。背はかなり高く、バランスの取れた立派な身体つき。手も足も常人より一回りは大きかった。

 容貌はともかくとして、ニック事件には珍しくなった野次馬だ。それとも単なる恐い物見たさから出た行動か。どちらにしても追い払うのは同じだ。

「こら、近寄ってはいかん」

 警部が注意する。しかし、男は聞こえないのか、監察医の頭越しに覗き込んでいる。

 警部は無表情な男を見ていて、急にいたずら心を起こした。

「ルクソール、どいてやれ。見たがっているお客さんがいる」

「はあ? ――ああ、分かりました」

 にやつきながら、横歩きをしてその場を離れたルクソール。

 さあ、あの無表情が悲鳴でゆがむぞ。いくら図体がでかくても、あの遺体を見たら……。警部は半ば、そんな気分で様子を見ていた。

「……」

 しかし、男は未だに悲鳴を上げない。恐怖で声が出ないのでもないらしく、しげしげと観察を続けている。

 いつだったか、二枚目の若者が眼前の男と同様、平気でいたことがあったな。そんなことを思い出しながら、しばし唖然としていたコナンは、頭を振って、男へ近付いた。

「おいおい。信じられん奴だな。おまえさんの度胸のよさには参った。だが、ここまでだ。引っ込んでくれ」

 警部はゆっくりと重みのある声を響かせた。相手の肩に手を置こうとしたが、届きそうになかったため、背中をぽんと叩くにとどめる。

 それでも、相手の男は立ち去ろうとしない。

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